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  • 2014.04.04 Friday

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    落河内の大カツラ(pirokichi劇場その)

    • 2013.12.05 Thursday
    • 12:04
    pirokichi5.jpg

    http://web.stagram.com/p/601223222774934088_13128529

    ●その1

    その樹はもう何百年もそこに佇んでいた。

    地中の養分を吸い上げ、大気を清浄化して、酸性雨に耐え、放射能に耐え、津波に耐え、嵐に耐えながら。
    いつしか地中から這い出てきた根のとっさきは、自らの上半身である大樹を見上げて、話しかけた。

    「ねえ、あんたぁ、あんたはそうやって、長いことお陽様の光やらいろんなもんに晒されてなにを手に入れたんだい?」
    「おれたちはあんたのために、このくらい土の底でずっと地上の夢を見ながら、あんたのためにせっせと養分を吸い上げてたんだよ・・」
    「そんなオイラたちの気持ちがわかるなら、あんたには答える義務があると思うんだよ、なあそうだろ?」

    大樹は黙して語らなかった。
    風が過ぎていった。

    地上の夢を見た根はいつしか地面にその根を持ち上げ、触手を伸ばし、その上に雪が振り、苔が蒸した。
    何十年かが過ぎた。
    思い出したように地面の上の地上根は大樹に語りかけた。

    「そうだな、あんたが語らないのもわかるような気がするよ、おれたちに言葉は無用なのかもしれないな・・」

    それだけの話だ。

    時が過ぎてゆく。

    ●その2

    pirokichi7.jpg


    天空には赤い月が輝いていた。
    満月は大気を血の色に染めていた。
    それはややダークであったものの、生と歓喜の赤、誇りと栄光の赤にほかならなかった。
    赤はゆっくりと、だが確実に、おれの心を満たしていった。

    例えば地下牢に監禁されていたとしても、その赤い月の存在は正確におれの心を射ただろう。
    無垢な乙女の息吹のような愛らしさと、あばずれ女の酒混じりの優しい吐息と、生まれたばかりの赤子の無防備と、そんなものを混ぜあわせたような月の存在。
    そいつがおれの心の扉をノックする。
    その波動に浸っていると、目の前のすべてがどうでもいいような気にさえなってくる。

    おれは、おれの隣で健やかな寝息を立てている娘の軀を離し、そっと天幕を出る。
    彼女の指先がいなくなったおれの身体をまさぐって宙に伸びている。
    彼女の栗色の髪が波のようにざわめいている。
    村で一番の器量よしで聡明な女だった。よそ者のおれに良くしてくれた。
    ありがとう。ほんとにありがとう。
    赤い月の下に、落河内の大カツラがそびえ、地上に影を落としていた。
    振り返り際に見た娘の細く白い肩に、赤い月の光が模様を描いた。

    あんたのこと愛してたよ、だけどね、あんたとはもう一緒にいられないんだ。
    この赤い月はおれたちヴァンパイヤのサインなんだよ。
    この月が現れたら、おれたちは戦わなければならないんだ。
    なんのためかなんてそんなことはどうでもいい。
    あんたら人間のために戦うんだなんてだいそれたこと思ってないから安心しなよ。
    ただ、今、おれの血はふつふつと煮えたぎっていて、おれのほんとに属するべきもののある場所にやっと行けるんだなって感慨で満たされようとしてるんだよ。
    たとえそこで死んだとしても、そこに赴く以外にすべはないんだよ。
    そして、それはとってもうれしいことなんだ。

    そんな物語もいつかあった。

    吸血鬼やら妖怪やら精霊やら、そんなものが息絶えて久しい夜だ。
    その娘も何人もの子を産んで息絶えた。
    その娘に咎があったわけではないだろうけど、人間だけがこうやって最後まで残ったのにも何かの理由があるんだろう。
    今はそんなふうに思うしかないのかもしれないよ・・。

    大樹は地上の枯れかけた根に静かに語りかけた。
    返事はなかった。

    「やれやれ、わたしの足元の友達ももう息絶えてしまったな、わたしが息絶えるのももう時間の問題なんじゃろうな」
    「確かにわたしはここからどこへも行けなかったかもしれないが、それにはそれで意味があったんだろう・・」

    風が吹き、雷が轟き、最後の人類の息も絶えた夜だった。

    ⇒落下内の大カツラ

    【注釈】久々にpirokichiさんの写真にinspireされました。
    これは鳥取県に有る樹齢は500年を越えると推定されている大桂だそうです。
    高さ40メートル、枝張り東西へ36.5メートル、南北へ35.6メートルにもおよぶ国内でも有数の巨木だそうです。
    ここに神が宿っていたとしても確かになんの不思議もなさそうですね。
    pirokichiさんの空間を切り取る力っていうのはほんとすごいですよね。感銘します。

    【注釈2】自分のblog調べてみると、pirokichiさんの写真を随分使わせて頂いてました。いつもいつも深謝です。

    万物流転 〜ホラホラ、これが僕の骨だ〜

    • 2013.02.26 Tuesday
    • 15:19
    pirokichi20130226

     http://web.stagram.com/p/373660209655523811_13128529

    自分のために他人の死があるわけでもないけど、みんなが当然それぞれのstoryをもっていて、それはこうやって陽の光にさらしてみると何らかの化学反応を起こすのかもしれない。

    よくお墓に、新しい花がいけられている光景に遭遇するでしょ。
    花は枯れるので、新しい花がそこにあるということは、かつて古い花もあって、それの意味することを考えると、この世も捨てたもんじゃないなとも思う。
    でも、自分は墓もいらんし、墓に花を捧げることもないだろうけど。
    だからこうやって書くことぐらいが、自分が捧げる花みたいなものなのかもしれないんだけど・・。

    そのヒトのことを考えてる時は、そのヒトは生きてるんだっていっつも言ってるアレですよ。

    そんなこんなで、中原中也の歌を思い出した。
    河原から突き出た、白い漂白した「骨」という詩だ。
    それは僕の骨でもあり、きみの骨でもあり、死んだ彼の骨でもある。

     ホラホラ、これが僕の骨だ、
     生きてゐた時の苦労にみちた
     あのけがらはしい肉を破つて、
     しらじらと雨に洗はれ
     ヌツクと出た、骨の尖。

     それは光沢もない、
     ただいたづらにしらじらと、
     雨を吸収する、
     風に吹かれる、
     幾分空を反映する。

     生きてゐた時に、
     これが食堂の雑踏の中に、
     坐ってゐたこともある、
     みつばのおしたしを食つたこともある。
     と思へばなんとも可笑しい。

     ホラホラ、これが僕の骨――
     見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
     霊魂はあとに残つて、
     また骨の処にやつて来て、
     見てゐるのかしら?

     故郷の小川のへりに、
     半ばは枯れた草に立つて
     見てゐるのは、――僕?
     恰度立札ほどの高さに、
     骨はしらじらととんがつてゐる。


    彼は前立腺癌手術目的で入院してきた。
    前立腺全摘術というのはまあ長い手術で、
    手術の術層が深いところにあるため、
    身体を斜めにしながら言われるがままに開創器を持っている研修医の自分などは術野はなぁんにも見えず、
    しびれて手の先の力を抜くと怒られ、かと言ってその微妙な鈎持ちのニュアンスなどわかろうはずもなく、ただただ立ちすくんでいるのだった。
    ここが静脈叢で出血がやばい・・とかいわれても蚊帳の外だし・・。
    まあ、そうやって、長い長い手術もいつか終わる。

    前立腺癌で、全摘術の日の夜中、彼はベッドの上に仁王立ちになってバルーンを引きぬこうとした。
    前立腺を摘除するということは、とったあとの膀胱と尿道を端々吻合しているということで、その切れた部分をつないでいるバルーンは最後の命綱だ、決して抜けてはいけないものだ。
    しかし彼は、せん妄状態となって、引っ張った。身体中に圧力がかかり、抹消に留置した点滴チューブからも血液が逆流している。
    当時、研修医だった自分は主治医だったにもかかわらず、当然どうしようもないわけで、ただあたふたするだけ。
    当直の先生が対処してくださり、事なきを得た(のだと思う)。

    いずれにしても遠い遠い昔の話だ。
    彼は華道の先生で、その立ち振舞から、ゲイじゃないのと、看護婦さんはじめ、僕らみんなは、面白おかしく語っていた。
    ゲイなのに前立腺癌になっちゃうんだ、ああ、違うよ、まさに男の病気だから本望か・・などと失礼極まりないことを言ったりもした。

    その彼が、ケアハウスに入所していて、認知症もあってで、何十年かぶりに遭遇した。
    尿道狭窄になっており、透視下に、カテーテルを膀胱まで挿入し、それをガイドに細い腎盂バルーンをなんとか入れ、ルートを作り、それから時間をおいて、数回かけて拡張した。
    最後には十分なルートが出来ただろうと判断し、バルーンを抜去した。
    その後、なんとか自己排尿でいけており、「よかったですねぇ」と言った。
    「もうあんたは痛いことばっかりするんじゃから、いけんてぇ、もうせられんてぇ」
    彼は、尿道拡張の時はいつも語尾を荒げた、ほぼ怒鳴る感じで。
    それでもそのあとはいつもの柔和な顔になり、あの頃はお互い若かったねーという話になったものだ。

    そんな彼の死亡が新聞記事の片隅にぽつんとあった。90近い年齢だ。
    こんなことを書くのはどうかと思う。
    でもこれは記録だ。
    ただの記録だけど、ある形における、彼と、僕と、そして、きみやきみたちとの、生きた、生きてきた証でもある。
    それらもいつか薄れ消えてゆく。全ては滅する。そして流れてゆく。
    それもよし。
    それもありだ。

    風来坊(pirokichi劇場その◆

    • 2013.02.09 Saturday
    • 14:53
    littlebuddha

     ほら、おれの墓碑銘に犬が後足でションベンかけてるぜ

    いやらしいやつだな
    ションベンのあとに、ご丁寧に肛門の筋肉ぴくぴくさせて糞までひりだして
    尻尾振って消えやがった

    ちくしょうめ

    隣の墓には花が絶えないってあの話な
    心配すんな、花は語らないぜ
    それならその隣の団子はどうだ
    そのまた先で 清酒のラベルが雨で剥がれかけてるよ
    くらべたらキリなんてないけど、どっちみち墓の中はからっぽだ
    逝っちまった魂はね 再び満たされることなんてないんだよ

    おれもあの娘も蘇ることなんて決してない

    空の真ん中で欠けた月が笑ってら
    風の回廊に座して、風琴の音色に身を任せよう

    笑ったもんの勝ちさ
    でも もうおれはここにはいない

    ここにあるのはただのお墓
    思い出なんてありゃしないただのマテリアル

    いいかよく聞け、
    ここは忘れられたものたちが、思い出された時にだけ蘇る
    そんな場所にしかすぎないんだよ
    だから おれたちの思い出に価値なんて見出してくれなくっていいよ

    おまえはもう帰んなよ
    待ってる女(ひと)のいる家(うち)へ

    暖かい灯と鍋からたちのぼる湯気とおでんのにおい
    あの娘の胸はさぞかしあったかいだろうよ
    あの娘を抱きしめて 
    あの娘をギュっと抱きしめて 世界で一番素敵なセリフを囁くのさ
    そこがお前のいる場所だ

    pirokichi劇場その
    彼の写真にinspireされる妄想をただただ自分は書き留めるのであった。)

    コヌカフルアメノゴトク・・・(2)

    • 2012.10.08 Monday
    • 16:21
    pirokichi4

     そうだ、夢見る頃を過ぎてもまだ生きている。
    だったら、夢をみるんじゃなくって夢になったらいいと、映画の中の人造人間が言っていた。

    おまえの人生の終焉が一体いつになるのか、たとえば神様が教えてやるよと言ったらどうする。
    おまえはそいつにうなづいて、頭を垂れて、その本物か偽物かわからない神様のご宣託に身を委ねるだろうか。
    あんさんは2年と半年後に死にまっせぇ、と、ビリケンさん顔の男が言ったとしたら。

    ある日、夕暮れの遊園地で、シルエットになった子供たちの顔が急にわからなくなった。
    呼びかけて振り返った子供がみんなのっぺらぼうだったら怖いので、おれは少しずつ後退りして、公園を出た。
    街の雑踏に紛れ込んだら幾分か気分が楽になった。
    おれの子供もあの中にいたのかもしれないのに、おれの家族もあの中にいたのかもしれないのに。

    おれは街の一部になって、息を潜めて生きている深海魚に戻れたんだ。
    そんな自分に安堵して、おれはそんな矮小な人間でしかないんだと少し哀しくもなったりした。
    でもね、それでいい、それでいいんだよ。
    バーに入って強い酒を5-6杯でもあおればすべては消えてゆくだろう。
    一体全体、こうやって酒をあおっているおれは、誰なんだろう。
    でもね、それでいい、そう、それでいいんだよ。

    おれはすこしずつ壊れていってるんだ。

    あの日、焼けたアスファルトの上で、高校に入ったばかりで少し遠方に通学し始めたおれは、暮れなずむ道で、ゆっくりと歩を進めていた。
    バッグを右手から左手に持ち替える。
    すれ違いざま、かぐわしい香水の匂いに顔を上げると、彼女がいたんだ。
    真っ赤なTシャツに揃いの口紅の女。
    白いパラソル、キャリーのついたバッグを引きずって、身体のラインを隠すような長いスカートを履いているのが、薄闇の中でもはっきりと分かった。

    久しぶり、こんなところで会えるなんてね、ここで会ったのもなにかの縁ね、
    そんなに怖がらなくってもいいわ、何も今更あなたを味わい尽くしても失われた時は戻ってこないものね、あの時はそうホントにふたりとも楽しかったわよね、
    ほら、今の私のえぐれたおっぱいを見たらいいわ、乳癌でね、こんなふうに私のおっぱいは切り取られてしまったのよ、
    ほら、ほらほら、これが見たかったんでしょ、
    ほら見せてあげるわ、ゆっくりじっくり見るといいわ。

    おれは目を背けられずに、伸びたTシャツの胸元からえぐれて瘢痕になった皮膚の引きつりと、そこにかつて存在したはずの乳房の痕をみた。
    彼女はいつのまにかおれの背後にまわり、おれの耳元でこうささやいたんだ。
    いつかあなたもすべてを失う日が来るんだよ、必ずね。
    でもね、すべてを失ったからっていっても人生はそう簡単には終わりにはなりはしないのさ。
    あなたの大事なものは奪われ、火を付けられ、それでもおまえは生きなくっちゃいけない、この私のようにね。

    気がつくと彼女はいない。
    ただ香水の微香がおれの鼻腔を犯し続けているだけだ。
    めっきり暗くなった夕闇の中で薄ら寒さの中で、おれは泣きそうな顔をして笑っている。

    あの日からもう何十年もが過ぎた。
    幾つもの死にあった。死んだヒトに何度か手を合わせ、心ではその何百倍も手を合わせている。
    浮かんでくる思い出もあるし、忘れてしまったこともたくさんある。
    薄情とは思わない。おれが死んだっておんなじことを思うからシンパイスンナ。

    おれの死に様は残念ながら分からないし、たとえ神様が教えてくれるといっても答えはNOだ。
    ただ、人間は後ろ向きではなく、前を向いてしか生きることができない生き物だとおれは信じている
    どうしてかって、そりゃ神様が人間をそういうふうに作ったからだろうよ。

    先生、あんたのこと好きだったよ。
    おれはあんたの嫌なところも、あの可愛い仕草も、残念ながら忘れることなんてできないよ。
    でもね、先生、おれはもう少し生きることにしたよ。
    そう選んでからももう何年かたったな。もう随分くたびれてはきてる。そしてちょっとずつ壊れている。
    そんな身体と魂だけど、もう少しね、いけるとこまで行こうと思うんだ。

    だから、また会ったらよろしく。その時はおっぱいとか触らせてもらえたらうれしいかもよ。


    コヌカフルアメノゴトク・・・

    • 2012.10.03 Wednesday
    • 20:02
     I have to run,
    I have to run,
    Run and run,until the end of this world.

    Someone says,you are enough for running your clinic,you staffs and your patients.
    And you help many peoples.That's enough.

    Why do you wants more?

    But,I feel,
    My arms are  always melting down between death and live.
    Darkness is always with me behind shining of lifeness.

    So I have to run,run and run until my end.

    ヒトの死を避けては通れない。
    そして、その瞬間にいつも感じるある種の解放感と一抹の後ろめたさ。
    それらは表裏一体でオレの身体やら心から離れないばかりか、今やオレそのものを侵食し尽くしている。
    生の世界と死の世界を行き来する。
    そちらの世界に必要以上に入ってしまって、かろうじて戻ってきたこともあった。
    最初は悪意もなく、むしろ正しい心で、手首から先を闇の側に差し込み、そこから何かを掴んで、引き上げようとしたりもしたんだ。
    でもその手はだんだんドス黒くなってゆき、今では手首の先に触れているものがなんなのかさえわかっちゃいない時だってあるんだ。
    いくら洗ってもオチない血の匂いが、手首だけじゃなくって、もはや全身に染み付いている。
    それでも今日も、オレは闇に手を入れ、黄金を掴まなくっても、その先から何かを引っ張りだそうとする。
    ああ、うまく言えないや・・
    だから、だけど、Baby、オレは、今日も走り続けなくっちゃいけないんだよ。
    ああ、スプリングスティーンも唄ってたよね、死の罠を超えてそこに行くんだ、おれたち走り続けるために生まれてきたんだよ(baby we are born to run)って。

    (まあこの英語が正しいかどうかは別ですけどね・・そして写真はまたまたpirokichiさんのもの!thanks!)

    pirokichi20121003

    HPの言葉 〜9月〜

    • 2012.09.04 Tuesday
    • 13:11
    pirokichi2012Sep

     
    朝晩、少しだけではありますが、涼しい空気が忍びこんでくるようになりました。
    秋の気配ってやつですね。

    6月から始めた怒涛の電子カルテ計画は、自分が思い描いていたとおりにはまだまだなってませんが、それでも一時よりはずいぶんと落ち着いてきました。
    でも、あっちが変わると、また別のところから新しい問題が持ち上がってと、もぐらたたきみたいです。

    Microsoftとか独占しやがって絶対許さねえぞ・・とか思ってましたが、ああいったパッケージソフトの完成度の高さは、もしかしたらすごいものなのかもしれないな、と、敵ながら塩を送ってるところです。
    (まああ向こうさんはそんな気持ちもわからず、所詮こちらの一人相撲にしか過ぎないんですが・・)
    透析システムと電子カルテの連携は10月からやっと運用開始の予定ですが、これもまだまだです。

    ITの進歩とネット社会の進歩がここまでの電子化を導いたのですが、医学の方も、着実に進化してます。
    最近聞いた「光力学診断」や、この秋には愛媛県にも2台導入されるロボット手術「ダ・ヴィンチ」とか、科学が疾病に対してもたらす恩恵にも、眼をみはるものがあります。
    まさに色でがんを見つけるとか、ロボット遠隔操作で細かい手術するとか、SFの世界が現実に現れたって感じなんですから。

    われわれ末端の開業医はなかなかその恩恵に直接関与することはできないのですが、自分のもてる知力と技術で、少しでも医学に貢献して行けたらなあと思う所存です。

    政治や経済や、確かに着地点は見えにくいし、平等性やら透明性を欠いたまま、誰しもが確固たる未来を描けないのが現実でしょう。
    だから、些細な事でもこの手のひらの中からはじめるのが大切なんだよって、プリミティブに思います。

    今さらなにをと言われるかもしれませんが、僕らやスタッフは、日々の仕事に埋没され、自分自身を消費し消耗しながらも、未来に向けてちっちゃな種を蒔いているんだと、そう信じて進んでいきたいと思います。

    *画像はいつものpirokichiさんの写真。

    一瞬の夏、一日だけの疾走

    • 2012.08.03 Friday
    • 21:48
    pirokichi4

    人生においては、全きという意味で、
    共有できるものなどありはしない。

    だから、夏は一瞬で、
    誰も、他人と一緒の視点で、嗅ぎ、味わい、貪ることなどできないのだ。

    隣にいたとしても、二人が恋してたとしても。
    同じ景色を見て、同じ時間を過ごし、同じパフェを味わっても。

    そして、だからいいんだよ。
    それがいいんだよ。
    たとえ流れてゆくだけの人生だとしても。

    ・・そんなふうに病院に来る途中のクルマで思いおこした。

    久々に一瞬だけ帰った実家で、親父と話していて、
    なんとなく感じていた空気が、
    そんな言葉として結実したわけだが、それも決して淋しいことではないと自分は思う。
    だから触れ合うんだし。

    例えば現在81歳の彼がこの世からフェイドアウトして、息子のおいらがどう感じるのか、それを親父がどう解釈するのか、それはもう別次元の話だから。

    うーん、伝わらんかな。

    一瞬の夏、日中の光の下を走り抜けた。

    pirokichiさんの夏もちゃんと真四角に切り取られていた。

    荒野を下って街ざかいのハイウェイを西へ

    • 2012.07.28 Saturday
    • 15:57
     pirokichi3

    今度は久々に、甲斐よしひろの「荒野を下って」がリフレイン。

    よりよい世界夢見ながら
    眠りにつく時がある
    だけど沈んだままの心で
    いつも目を覚ます
    荒野を下って 赤く灼けついたあの
    荒野を下って 街ざかいのハイウェイを 西へ

    スプリングスティーンの「ネブラスカ」のトーンだ。だって実はそのまんまなんだもん。
    でもこの荒涼たる詩を歌にしたところに当時の甲斐よしひろの凄さがあったと思う。
    このチューンは、甲斐バンドNY三部作「虜」の、B面の最後の方に入ってたかな?

    荒野はどこそこにだってある。

    廃絶した世界を、火を灯して駆け抜けようとした父子の物語、
    あの映画はダークトーンすぎて一般受けしなかったけど「The Road」。

    「into the wild」はちょっと違うが、文明から荒野へ分け入っていく青年の話だった。

    日本全国の田舎(中小都市)が形骸化してしまった今、アメリカのハイウェイの彼方のような概念はもうとっくに喪失してしまっている。
    でも、もしかしたら、このハイウェイの彼方にあの娘は佇んでいて、俺の帰りを待ってるかもしれないじゃないか。
    ホット・ロッド・マシーンで駆け抜けてアメリカン・ドリームを手に入れるんだ。

    ・・なんてね。

    憧れていたアメリカなんて今はどこにもない。
    サイドシートで輝いていた彼女は、今は吐息ばかりで、バックミラーを見ることさえもない。
    スプリングスティーンがアコースティックギターで寂れた街を唄った時に、すでにアメリカは死んでいたのだ。
    いや、今じゃそれどころか、アンチエイジングでゾンビ化したおれたちが、夜な夜な死のダンスを陽気に踊っているだけなのかも。

    終末を恐れるのではなく、終末を知りながら、終末を享楽して、ケセラセラってやってるだけなのか?

    ふたりを引き裂いたいくつかの
    つらい出来事を思い出す
    美しい月がのぼってゆき
    家に急ぐ車の流れ
    テールランプにうかぶ闇
    次の街に着くまでに
    この痛みが消えてることを
    俺は今でも願ってる

    荒野を下って 赤く灼けついたあの
    荒野を下って 街ざかいのハイウェイを 西へ

    西へ向かえば何があるのか?
    このハイウェイの果てには海しかないこの国で。

    疲れ果てて目を覚まし、ようやく起きだし、仕事モードに突入したらいつの間にか一日が終わってる。
    そんな日々の残滓と、夜が明けたらまた押し寄せてくる仕事の群れと、
    そんなモノたちの狭間でおれたちは踊り続ける。
    いつになったら終わるのかしれないゲームを踊り続けてる。
    今宵も。

    それでも時に、胸に手を当てて、よりよい世界を夢見て眠ることがあってもいいかもしれないとも思う。

    今日も徒労の海に投げ出されたよな外来業務を午後3時前に終える。
    救急車を呼び、陰嚢の水を抜き、婆さんのケツについたうんこを拭いてバルーンを入れ、じいちゃんのちんちんの手術をする。
    バットマンみたいにかっこよくはないけれど。

    今回のpirokichi写真は、考え事をしてる犬だって!
    たしかに君は何かを想って遠くを観てるよ。荒野の果てにあるものをね。

    例えば今日も月明かりの下で・・

    • 2012.07.27 Friday
    • 14:29
    pirokichi2 

    誰も上司になりたくなんてないけど(なりたいひともいるかも?)
    でも、ずっと部下で居続けるのも嫌なこった。

    目の前の一つ一つの些細な事なんて、誤魔化せばその場は収まるかもしれない。
    でも、スルーしたって、それはいつかあんたのつけになって、またやってくるんだぜ。
    その時に、泣いても喚いても無視しようとしても、もう手遅れかもしれない。
    それだったら、今苦しくっても、そいつに立ち向かって、落とし前つけてから前に向かってくしかないだろう。

    そう思わないか?

    とかく歳をとるってえのはむつかしいよ。

    でもあの頃がよかったからって、昔になんて戻りたくもないけどね。

    人は未来に向いてしか進んでいけないし、
    その先に待ってるものは死だけだとわかっていても、そっちにしか歩んでいけない生き物なんだ。

    顔を変え、声を変え、暮らし向きを変えてみる。
    例えば、闇に潜んで、斜めの目で明るい社会の方を見たりする。
    したり顔で人生語ったりする。
    ホントはもっと怒ったりぶっ飛ばしたり、叫んだりしてみたいのにさ。
    名刺に書かれた増えたご立派な肩書きに今更ながら我ながら感嘆してみたりする。
    おれも偉くなったもんだ。
    今じゃ院長さんなんてやってるよ。
    職員だって40人くらいいるんだし、まずまずいっぱしのもんだ。

    でも誰かにまた言われる。
    変わったよな、お前さんも、昔のあの無茶苦茶さといい加減さとエネルギーはどこいったんだい?
    昔のあんたなら、今のシーンで、確実に怒って蹴り入れてたぜ。
    喉元までこみ上げる何かを抑えてみる。
    そうかもしれないな、
    でも外見変えたって中身なんてそうそう変わらないんだぜ、
    わかるひとにはわかるんだ、お前さんの思惑なんて透け透けのパンティくらい透けて見えてるんだぜ。
    逆にそう囁く声だって、背後の吹きすさぶ風の中から聴こえてきてはいるんだ。
    鬼が笑ってるよ。
    わかってるよ、baby。ぜんぶわかってるんだ。

    ヘロヘロにへばって、つんのめりそうになった時にさえ、
    いやそんなときだからこそ、
    なにかを変えようとする努力、前を向いて進もうとする意志だけが「生きる理由」に変わるんだ。

    例えば斉藤和義さんが言ってたように、

    迷った時、
    おい、お前ホントはそんなことしたくないんだろう、考えなおせよとか、
    その橋は腐っても渡っちゃいけねえよ、とか、
    逆に腐ってても燃え落ちようともオレは渡るんだって橋もあったりして、
    自分が死守しないとその時から自分は自分でなくなってしまうような、そんなラインがある。

    彼にロックとギターが教えてくれたように、
    おれにもそんな何かがあるんだろう。

    それは、
    この自分が今でもぼけてないとしたら、
    この自分自身が、
    今まで生きてきた半世紀の間に、
    ああでもないこうでもないと無意識下で引いて築き上げた最低のデッド・ラインみたいなものなんだろう。

    オレはオレになりたいだけなんだ
    ただそれだけなんだ 誰だってそうだろ?

    ロックンロールに教わった事は
    「人と違っても自分らしくあれ!」ってことさ
    そして「愛と平和」 そいつの意味を探している

    今夜は月がキレイだから
    手を伸ばすよ 手を伸ばすよ


    (斉藤和義「月光」)

    この写真もpirokichiさんの。

    古典的な夜の殺し方(二日酔いの日に)

    • 2012.07.26 Thursday
    • 17:16
    pirokichi1

    古典的な夜の殺し方

    加藤和彦の唄に、「優しい夜の過ごし方」なんてぇのがあったような気がする。

    古典的な夜の過ごし方(殺し方)は、やっぱりお酒で自分を潰すってことだろうかな。
    お酒飲んで、ヨタ言い合って、忘れてしまって、また会った時にその片鱗を思い出して笑い合う。
    寂しいながらも二歩後退して一歩前進。
    時と場合によっては関係が限りなく険悪になって途切れることだってある。
    まあその時は寂しく笑って心のなかで泣いて、また酒をあおるだけのことだ。
    通じ合うものがあればまたどこかでつながることだってあらあな。
    寺山修司は言った、サヨナラだけが人生だ。
    ほらほら、死んだヒトの身体が灰になって、煙になって立ち上ってくのが見えるだろう。

    そんな進歩のないことを何十年も繰り返してる自分だ。
    なんて非生産的なんだ、と、誰かにえらく罵倒されたな。
    そんな馬鹿げたことに時間と金を費やして、そして回りにいる人たちに迷惑をかけて、ホントにしょうもない、ニンゲンのクズだ、とまで言われた。
    まったくそのとおりだろうとは思う。

    今の若い人達は概してお酒のまない傾向にある。
    年寄りのおれがそいつを嘆いてもしょうがないんだけど、彼らは自分の殻を逸脱することを恐れてるんじゃないんだろうかって思うことさえある。
    (これってお酒飲む飲まないの話じゃホントはないし、こんなことジジイのただの杞憂ですむといいんだけど・・)

    自分が自分でなくなるのにお酒の力を借りる自分もほめられたもんじゃないが、
    自分が自分を超える瞬間っていうのが、
    なんていうのかな、あるだろう。
    それはある瞬間「奇跡」のように訪れるんだ。
    たとえばそれは、自分でチケット買って臨んだコンサートの終盤とか、
    映画館でのあの暗がりでの2時間の中とか、
    長い小説をコツコツ読んでいった中とか、
    炎天下の中を歩き続けてもうだめだと思った先の空の色とか、
    いろんなモノの中にそいつは急に現れるんだ。

    そんなもんが、
    そんな奇跡にも似たような一瞬が、
    たとえちっぽけな自分にまた帰るとしても、ニンゲンには必要jなんじゃないのかって思うんだよ。
    そして一番手っ取り早いそんなわけのわからん原初的な衝動のかけらが、酒の中に潜んでいるんだという古典的な幻想を、やっぱりおいらは今でも抱いてるんだろう。

    お酒に酔って、過ごす時間の中に、そんなパッションが潜んでいる時もあるんだよ
    ・・いつもいつもじゃないんだ、でもそれはある瞬間訪れて、オレを高みに連れて行ってくれるんだ、たとえ後悔と頭痛の翌朝が待ってるとしてもね。
    だから「古典的な夜の殺し方」なんだけどね。
    そんなものがなんか欲しいんだよ。

    そう、喉から手が出るほど欲しいんだ!

    でも、それを若い奴らにお前らそんなもんもっと持てよとか押し付けるのはきっと大きなお世話で、
    彼らはきっと言うんだろうな。
    あんたらロートルみたいに、馬鹿げたアルコールなんて古典的かつ不健康なものに頼らなくっても、ボクラはボクラのsomething見つけてるんですよ、って。
    そう言われるとそれまでなのではあるけれど、
    でもなんだか、もっとはじけろよ、もっと喚けよ、もっと叫べよ、もっと泣けよ、とかおじさんは思ったりするわけです。

    いや、今は、酒飲んだからってそんなに他人さまに迷惑かけてはないですよ。
    酒はまさしくスピリット(ジンとかそんな酒のことをそう呼んだりもする)なんだけど、だからこそ、そのスピリット(精神性)が好きなんだよ。

    こうやって二日酔いの一日を振り返って書いてみた文章は、そのまんま自己弁護かもしれないけど、まあ残しときます。

    写真はFB友達でもあるpirokichiさんの。

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