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    宮島at2013/12/22

    • 2013.12.31 Tuesday
    • 16:52


    宮島には、「グランドプリンスホテル宮島」の桟橋から、高速艇で上陸した。
     
    上陸して、海を見やると、広島側から入港してくるフェリーには、まるで難民船のように多くの人たちが積み込まれているではないか!
    いまさらのようだが、宮島やら平和公園というのは世界遺産なんだ。

    びっくり!

    港で「平清盛コース」(90分・500円)というのを見つけ、そうだこれが「平家納経」の厳島神社なんだと申し込む。
    丁寧に話していただける女の方のガイドで、13人のにわかグループは歩き始める。

    幼い安徳天皇を抱いて海に飛び込んだ時子(深キョンきれいだったなー)が流れ着いたとされる尼の州の「二位殿燈籠」、

    その横には武士の格好して写真撮ってくれるという軍団が立ってるのでパチリ、

    そしていよいよの厳島神社と大鳥居、

    ちょっと離れた清盛神社で解散。

    その横の浜ではこのクソ寒いのにシーカヤックの準備が。
    何でも満潮時には大鳥居の真ん中をくぐれるんだとか。そんなこと世界遺産でしていいんかなあ?

    NHK「平清盛」の「平家納経」の回では、
    大荒れの海を厳島に向かって進む平家一行が描かれていた。
    海は大荒れ、雷鳴がとどろく。
    すべては讃岐に流された崇徳上皇(井浦新さんの熱演だった)の呪詛のなせる技なのか、
    そして、般若になった崇徳上皇が穏やかな顔つきに戻って息絶えたとき、海は一点のくもりもなくなり、清盛一行も無事に厳島神社にたどり着き、納経を終えることが出来たのだった。 

    ・・という、その、「厳島神社」だよな〜!

    で、あなごめし。

    あなごめしといえば、宮島口の「うえの」が有名みたいなんだけど、
    宮島で喰おうということになって商店街から離れてるのに名店と言われる「ふじたや」さんに並ぶ。
    メニューはあなごめしのみ。うまかった!2300円なり。
    この値段設定で、ではどこか他の場所でもあなごを食い続けるかというとそれは微妙ではあるけれど。
    まあ当然、商店街で「焼き牡蠣」も食いました、プリプリ!
    その横のギャル曽根さんが6個食べたという「牡蠣クリームコロッケ」も!

    いや、宮島いいところだなー。

    そこから、「世界遺産航路」で、シャガール展に!

    スライドショー、いろいろやってみましたが、現時点ではこれが一番かな?順番が今ひとつ思い通りにならんのだけれど。

    色川武大「狂人日記」を再度読み終えた。

    • 2013.12.30 Monday
    • 14:47
     色川武大「狂人日記」をおれは読みきることができるのだろうか?

    というエントリーを書いてから約一ヶ月。色川武大「狂人日記」を再度読み終えた。
    以下はその走り書きというか殴り書きみたいな覚書である。

    irokawa

    2013年12月30日

    理解しようと思って読むからいけないのだ。そう思う。
    しかし自分にはそういった読み進め方しかできないのだ。

    岩山を両手だけを使って這い進むように「狂人日記」を遅々たるも一度は読み終えたのだった。
    そして、色川武大のことを書いたといわれている、伊集院静氏の自伝小説「いねむり先生」をkindleで読み、
    実世界で色川武大氏のパートナーを20年間務めた色川孝子氏の、「宿六・色川武大」というエッセーを、古書で取り寄せて読んだ。
    そうして、実際の色川氏のことを知ったようなふりをした上で、また、「狂人日記」を読み始めたのだった。

    無論そんな読み方に意味など無い。
    無粋な読み方だ、とも思う。
    しかし自分はそんなアプローチしかできなかったのだ。

    小説は、主人公の「キチガイ病院」への入院から始まる。

    宇宙型の蜘蛛や、猿や、遠くて近い和太鼓の音や、幻聴や、自分の体から生えてくる死人や、自分を付け狙う蒸気機関車や、自分を殺しにくる小人のスペイン人たちや、いろんな幻覚と主人公は共生している。

    やがて扉を通り、窓に黒いカーテンがかかった部屋の中央でとまる。そこには白衣の人たちが大勢居る。
    自分はもがこうとするが身体が動かない。
    長い金属の棒を組み合わせてできた機械や、鋭い錐が垂れさがった機械が眼に入る。
    やがて一人が横に立ち、大きな鋏で夜具を切り裂き、ついでに小さな男根を握って二つに裂く。鋏はそのまま伸びて下腹部から胸に。何人かが皮を剥ぐようにし、しゃべり合いながら内蔵を一つずつ取りだして、椅子の上に順においていく。最後に腸を、消防のホースのようにまるめておく。内蔵たちは鋭い光沢を放ち、それぞれくたびれたように身動きしない。肝臓に、金蝿が一匹とまっている。一人の男が、こちらの胴体、つまり皮を持ち上げたりして何かを探している。他の人たちもいっせいに、くまなく点検し、中には顔までさわる奴がいる。それからガヤガヤしゃべりながらどこかへ行ってしまう。(p70-71・福武文庫版・1993/10/5第1刷より)

    とまあこんなすごい感触と主人公は同棲しており、そこには発展もなくなんの必然もなく、他人もこんなこと共とともに寄り添って生きているのか、ただそれを出さないだけなのか、と、淡々と主人公は語るのだった。

    吾妻ひでお氏の「失踪日記」や、最近の「アル中病棟(失踪日記2)」を読んでも、そんな幻覚との共存の一端を垣間見ることができるが、それを「解釈」しようと思うところで、もう、自分は「狂人」ではないんだなあ、「凡人」なんだと思わされる。
    だからこの「狂人日記」に対する接し方は、やはり文学的興味でいいのだと、またまた自分に言い聞かせてはみるのだが・・。

    小便のように涙が流れる。さほど哀しくもないのに。多分、涙を流した後、また少し気力が戻るのだろう。(p123)

    園子が死んだ夜、あいかわらず無表情に静まり返っていた世界。
    園子にも、園子が死んだことにもそうだけれど、園子が死んでも何の変化も見せない空の色なんかが納得できない。そういう実感は年月がたっても微動もしないで喉もとにひっかかっている。理屈とも関係ないし、現実とも一致しているわけでもない実感という奴は、ただそうやって閉鎖しておいておくよりしかたがない。
     (略)
    自分は、正気と狂気の間を行き交いながら、いつも自分の狂気のことを考える。正気についても考える。どちらについても明快な認識が得られない。ただ、両方を行き交う気配について鋭敏になるだけだ。そうして自分と他人の違いについても鋭敏になろうとする。(p134)

    引用ばかりで申し訳ないが、こうやって印象に残ったところを打ち込んでいても、やはり核心からは離れていく一方だという忸怩とした思いもあることは確かだ。何もかもが意味があるわけではなく、何もかもが納得の上ではなく、それでも受容して日々は成り立っているというような当たり前のこと。それはたしかに理屈ではないが、さりとて実感でもなく。

    この、以下の透き通るように美しい散文詩のような文章は、なんの関係もなく小説の中で出てきたのだった。
    あまりにも美しいセンテンスたち。頭のなかに突然湧き上がるイメージ。
    生きているものも死んでいるものもいつかおんなじ次元に居るようになる、これは歳を取ってくるにつれ、(正常人たる)自分にも了解可能になってきた認識でもあった。だから誰も死んじゃいないんだって認識。だから現実世界で自分のおふくろがいないことも、自分がやがて滅することも自分にとってはそんなには問題ではないんだ。
    脇道にそれたので戻すけど、この美しく湧きいでる泉のようなイメージに、自分は宮沢賢治を重ねたりもしたのだった。例えば永訣の朝とか、クラムボン(宮沢賢治の「やまなし」)とか。

    たくさんの人の声が耳の中できこえた。彼は沼の水を呑んでいたんだよ。彼は泥の中に入って溺死したんだ。彼とは誰のことかわからない。彼は自殺したんだよ、することがなかったから。彼は逃げたよ。死んじゃいないよ。彼は中毒死だよ。死体が変色していたって。彼は、とても医者を怖がっていたよ。(p147)

    主人公は、病院で知り合った若い女と、外界での生活をはじめる。そして、幻覚か、夢か、リアルか、わからないものに喰いつかれ侵されながら、こう思うのだ。

    どうしたらいいだろう。
    自分は誰かとつながりたい。自分はそれこそ、人間に対するやさしい感情を失いたくない。(p179)

     圭子と一緒にいるのが心苦しい。ほとんどまるごとの負担を彼女にかけながら、なおその上に自分の都合に沿ってくれる女を期待している。自分はいつか彼女に捨てられるだろう。
     自分はわがままで身勝手で、病者というより欠陥者だ。人に甘えることを知らずに過ごしてきたような実感があるが、とんでもない。絶えず人に頼らねば生きてこれなかった。弟に頼り、女に頼った。それがあるものだから、自分の主張や望みをストレートに出せない。
     自分は生きるに値しない。それを記せば実も蓋もない、のだから嫌になる。生きるに値いしないが、生きないわけにもいかない。医者のいうとおり、病院は休むところだった。生きるに値いしないということを、しばし忘れさせてくれた。
     ところが、結局、休んでいたくもないのだ。何とかして自分も生きたいのだ。弟や圭子を喰ってでも。
     医者はどちらかに態度を定めろという。まことにもっともだけれど、それは他人の言い草で、どちらに徹しても、自分としては元も子もないようなものを放棄することになる。で、一方で心苦しさが増し、一方で欲求不満も増す、そのはざまのところであえいでいるほかはない。
     自分をそういうところに追い込んだ犯人は、病気か。さて、それはどうだろう。卵が先か、鶏が先か。(p235-236)

    そして、物語は終末を迎える。一切喰わずに死のうと決意する主人公。たくさんの人や獣が現れる。死んだ父親や、幼いころの街の人々や、死んでしまった犬も。彼らはただあわただしげに歩いているだけだ。そして同棲している彼女の叫びはもはや現実か幻かわからない。和太鼓の音が近づいてくる。

    「いつ頃からか、はっきりいえないがね。人間というやつは、とことん、わかりあえないと思っちゃったよ。服装や言葉や生活様式や顔つきまで似てくれば似るほどに、似ても似つかない小さな部分が目立ってきて、まずいことに、皆、その部分を主張して生きざるをえないものだから、お互いに不通になっちゃう。病気になって、はじめて病人のことがわかったかと思ったが、これが全然わからない。多少わかるのは俺の状態だけだ」(p260)

    ああ、終わってしまったよ。
    書けば書くほど、引用すればするほど、指の隙間からボロボロとなにものかがこぼれ落ちてゆく。
    リアルワールドの色川武大氏はこの作品で、1988年に「読売文学賞」を受賞し、その2ヶ月後の4月10日に心臓破裂で亡くなられた。
    色川孝子氏の夢枕には、オレは天国にいるんだ、と現れたらしいけど・・。

    果たしておれはまた「狂人日記」を読むだろうか?わからない。
    ただ言えるのは、幾度、犬が臭いをかぐかのごとく周辺を巡ってみても、どこにも辿りつけないということだ。
    すべての問いは「狂人日記」の中にしかないからだ。
    そしてどこにも答えなどないのだ。

    シャガールの絵から柔らかい光が降り注いでた (2013/12/22atHIROSHOMA)

    • 2013.12.29 Sunday
    • 13:49
    DSCF0390

    宮島から、広島の中心を流れる本川を経て、原爆ドーム前までたどりつくのが「世界遺産航路」だ。
    宮島でこのコースを見つけた我々は、あなごめしを喰ったあと、商店街で焼き牡蠣とついでにクリームコロッケも喰って、この船に乗り込んだ。
     
    海から少し川をさかのぼったあたりで、甲板に出て、ゆりかもめの接待を受ける。
    何でも餌付けしてる人がいるんで人に慣れてるとか。
    船員さんの下さったパン屑を空中に投げ上げると、それまで風のなかで止まったかに見えたゆりかもめたちは、すっと動いて器用に餌をついばむ。


    Untitled

    さて、今回の広島探訪の目的は、広島県立美術館で12月25日まで開催されている「シャガール展」だった。

    シャガールといえば、中学校の教科書とかにも載ってるので、絵を見せられると、みなさんが、ああ、というあの作家である。
    「愛と夢と幻想」と呼ばれる画家である。

    空をとぶ婦人やら、よくみると絵の端っこにはロバの横顔だったり、牛だったり、似たようなモチーフが繰り返し登場し、宗教色も強い。
    全体の色合いが原色をあまりいじっていないようなパステルタッチなので、
    ビギナー向けのようでもあり、
    美術少しでもかじった人は「ああ、シャガールね」って、
    ちょっと卑下したように言いがちなあの作家である。

    でも、彼の大作の前に立つと、
    心が体ごと浄化されていくような浮遊感を覚えるのだ。
    まるで、青い草原に立ったナウシカのように。
     
    今回、パリのオペラ座の天井画(シャガールがこれにとりかかったのはなんと76歳の時だった!)のスケッチから、
    陶器、タピストリー、壁モザイク、と、巨匠の多岐にわたる作品が垣間見れた。
    できれば、シャガールが晩年を過ごした南仏の街サン・ポール・ド・ヴァンスの光の下で、本物のそれらに会いたいものだなあと思う。
    (ニースには「国立マルク・シャガール美術館」があるのだ。)

    DSCF0389
     
    写真は、県立美術館の壁にかけられていた、シャガールの原画に基づいてイヴェット・コキール=ブランスが制作したタピストリー「平和」だそうだ。
    tweetしたら、以下の様な回答をご丁寧に頂いた。
     
    >ロビーのタピスリーはシャガールの作品《平和》です。
    >本展の最後に展示されていた《ニューヨーク国連ビルのステンドグラスのための最終下絵「平和」》から2枚のタピスリーが生まれ、そのうちの1点が展示されています。
     
    覚書のために書いておくが、
     
    自分が最初にシャガールを特別な存在として意識したのは、
    岡山の百貨店「天満屋」で開催された、一連の「ダフニスとクロエ」というリトグラフ展だったんだと思う。
    高校生ぐらいの自分はなんかを感じ取ったんだろうね。
    天満屋ついでに思い出したので書いとくけど、その百貨店で小学校の時に観た「アウシュビッツ展」も衝撃的だった。
    人体の脂から石鹸を作るために作られた中央に向かって傾斜した床とか(そこでユダヤ人は焼かれたという)、ユダヤ人の髪の毛で作られた縄とか、
    信じられないものを目の当たりにして、
    それが小学校高学年の永井豪の「デビルマン」との出会いで加速されて、幼少期の自分の中に消えることなく穿たれてペシミスティックな感情の一端となっていったんだと思う。
    だから、今は結構能天気である自分の中に、時に、絶望的な思いが渦巻くのと同様、
    実はロシア系ユダヤ人であり、世界を最後まで放浪したシャガールのあのにこやかな笑顔の裏にも、
    そのペシミズムは最期の時まで穿たれていたんじゃないか・・などと勝手に思うのでした。
     
      Untitled

    SILENT NIGHT,HOLY NIGHT

    • 2013.12.24 Tuesday
    • 21:34

    完璧な恋愛はない。
    完璧な人生がないのと同様に。

    人生はだらだらと続き、ある日ぷつんと途切れる。

    おかしいなあ、聞こえないなあと、受話器を置く。
    さっきまで、あんなに耳元近くであの娘のウイスパーボイスが聴こえてたのになあ。
    糸電話の線をたどってゆくと、ある場所で急に糸がぷつんと、切れた時の音までがわかるくらいの感じで切れており、そこから先はnothing、なにもない。
    線の先はどこを探しても見当たらず、そこですべての関係性もすっぱりと終わっている。

    Nothing on nothing.

    初めからなあんもなかったのかもしれないよな、だったらさみしくなんてなりっこないよ、
    そんなふうにせいぜいうそぶいてみる。

    さみしいけれど、いくらネットの上で知ったかぶりをしてても、一方的に姿を消されたら探す手立てなんてない。

    ボクはその時まで、まだ実は決まっていない、「あめり」に送るはずだったクリスマスプレゼントのことを考えていたんだ。

    でも、彼女がこうやって姿を消してみると、
    彼女に連絡する手段が何一つないことに改めて気付かされたっていうおマヌケな展開だったってわけだ。

    そもそも、ほんとに「あめり」って女の子はこの世に存在してたんだろうか?

    誰かの何かの悪い冗談で、つくりだされた存在、もしかしたら自分の妄想?
    いや、彼女の痕跡は、あそこにもここにも、ほかならぬ自分の脳髄に染み付いているじゃないか。

    でも、それが自慢になるかといえば、なあんも。

    彼女の声と笑顔は手を伸ばせば届くくらい近くにあったはずなのに
    もうすでに非現実で包まれてはじめており、チェシャ猫みたいに浮かんだままで溶けて消えていったんだ。

    あのウイスパーボイスの余韻だけを残して。

    「メリー・クリスマス、
    クリスマスにはきっと雪になって、
    それでね、暖かい部屋でとびっきり薄着で過ごすのよ、
    セクシーでしょ、シャンパンで乾杯は絶対よね、
    みんながね、楽しいことだけを考えて過ごす夜に、サンタを待ちながら眠るように死んじゃうのってとってもステキじゃない、
    ほら、トナカイの足音や、ジングルベルで浮かれた街や、イルミネーションを思いながらね、
    そして、
    そんな光景の傍らにいた女の子のことも覚えていてね・・
    ずっと、ずっと、
    そしてね、あめりがぐっすり眠れるようにキスして欲しいの、
    甘い甘ぁい綿菓子みたいに溶けちゃうようなキッスをね・・
    メリー・クリスマス、
    ほらいったとおり雪になったでしょ、きっと街は渋滞だわ、おやすみなさい・・」

    通話が切れる。

    窓を開けるとしんとした大気が部屋に流れ込んでくる。
    確かにsilent nightだ。
    潤んだ視界に映る白い雪は、やがて、もっともっとぼやけ始めた。

    SILENT NIGHT,HOLY NIGHT.

    だから僕は、もっともっと誰かを好きになってくだろう。

    たとえそれがそんな終末を迎えようと、僕らはまだまだ誰かを好きになって愛して、そして生きてくんだ。

    あなたに愛をささやくにはまだ遠いおれの「バードランドの子守唄」

    • 2013.12.13 Friday
    • 17:11



     
    崩壊しかけた頭で、伊集院静の「いねむり先生」をkindleにDLする。
     
    阿佐田哲也(=色川武大)さんとの交流を描き、かつ、夏目雅子を白血病でなくした伊集院氏の再生の物語でもあるそうだ
    その中に例の「狂人日記」のフレーズも引用されているというのだ。
    色川武大「狂人日記」をおれは読みきることができるのだろうか?

    たしかに、人は人によってしか救われない、のかもしれない。
    でも、自分を救うのも自分で殺すのも最終的には自分だ。
    自分の中の何かがヒト(他人)を触媒として化学変化を起こすのだろう。
    だからヒトありきの前に、化学変化を起こす自分の側のファクターのほうが、歳をとってくるとより難易度が増すのだと思う。
    歳をとってくると、自分で積み上げてきたしがらみが自分を救い上げている人よりも、潰している人の姿のほうをよく目にする。
    そしてそれは、その人が長い人生の中で自分で築き上げてきたものなので始末におえない。
    それを平たい言葉で言うとその人の「生き様」とかいうのだろうか。

    ブツブツ言ってる暇があるんだったらやれよ、ってことでしょうかね。
    口開けてても、天から金貨は降ってこねえよ。
    まあわかりきった手垢のついた言葉は若造にしか使えないタームなんですけどね。

    ナベサダさんにしても、JUJUさんにしても、音楽に対する「愛」はもちろんだけど、すっごいエネルギーを自分に注ぎ込んでる。
    そんな人達の口から出た言葉たちだから、内容がたとえ一緒だったとしても、僕らの心をあんなにも射るのだろう。

    ただ芸術は残酷なもので、努力したヒトが決して報われるわけではないという、神の残酷さも兼ね備えているのだけれど・・。

    だから、とにかくおれはおれの事で今日も精一杯で、
    時には後ろを振り返るけど、前に広がる荒野を眺めて、ため息をつきはするものの、やっぱり歩く支度を始めるのだろう。
    でも、矛盾はしてないと思うのだけど、
    その自分の人生を取り囲むようにいろんな他者との関係性が存在し
    その密度はどんどん濃密になっており、
    それは自分の人生の濃密さと比例しているのだと信じているのだけれど。

    昨日のSaxのレッスンで「バードランドの子守唄」を吹かせてもらった。
    先日風邪の時に観たアニメ「坂道のアポロン」でも使われていた。
    あの手嶌葵さんが歌われていると知る。
    いい、実にいい。
     
    楽曲には、半音が駆使されており、おれの指は容易に動かない。
    ちくしょおと思いながら、先生と2小節ずつ交互に吹く。もつれる。ぶれる。
    おれのはまだ「バードランドの千鳥足」くらいだな。

    あなたに愛をささやくにはまだ遠いおれの「バードランドの子守唄」・・

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