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    ハスク・エディンという物語

    • 2013.06.01 Saturday
    • 15:24
     TVで「進撃の巨人」を見て、この本を読む。
    都市を守る少年少女兵士たち、しかしその明らかな理由は描かれない。
    都市の中央にある塔はなんのためのものか、都市を追い払われた人間たちもまた然り。
    軍人たちは娼婦を弄び、殺す。それが正当化された世界。兵士は戦い、死んでゆく。
    今回もまた、分かり合えない世界にいた人間たちが、やっと真の仲間として心を開きかけた時に悲劇は訪れる。
    「進撃の巨人」でも人類は城塞都市に閉じこもり、巨人に喰われる日を待ちながら?生きている。
    少年少女兵たちは最前線で巨人と戦い、喰われ散る。
    「進撃の巨人」のテロップで、「世界は残酷で美しい」というものがよく出てくるが、死とか殺戮の向こうにある生や風景は、なるほどはかないほど美しい。
    森田童子は、あの時代を、「みんな夢でありました」と唄った。
    あの時代を、中島みゆきは、「誰のせいでもない雨が降っている」と唄った。
    我々は、今、夢にもできないような現実を、薄氷を踏みながら実は歩いている。
    だから、きっとこんな相似形のモノガタリが生まれるのだろう。
    そして、こうやって断片で語ることが、今のオレには精一杯だ。

    コメント:誰のせいでもない雨が・・今も降っている。

    「凄ノ王」永井豪

    • 2013.05.30 Thursday
    • 08:01

     「マジン・サーガ」もそうだが、
    この「凄ノ王」も未完の物語である。

    朱紗真悟という少年の解き放たれた憎悪の念を通って、魔が結集して、宇宙を破滅に導く魔「スサノオウ」を産み出す。
    そしてそのあとで一旦は空っぽになった朱紗真悟という男が、再び、宇宙を救う「スサノオノミコト」になれるのか、そして世界は本当に再生するのか?
    なにもわからぬまま物語はぷつりと切れる。

    永井豪はこの物語を書くにあたって、意識的に「未完」の物語を描こうとしたという。
    ホントかよ、豪ちゃん・・とかいうツッコミはとりあえず置いといて、どんな話でも、彼の話は膨らみ続けて、そして作者自身もコントロールできなくなるそうだ。
    それがファンにとっては面白いんだけど。
    (だから比較的まとまっている「デビルマン」の世界だって、下手に注釈つけるととたんにスケールダウンしちゃうんだよな~「激マン!」とかね、でもそれはそれで面白い)

    現に「角川書店版」→「凄ノ王伝説」と、
    「講談社版」→「凄ノ王 超完全版」では後半が異なってきている。
    (自分は最終巻のみ講談社で購入したので、より破綻が少なく終わる方(それでも未完には間違いないんだけど)の終わりと、収拾不可能でとっちらかった角川版を頭のなかでミックスして読んだのだけれど・・)

    そして永井豪の世界は終わることなどないのだ。

    村上春樹氏の京大での公開インタビューに関するあれこれ

    • 2013.05.15 Wednesday
    • 17:30
     村上春樹氏が、京大で公開インタビューを行ったそうだ。

    それに関する記事からいろいろ寄せ集めてみました。
    これも自分に対するメモみたいなものです。あしからず。

    『ノルウェイ』は純粋なリアリズム小説だが、『多崎』では現実と非現実を一緒に、リアリズムの土俵に置き換えたらどうなるだろう、という気持ちで書いた。
    表面上は全部現実だが、底の方に非現実がある。
    そういうことがやりたかった

    2階建ての家の例えは村上春樹らしくとてもわかりやすい。
    ヒトはそこで他者と交流し、個室で自分の時間を持つ。
    そして地下室には”記憶の残骸”が置かれている。
    そして作家はさらにわけの分からない地下2階まで降りてゆくのだと・・

    地下1階でも小説は書けます。
    でもそれは本当に人をひきつけるのか? 地下2階まで行く通路を見つけた小説家はそう多くないと思います
    地下1階の小説は説明しやすく批評しやすい。だけど地下2階より下の小説は、説明できない。
    根底に何かを作りたいと思えば、下まで降りていかないといけない。僕のやりたいことは正気を保ったまま下(地下2階)に降りていくことなんです。

    この物語は『ノルウェイ』とおんなじ背景を持っているのだとかの批評(批判?)も見られたけど・・

    『ノルウェイの森』を書くときは純粋なリアリズムを書こうと思った。
    初期の作品とは違う、百パーセントのリアリズムを書かないと一つ上のステージに行けないと思ったんです。
    一度ほかの作家と同じ土俵で戦わないといけないと思った。そんなしばりをかけて、うまく書けました。
    (「色彩を持たない−」)は僕の書いた感じでは頭と意識が別々に動いている話です。
    別なんだけれど最後のところで頭と意識が一緒になればうれしいなと。
    これは初めての体験でした

    その『多崎つくる』について・・

    あの小説はあらすじにしちゃうとつまらないと思いますね。
    時系列ではなく、意識という形で書く。出来事でなく意識の流れに乗っけていく。
    でもあまりにとっぴだと読者がついてこない。3、4年前だと書けなかった作品だと思う。
    今回、短い小説にするつもりだった。(原稿用紙)70〜80枚くらいの。
    多崎つくるが、再生していく話なんだけれど、名古屋の(高校時代の親友)4人を書かないで、(絶縁された)理由も書かないつもりだった。でも書いているうちに4人のことがどうしても書きたくなった。多崎つくるくんに(つくるの恋人の)木元沙羅が言います。(みんなに)会いに行きなさいと。つくるくんに起こったことがぼくに起こったんです。書きなさいと、沙羅に言われたんです。こういうふうに人を書いたのは初めてでした。
    木元沙羅は僕をも導いている。書きなさいと。不思議な存在ですよね。
    導かれるというのが僕にとって大事。導かれて、体験し、より自分が強くなっていくという感覚がある。
    僕自身もそうだし、読む人にもそういう体験があるといいと思います。

    デビューの頃をこうも語っている。

    村上龍さんの長編、コインロッカー・ベイビーズを読んでこういうふうに書きたいと思って、店をやめました。
    自由になって、好きな時間に書けるのがうれしかったです。
    とにかく長いものを書こうと思い、結末も分からないままに最初の数ページを書いてどんどん進めていくと、それがうまくできたので、僕はこういうのがあっているんだなと思いました。

    その村上龍氏は何かのエッセイの中でこんなふうに書いていたと思う。
    自分は短距離走者の疾走を繰り返し重ねることで、このストーリーを書き上げた。その時の自分の方法はそれしかなかった。

    その発言にまだまだ若かった自分は陶酔したものだった。
    でも何年か前に読み返そうと思った「コインロッカー・ベイビーズ」は、ベルリンの壁のようにそびえ立ち、なかなか自分をその内側には入れてくれなかったので実は中座したまんまなんだけどね。

    読者に向けて・・

    僕の本を読んで泣きましたと言う人がときどきいるけど、僕は笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい。やっぱりユーモアの感覚がすごく好きなんです。
    僕自身は一生懸命書いているが、好みに合わないことはもちろんある。
    ただ、理解してほしいのは、本当に手抜きなしに書いているし、それが誇りになっている。もし今回の小説が合わないとしても、村上は一生懸命やっていると考えてもらえるとすごくうれしい。

    ここにまた我々は、フィッツジェラルドの書いた「グレート・ギャッツビー」みたいに真摯な村上春樹氏を見つけるのだ。
    そんな風に『多崎つくる』の物語に、足を止め、また『ピンボール』とか『ハードボイルド・ワンダーランド』に立ち返り、その時々の自分の物語を春樹氏の物語の中に見つけるのだ。

    村上春樹氏や村上龍氏と並走できることが自分にはとても嬉しいよ。心から。

    愛媛新聞の記事に満足できず、ネットを検索して、春樹氏の言葉を集めてくれたこのサイトをみつけた。
    素晴らしい労作だ。ありがとうございます。

    「チロ愛死」(荒木経惟)

    • 2013.05.04 Saturday
    • 11:06
    skyblue

     一昨日、土手沿いを歩いた時のことだ。

    土手の傍らに、雀の死骸があった。
    その死骸は一週間前にもそこにひっそりとあった。
    やがて、日差しが骸から水分を奪い取り、小虫達が、肉をついばむだろう。

    自分はただ傍らを過ぎた。

    いつか、今いる犬達も死に、
    (イタリアングレーハウンドのアイとユウは今3.5歳くらいだったろうか?)
    その先には確実に生物としての自分の死がある。

    ふと思いついて「チロ愛死」というアラーキーの写真集を探しだす。

    久々だ。

    チロはアラーキーとヨーコの愛猫だった。

    写真集は女性の緊縛写真から始まる('09.11.30)
    その「生」の傍らで、
    チロはやつれて、
    細ってゆき、骨と皮になり、
    3月2日なくなる。
    その直前に配されたのは、若い日のチロのモノクロプリントだ。

    チロがなくなったあとのページには、
    アラーキーの愛妻・陽子の棺(’90.1.29)が映しだされ、
    陽子の傍らには、アラーキーがかって撮った「愛しのチロ」の本が一緒に置かれている。
    その見開きのページの右側には、チロの骸が花に飾られて、お棺に入っている写真だ。
    そしてページをめくってゆくと、焼かれて、横たわった形のままお骨になったチロ。
    そのあと、3月8日から5月4日までは、
    自宅のベランダから映された空の写真が続く・・続く・・・。


    aiyou

    「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」+映画版「ノルウェイの森」(extended ver.)

    • 2013.04.15 Monday
    • 07:23
    コメント:村上春樹は連鎖反応を引き起こす。

    コメント:2回め。extended ver.なんか手に取るようにわかる映画ってあるもんだ。

     「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
    発売されてからたったの3日なのにAmazonみるとすごい数のレビュー!
    良きにつけ悪しきにつけ、村上春樹さんはそういうものを背負っている作家になったのだ。

    で、まだリリースされたばかりなので内容への言及は控える。

    今回の村上春樹の主人公「多崎つくる」くんは36歳で、自分の封印された過去と対峙しようとする。
    36歳にもなって?
    遅すぎると思われるだろうか?
    でもこんな世の中では、36歳は昔の24歳くらいなのかもしれない。
    だから、この小説はなにも若者に向けて書かれたんじゃないと思う。

    いろんな指摘のごとく、すべては宙ぶらりんだ。
    でも人生ってそんなもんだろ。整合性つけて未来にいけた試しがない。傷ついて傷つけてそれでもまだおろかしくあがいているんだ。
    52歳になっても過去と対峙できない人はたくさんいる、このおれのように。

    そうやって人生は前を向いてしか流れてゆかない。
    あの時彼は彼女は(たとえ無自覚だったとしても)自分に対して何かメッセージを残して去ったんじゃないか?
    去っていったヒトもいる、残ったヒトも、でも残ったヒトだって普通にやってりゃうまくいくもんでもない。

    夢のなかに出てくる殺人者が自分でも、現実の世界に生きているのが空っぽの自分でも、時は等しく過ぎてゆく。
    おれは忌まわしい過去に蓋をして生きている。
    その蓋なんてもう開けたくもない。
    でも、一番近いところで、いつだってのぞける忌まわしい過去は、ドアの向こうから艶めかしい触手でずっと誘惑しているんだ
    なんて甘美で隠微な過去。
    そのうねりの中にいっそ身を任せてしまいたいとも思う。
    今のすべてを捨てて。
    いきたい、いってしまいたい!

    じゃあなんでおれはここにとどまっているんだろう?

    その問いに対する答えは、自分で見つけるしか無いんだ、だから生き続けるしかないんだ、この世に残された生きとし生けるものは。

    そう春樹さんは言っている、と、自分は受け取った。

    そして、今日、トラン・ユン監督の映画版「ノルウェイの森」(2011)エクステンデッド・エディションの方を観る。
    (ホントは「平清盛」終わったらすぐ見ようと思ってたのだよ!)

    長い長い話だった。
    ワタナベ(松山ケンイチ)が、自分のアパートの公衆電話から、ミドリに電話をかけるシーンで、映画はぷつんと切れるように終わる。
    「僕はいったい今どこにいるんだろう」
    電話は鳴り、遠くの世界にいる人とも会話はできる。
    もしかしたら死んだヒトとも通じるかもしれない。でもそこにぬくもりはない。
    以前、「ノルウェイの森」を読んだ時自分は46歳だった。
    今、再び読んだらどんな思いを抱くだろう。
    答えられないといはいつまでたっても答えられないままだ。
    それが36歳でも、46歳でも、今の52歳でも。

    それでも村上春樹は何度も何度も問い続ける。

    昔のblog
    ノルウェイの森 に わけいる

    だからまだ生きてゆかねばならんのだよ 松山ケンイチ「敗者」を読む。

    • 2013.03.30 Saturday
    • 14:04
     今週はしんどかった。

    なぜか月一回の日赤カンファレンスも失念してしまっていたし、ホントに頭のどこからも欠落していたのだ。こんなこと開業して14年ではじめてだ。

    頭のなかでドロドロと分けのわからないものがとぐろを巻いている。その蛇は鎌首をもたげて、赤い舌をちろちろさせながら、いつでもおれに喰い付けるようにおれを上目づかいで見ている。そりゃあ蛇に上目づかいがあるのかと言われたらわからんけど。そんな感じ。

    3月は去るというがまったくそのとおりだ。

    知らぬ間に花はほころび、春が満ちている。だが人間がそう簡単に変われるのかというとそんなことはないわけで、だから毎日Sit!を重ねながら一歩でも前に進もうとする。そのより前に出ようとする意思だけが、自分を支えているのかもしれない。「鋼の錬金術師」の人造人間に、「強欲」という名前のもいたっけ。でも自分が「欲望」を失ったら、多分呆けていって崩壊が始まるだろう、精神も肉体も。

    鳥越俊太郎さんは、著名なジャーナリストだ。

    大腸がんと何度かの転移を乗り越えて、今もなおアクティブに生きられておられる。
    彼の食生活はなんと1日1400-1500calで、朝は、ジャコと豆腐・豆乳ヨーグルト・紅茶、昼は抜き、夕食は刺身とかサラダとか煮魚で、ご飯は食べないとのことだ。そして運動は週3回ジムで。
    自分も以前と比べたら随分ストイックになったつもりだが、やはり煩悩を払拭することはできない。
    炭水化物制限ダイエットも随分怪しくなってきたしなぁ(ビールは乾杯だけにしてますよ)。
    まあ、煩悩があるから生きてる人間だとも言えるんだけど。欲望の垂れ流しはいけません。

    その混迷の今週だが、頭のなかで、「WatermelonMan」が鳴り響いている。

    ハービー・ハンコックのデビュー・アルバムに収録されており、ジャズの名曲だそうだ。
    以前も書いたけど、自分はジャズにはホント疎くって、だから、こんな古典的名曲もホントに素直にsense of wonderをもって接することができる。それはちょっとお得な感じだ。
    スイカ売りの声を元にこの楽曲は作られたそうだが、脳内スイカ売りが、天秤ばかりにスイカを担いで、なぜかストリートをスケボーで駆け巡っている光景が脳内劇場で再生される。彼はベトナムの農民のようなスゲガサをかぶり、その目の光は実はとても鋭い。ウォーターメロンマンはどこにでもいるぜ、お前さんの隣にもな、いいか油断するんじゃないぞ、おれはいつもお前を見ている。そんなフレーズだ。

    松山ケンイチ氏の手による「敗者」を読了する。

    これはNHK大河ドラマ「平清盛」出演の1年にそって書き綴られたエッセイだ。
    「平清盛」が低視聴率だったから「敗者」なのではない。
    マツケンにとって、自分の役者人生の中で、ある歴史上の人物の一生を最後まで演じるのは多分はじめての経験だったろうと思う。
    子供時代の「平太」から、死ぬまでの剃髪姿の清盛まで。
    「敗者」という言葉は、それをたったの1年で演じたが十二分に演じきれなかっただろうマツケンからの、逆説的なメッセージなんだろうと受け取った。

    それにしても彼の文章は非常に清らかであり、欺瞞がない。
    この男が演技者として、まだまだ高みに登っていかんことを一ファンとして祈らずにはおれない。
    自分にとっても「清盛」のドラマは、なんだか他人事ではないドラマだった。
    一度50歳で死の淵をさまよった清盛が、再生して、そのあとでようやく手に入れた「武士の世の頂点」が、もはや武士の望んでいるものではなかったということ、それは清盛自身がもはや以前の武士ではなかったからで、全国では打倒平家ののろしが見え隠れし始めている、朝廷からも平家を疎んずる声が出ている、そんな皮肉。
    そして、滅びてゆくだろう平家の行く先を知りながらも自らは死ななければならないというジレンマ。

    「まだ武士の世は出来ていない。わしがおらねば武士の世など出来ぬ」
    熱病で63歳で死んだのに生霊になって現れ、そう言う清盛に、西行はこんなふうに語るのだ。
    「皆そうだ。清盛に思いを託した者たちもみなそのように思いながら死んでいったのではないか」と。
    そして、その言葉を聞いて、清盛は、もう敗けてもいいのだ、と、悟る。

    そうやって、ひとつの命が滅しても志は水脈の下でも引き継がれてゆくのだ・・
    だた、自分が死ぬ時が来て、そんなふうに感じたりできるのだろうか?
    まったく先は不透明だけど、そんな景色に出会えればなんて素敵なんだろうと思った。

    とにもかくにも、生きてゆくということは、なんと難しく、そして楽しいのだろう。

    だから、まだ、生きてゆく。

    【蛇足】あとがきより引用

    父になってみて、成功か失敗かということよりも、本気か本気でないかの方が大事だと確信できたことは、自分にとっても大きな変化だった。

    【蛇足その2】

    しかし、下書きはほとんどGmailでやってるんだけど、なんだか使用が変わって、使いにくくなったな。小奇麗なレイアウトではあるんだけどね・・。

    「吉祥寺キャットウォーク」byいしかわじゅん

    • 2013.03.30 Saturday
    • 07:46
    評価:
    いしかわじゅん
    エンターブレイン
    ¥ 777
    (2012-07-25)
    コメント:久々のいしかわじゅん先生^^

    評価:
    いしかわじゅん
    エンターブレイン
    ¥ 798
    (2013-02-25)
    コメント:続き読みたい!

     最近の漫画の選択肢がわからない。

    「ワンピース」も読めばいいのだとは思うのだが、なんかね〜。
    「バカボンド」も再開されたけど、連載が切れた所で心も切れたままになっている。

    それにしても、若い漫画家たちの表現力の豊かさよ。

    で、いしかわじゅん先生である。

    彼は、漫画家’s漫画家というか、通好みというか、
    でもマンガ評論してるいしかわ先生が現役の漫画家だということはあまり知られていない(ホントか?)。

    その昔、
    「パンクドラゴン」「チャンドラ」などのギャクものとか、
    リリカルなSF群たち「約束の地」「スノオ外伝」「至福の街」とか、
    みんなきっと読んだだろう、週刊プレイボーイ連載の「東京物語」!とか。
    ところであの話の最後はどうなったんだろうね?

    ・・てな訳で、石川先生の本を買って、最後まで熟読した記憶はないのに、やはりいしかわじゅんは同時代の作家なのだ。

    そのいしかわ先生が、ホームグラウンド「吉祥寺」を舞台に群像劇の連載を始めたという。
    タイトルもそのまんま「吉祥寺キャットウェーク」。

    1−2巻を続けて読んだけどこれがいい、たまんない。
    主人公のちょっといかした女の子、
    彼女の学園生活、ゲイのカップル、アウトロー、ヤクザ。
    誰が偉くって、誰が新米とかじゃない、みんなきっちりした目線で物が言える(これが一番大事なこと!)
    でもその中にも世間っていうようなものが存在しており、ちゃんと上下関係はあって、
    それでいてこのマンガはやっぱり少年漫画やら少女漫画ではなく、
    残酷に美しく、残酷に醜く、時は現実だけじゃなくって、マンガの中の誰の上にも平等に流れてゆくんだ。

    こんなマンガを書けるのは、ホント、いしかわ先生くらいのものかもしれないよ。

    参考URL

    「西行花伝」遅々ながら読み進み、やっと出家の所まで来ました。

    • 2013.03.20 Wednesday
    • 15:55
     辻邦生さんの「西行花伝」ですが、七の帖・出家のあたりまで、読み進んできました。
    大河ドラマの「西行」は、
    「私は美しくないものはきらいだ。美しく生きるのが私の志だ」みたいなことを言ってましたが、
    西行が桜や月を愛し、歌を詠んだことの中に、その台詞の背景みたいなものがちゃんとあるのにいまさらですが感心しました。

    「(略)当る当らないを喜んだり悲しんだりするのではなく、矢を射ることを楽しむべきだと諭された。当るのも嬉しい、当らないのも嬉しい、とにかく矢を射るこそのことが嬉しいーそれが雅だと言われるのだ
    「重実殿の雅論だな」
    「そうだ。だからその雅から見ると、当る当たらないで一喜一憂するのは下卑た態度なのだ。本当の弓矢の花を生きていないことになる」
    「見事な覚悟だな、重実殿は」
    「そこなんだよ、私が思案するのは。矢が当る当らないが、別々のことだとすれば、どうしてその別々のことを同じように楽しめるのか。それは、当る当たらないに共通した矢を射るという事実があるからだ。
    その矢を射るに注目するので、当る当たらないは気にならない。
    もしそうだとすれば、生きることと死ぬことが、決定的に違っていても、両方を、同じようにに楽しむことができるのではないだろうか。
    当るを喜び、当らないを悲しむのが雅でないなら、生を喜び、死を悲しむ態度も雅ではないはずだ。
    雅であるためにはーこの世の花を楽しむには、生を喜ぶと同時に死を喜ばなくてはいけないんじゃないだろうか」

    (辻邦生「西行花伝」三の帖より、p110-111)

    生と死という一見対極にあるものの中にも共通するバックボーンを理解出来れば、生死に煩わされることなく、すべての事共に喜びを感じることができるのではないだろうか。
    「すべて」が「美しく満ちた」世界を、受け止めることが可能なのではないのだろうか。

    若い佐藤義清(後の西行)はそう語るのでした。

    tamako

    そして、待賢門院璋子との夢の様な逢瀬で、
    若き武士(もののふ)・佐藤義清は、失ってしまった愛しい母を、女院の中に見出したのでした。

    いよいよ、「西行花伝・六の帖」では、佐藤義清の出家が描かれます。
    佐藤義清こと西行は、いとこで北面の武士である佐藤憲康の死を契機に、この「現世(浮世)」を超えた世界を、故郷・紀の川のほとりで、或る日、体得してしまうのでした。
    その悟り?の前では、建礼門院に対する恋心も、亡き母への思慕も、武家の世界の権力争いや、荘園でのいざこざや、それらすべてのことどもも、浮世の世界での出来事にしかすぎなかったのでした。

    佐藤義清(後の西行)に、作者である辻邦生氏は、その時の「西行」の心境をこう語らせています。

    私ははっと目覚めたような気持ちになりました。
    そのとき、重い衣のように脱げ落ちたのは、人々が事が成る成らぬでぼろぼろに汚してしまったこの浮世だった、ということに気がついたのでした。
    身が軽々となったは、浮世の外が、ただこの世の花を楽しむ空間(ひろがり)であり、雅の舞台であり、ことが成る成らぬから全く免れている場所だからでした。
    (略)
    私はこうして憲康の死の悲しみから癒えました。同時に、今までとは違った大きな心のときめきを抱いて行きられるようになりました。
    ということは、私は、今までのようには生きられないということです。

    (p208-209)

    武士を捨てて出家したものはその時代においても他にもいたでしょう。

    しかし、西行は、
    僧としての地位を極めるために出家したというよりは、
    この浮世の外の位相に自分を置きながら、
    懐かしくもあたたかい、この世を形作る花や月や空を、愛おしく抱きしめ、それらを言葉で表現することで、「真如不壊」を体現しようとしたのだと思います。

    NHKの大河ドラマ「平清盛」の西行像や、
    夢枕獏描くところの「宿神」の西行やら、
    白洲正子の「西行」やら、色んなものがミックスされて、
    まだ自分の言葉で語るには遠いのですけれど、ちょっとずつ自分の「西行」さんに近づいていきたいと思います。

    はたせるかな?

    西行NHKのセリフのサイト

    何回目かの「20世紀少年」を読み終えて。

    • 2013.02.24 Sunday
    • 15:54
    20cboys

     「20世紀少年」を再読した。

    何回目だろう?

    ともだちに扮した**くんが、自分こそが「20世紀少年なんだ!」というシーンが最後らへんに出てくる。
    ケンヂもオッチョもある意味では同様に20世紀少年だったんだろう。

    でも、このマンガ、「20世紀少年」が22冊で終わり、
    話は続いているのに、最後の2冊は「21世紀少年」(上)(下)になっている。
    ここで、ケンヂはバーチャル・アトラクションの世界ではあるものの、過去に軌道修正を加えようとする。
    なにかをやりなおそうとするのだ。

    その時点で、だから、ケンヂは自分の中の「20世紀少年」と訣別したのだと思う。

    自分自身のことに戻ると、
    「遊星仮面」や「マグマ大使」「宇宙少年ソラン」「W3」「8マン」や「スーパージェッター」の幼年期、
    「ウルトラマン」とか「モロボシ・ダン=ウルトラセブン」の少年期前半、
    マンガで強制的に割り込んできた「巨人の星」の世界はどちらかと言えば大人のほうが好んでいたような気さえする(残念ながら「あしたのジョー」ももっと年上の熱狂だった)、
    自分たちは「仮面ライダー」とか「マジンガーZ」や、アニメ版の方の「デビルマン」のほうがフレンドリーだった。
    (「ハレンチ学園」は確か小学校デイズにスカートめくりを教えてくれたが、その裏にある永井豪スピリットの凄さにはまだ子どもたちは誰も気づいていなかった)、
    そして、自分の人生を決定づけるようなマンガ「デビルマン」との出会い、
    だから、自分の中でのパーソナル・アニメは「宇宙戦艦ヤマト」がラストだったような気がする。
    そのうち自分は、かぐや姫の「神田川」みたいな世界に傾倒していって、ケンヂのようにディランを信奉する意味などなにもなく、フォークギターを手にするようになる。

    ヒトを信じ、そのヒトのために涙していれば、必ず想いは報われ、明日はまたやってくるのだ・・
    という「理由もない」オプティミズムに一方では取り憑かれながらも、
    人間の本性は「悪」なので、人類そのものが救われることなんてないんだとうそぶいていた。
    たぶんどっちもホントの自分なんだろうけど。

    自分と、ケンヂ(作者の浦沢先生)の世代は確かにかぶっている。
    月面着陸も、大阪万博もあった。
    でも三島由紀夫の自決も、浅間山山荘や、テルアビブ乱射事件だってあった。
    未来は必ずしも輝いているわけではなかったんだ。

    だから、自分は昭和の人間なんだなあと思うことはあっても、「20世紀少年」だとはあまり思えない。
    なぜなら、幼少期、残念ながら、自分はバラ色の未来を夢想することができなかったからだ。
    だから、ケンヂのように沸騰することもなく、
    灰色の70年台をやり過ごし、
    バブルの時期はせっせとなりたての「医師」の仕事に精を出し、
    今、ようやく、レアな自分を作ってくる「根源(ルーツ?)」と再び向かい合うことができるような気がしている。

    たとえそれが錯覚だったとしてもいい。
    なんどでもやり直せばいいのだから。
    もう(人生の)残り時間がなかったとしても、それはそれで仕方ないことでもあるし。

    そう、自分を形作ってきたものどもは、ほぼ10代から20代前半の中にある。
    以前坂本龍一さんもおんなじようなことを言ってたが、全くそのとおりだ。

    オレはその古い革袋をあけてその袋にこびりついた匂いを嗅ぎ、またそこで熟成された何かをいまさらのように感じて驚いて、
    そこにできうるだけあたらしい酒を注いでいく作業を続けている。

    それを人生と呼ぶなら呼んでもいい。

    よつばと!

    • 2013.02.14 Thursday
    • 15:30
    評価:
    コメント:奇跡のマンガだね!

     長い間スタッフの女の子に借りていた「よつばと!」をようやく読んだ。

    (;_;)(;_;)感無量だ。

    5歳の女の子と父ちゃんと周りの日常が延々とスローペースで続いてゆく。
    たぶん、「おひっこし」の春から、10冊の単行本を経て、秋がやっと始まろうとしている。
    その緩やかの時間の中だからこそ、主人公の「よつば」のはっちゃけぶりが、眩しすぎるのだ。

    水たまりの中にも、雷雨の中にも、
    すべり台の中にも、自転車で駆け落ちる河原にも、
    信号機の点滅にも、

    世界は奇跡で満ちている。

    この本読んでてさー、
    なんか、あくせく仕事して、あくせく計算して、誰かを評価して上下つけて、一応計算したムンテラして、
    気を使って、怒鳴って、クシュンとなって、
    そんなことどもがどうでも良くなっちゃったよねー


    ・・・・・・・・・・・・・・・。


    いかんいかん、と、ブルンブルンと頭を振りましたが、
    このマンガは逆説的な意味で「毒」とか「麻薬」なのかもね。

    120点(笑)

    さて、『よつばと!』を読んでる自分自身はどうなったかというと、
    体中の腺組織からあらゆる分泌物を放出して、下半身からゆるやかに解けて、上半身がべチャリと地面と融合して、
    もはや、そこに、『わたくし』などという「個」の存在はなく、
    アジマ先生のマンガのナメクジとか、諸星大二郎先生のドロドロの人面とか、王蟲の森みたいになって、
    地球や宇宙の一部と化して、
    よつばちゃんが自転車でこちらにやって来る轍の下で、ただただ春の訪れを待っているのです(笑)。

    日めくりカレンダー注文しましたよ、早速!

    【つけたし】
    自分にはとても解説無理なので、おせっかいですが、こんなのもありましたよということで。
    ためしよみもできます!

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