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  • 2014.04.04 Friday

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    such a wonderful morning

    • 2013.09.29 Sunday
    • 07:43


    おはようございます。

    ホテルメトロポリタンエドモント(飯田橋)、東京の朝です。
    昨日の飛行機で、ヘミングウェイの「日はまた昇る」の新訳を、やっと読み始めました。大学生の頃からなので30年ぶりくらいですか。
    主人公のジェイクは戦争で男性性器を失っています。ヘミングウェイの世代をロストジェネレーションと呼びましたけど、我々だってとっくに失われた世代なんだと思います。
    もうしばらくしたら、ミケランジェロ展に出かけます。
    昨日は、東京に来たら生きているうちに一度は行ってみたいと思っていた、林シェフの店に行くことも、あっさりかないましたので、なんだか腑抜け状態ですけど。

    モバイルでアップするのはいつぞやの羽田空港以来のような気がするなあ。

    とりあえずアップしてみます。

    「考える生き方」という本を読みました。

    • 2013.09.27 Friday
    • 12:56
     病室でいつも二言目には「しんどぉい、しんどぉい」と叫んでいた爺さんがいた。
    彼もとっくの昔にいなくなった。
    Restの時が来て、彼は目を閉じたまま、息することをやめる。
    自分の骸から起き上がり、振り向いて息をしていない自分を見て、そして傍らで立ちすくんでいる親族に深々と一礼をする。
    病室のドアの向こうにある見えないドアを開けて、彼は出て行く。
    果たして彼は「しんどい」(と叫び続けた)人生とはおさらばできただろうか?

    それにしても、爺さん、まったくheavyだよな。それはまちがいない。
    確かに生きるってことはしんどすぎるよ。まったくあんたの言うとおりさ。おれも毎日叫んでるよ、心の中では。

    ある日の夕刻、ベランダに犬たちを放ち、座して、水を飲みながら、アルファブロガーであるfinalventさんの「考える生き方」という本を読み始める。
    やがて犬達は、主にちょっかいかけるのも飽いたのか、おれの隣に座した。
    でもちょっと体を動かすとすぐに、アイ(雌)の方は口を舐めにくるし、ユウ(雄)は肩に抱きついて腰を振りにくる。
    お前ら犬なんだからもっと走りなさいよ、と言っても、あきまへん、なかなか二人で滑走してはしてはくれぬ。

    くれぬくれぬでは日も暮れぬ。

    finalventさんは55歳でこの本を書いた。

    彼の人生は、自分で言うよりも波瀾万丈の人生であり、彼が自らを宣言するような負け組という感じは決してしない。
    ちょっと自分より先輩である彼が、自分の言葉で自分の半生を語るのを、興味深く読み進めた。
    もともとgodmotherさんという、blogを通じて知りあわせていただいた彼女が、自分の文章の中でも時々(しばしば)finalventさんを語っており、
    それで、この本が上梓された時からずっと読もうと思っていたのだ。



    ・考えて了解する人生は誰もが実現できる。 
    考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。

    ・失敗を都合よく考えようというのではない。失敗は受け取るしかないが、失敗の意味を理解して生きるのは自分だけ、ということだ。

    ・自分で考えた分の答えしかない。

    ・もし私が催眠術にかけられて、「年はいくつですか」と問われるとしたら、きっと私は最初「55歳です」と答えるだろうが、「では、心の年齢は何歳ですか」と再度問われたら、「35歳」と答えるような気がする。 
    35歳で心の成長が止まったような気がするのだ。 翌年の36歳に結婚したからかもしれない。 結婚前と結婚後と、何か別の自分が二人いるような感じがする。 結婚後の生活を無意識に否定しているのかもしれない。
    よくわからないが、夫婦という性的な関係を自然に受け入れているとき、個人の自意識と何かずれるのではないだろうか。 あるいはもっと広く、普通の生物として、食べて寝て生殖してという生活をこなしているときの意識と、「自分ってなんだろ」と自分のことを考えているときの意識と何か違うからだろうか。 思春期のころ、世の中の大人はみんなせっせと性行為をしているんだと思って、ぐへーっとなった。その気持ちが、すっかり、ぐへーの側になったのに残っているのだろうか。 うん、残っているな。55歳にもなってだよ。 いずれにせよ、心のなかの年齢は止まっている。

    こうやって引用すると当たり前みたいだけど、なんだか「そうなんだよね」とうなづける部分も多々あり、
    「自分」の人生を自分の足で生きてるってこと、決して誰かのせいにしない、ってことを自分もまた噛みしめて前に進もうと思った。

    まあ詳しいことを知りたければ、読んでくださいってことになるんだけどね(大量に引用するだけじゃ能がないからね)。

    でも、しんどい自分も含めてみな自分、と、相田みつを先生のようにつぶやくよりは、SAXをヘロヘロ吹いて「よっしゃあもう一本行っとけやぁ〜」と叫ぶことにしましたけど。

    PAINT IT!

    • 2013.09.26 Thursday
    • 07:33
    IMG_0046

    書けば書くほど輪郭はぼやけていく。

    細部を描こうとしているうちに描こうとしているものの輪郭がぼやけてゆく。
    虚空の中につかもうとしたものはもうそこにはない。

    例えば少女の笑みはたやすく老婆のミイラに変じ、触れば一握の砂のごとく溶けてゆく。
    運慶は、樹の塊の中から仁王像をレスキューした。
    ミケランジェロは大理石の塊からダビデを解き放った。

    酔っ払って描くおれの絵とおれの書く文章は相似なのか。

    何度もトレースしなおし、目の前でグラス片手に笑ってる彼女の顔は、ほら放射能でメルトダウンだ。
    顔無しがここにもそこにも。
    そりゃあ、消しゴムも使わないし、ただのボールペン画だし、言い訳なんぞなんぼでもできる。
    それ以前に誰も注目してないし。
    そこに映っているのはおれの心象風景?

    でも神様は見捨てるわけでもなく、たまに奇跡をくれることだってある。
    だから、こうやって性懲りもなく描き続けている。

    でもたとえば宮崎駿は確信犯だ。
    だから誰がなんと言おうと「風立ちぬ」はロジックを超えて確信に満ちた作品となった。
    それは素人のおれが、彼のライティングをを見ててもわかることだ。
    クラリスもナウシカもポルコ・ロッソも堀越二郎もきっちりと生きている。
    今も、そして、これからも、きっと生き続けていく。

    だとしたらおれにかけているのはただの「確信犯的信念」だろうか。

    線は定まらず、ためらいはまた輪郭をますますぼやけさせてゆく。

    言葉にすればするほど思いは急速に醒めてゆく。
    熱はどこかの亜空間に吸収され、冷えた身体だけが残る。
    キミが好きだよといったハシから醒めてくように。

    こんなことだったのか?
    こんなもんなのか?
    ここまでなのか?

    酒によって酩酊した頭で見ていると、急に、霞の向こうの晴れ渡った空に全てが開けることがあるんだ。
    錯覚か蜃気楼か、妄想か現実か、夢か現(うつつ)か。
    もう一杯の黄金杯を求めて、あまたの人間が目の前の崖を奈落に向かって滑落していった。

    それでも、奴もおれも、性懲りもなく「もう一杯」というだろう。

    枯渇とか老いに怯えつつ、生きて、生きて、息をして。

    write on 2013.9.25

    「プテチゲ」とSee The Sky About To Rain(Neil Young)

    • 2013.09.23 Monday
    • 15:30

     しんどさのさなか、韓国粉唐辛子をたっぷり最後に散らした「プテチゲ」を作って食べた。

    汗が次から次へと吹き出して、テーブルにぽたぽた落ちた。
    4回洟水をかんだ。
    その時は、身体中のなんだか悪しきものが放出されたような気がしたのだが、唐辛子の熱が冷めると、やはり体はうすらぼんやりしただまだった。
    この体の居心地の悪さはナニモノにも変えがたかった。
    寒いのか暑いのかわからず、とにかく体をぐしゃぐしゃにしながら、ベッドに横たわった。

    浮遊感の中でNeil Yougを聴いた。

    see the sky about to rain
    see the sky about to rain

    雨が振りそうなどんよりと低く垂れこめた空。
    寂れたビーチには、派手なパラソルがなぜか残されている。
    もう夏も終わったというのに。
    もう夏も終わったというのに。
    この海で一夏の恋も生まれた。この海で今年も何人か死んだ。

    Who can tell your story?
    Who can tell your story?
    Who can tell your story?

    「シャイニング」で狂いかけた作家のジャック・ニコルソンが、変な文章を延々とタイピングする、あのシーンのように、ニールの声が夢のなかで反復される。
    CDは終わったはずなのに夢の中にその声は侵入し、それを夢だと思いながら抗えないでいた。
    なにかしなければいけないことがあったようなのに、そしてそのことをホントはよく知っているはずなのに、身体は重く動かず、意識だけがうつろにカラまわりする。
    どこにもたどりつけない。
    そのジャック・ニコルソンも現実世界では記憶障害となり役者をリタイヤしたというではないか。
    いや、ジャックは、あのホテルの亡霊共に導かれて、魂はホントはあっちの世界にいるので、リアル・ワールドではもう抜け殻なのだ、と、そんな風にも思って納得する。

    うんうん。

    翌朝、目が覚めたら随分と身体が軽くなっていた。

    そんなわけで、毎度で申し訳ないが、自分の物語は自分で紡ぐために、また目を覚まそうと思うんだよ。

    Shining again

    全てを風邪のせいにしてはいるのだけれど・・。

    • 2013.09.21 Saturday
    • 14:14
     元気が無かったり、心にゆとりがないと、こうやって文章も書けない。

    ほんとにしんどい時は、貝のようにすべてを閉ざして膝をかかえて目を開けないでいる。
    だからブログ書いたり、SNSに書き込みできるってことは、少なくとも打ちのめされていたとしても「何畜生め」という気概のあるときなんだと思う。
    もちろん平和な日常が波風なく続いたりしてる時が一番いいんだろうけど。
    松本零士先生「男おいどん」世代なので、お前ら今に見ちょれよーと膝を抱えてただただ眠るのが性に合ってるんで、どうしてもナニクソのほうが勝ってしまいます^^;
    そして、これまたホントに高揚してる時は、言葉はその時はついてこないので、その高揚してる瞬間の記録はすっぽり抜け落ちたりすることもある
    だから、自分の書いた文章を読み返していると、実際の自分とはまたちょっと違った自分がいたりして、面白かったりするのだ。

    そういうわけで、やっと外来が終わりました。
    実はまだ弱ってます。
    そんな状態なのに、昨夜は、ずっと懇意にしてきた方の結婚お祝い件送別会という特別の夜で、ふらふらしながら出かけたのでした。

    おめでとう!と乾杯して、
    ウイリアム王子の結婚式で供されたシャンペン(ポル・ロジェ)を手渡したんですよ。
    ね、なんかいいでしょ。
    「シャンペンはうたかたの泡、結婚もねー、うたかたの泡みたいなもんだからねー、その泡が消えてから先がホントの人生だからねー」
    とか、酔ってもないのにへろへろのトーンで(ホント頭が微熱のせいでボーっとするのだよ)言ってはみたものの・・その話には食いつきはなく、
    彼女は今後の生活とか、家電の話とか、料理の話とか、語ることは当然未来のことであり!

    まったく大きなお世話さんでした。わははは。しょうがねえなあ、おっさんは。

    彼女はまあそんなに若いわけでもないので、話は結婚だけではなく、いつものよもやま話に変わっていったのだけど、
    それにしても、若い人から見ると、人生は長く、目の前に横たわっている砂漠の向こうに、夢の国があるのか、オアシスがあるのか、はたまた蜃気楼だけなのか、それだけでワクワクなんだろ〜な〜と疲れたおっさんはウンウンと頷いて焼酎をあおるのでした。全てを風邪のせいにしてはいるのだけれど・・。
    年月が過ぎて、50歳を超えて、気がつくと此処にいた・・という表現は、ある程度年配の方なら納得いただけるだろうけど、
    それでも、あの時こっちに曲がっていればよかったなあ、とか、あの時あいつに邪魔されなければなあとか、してもしきれぬ後悔なんざいくらでもある。
    でも、過ぎてみるとそれは大半は自分に帰属するものなのだろう。
    それは誰のせいでもない。
    どんなに他人のせいにしかならないようなくやしいできごとだって、最後は自分で引き受けないと「自分の人生」にならないのだろうと、今は思う。

    ところで自分も早速iOS7にupdateしてみましたよ。

    このiPhoneのお祭り騒ぎを観てると、でも、もうこれ以上のものなんてそうそう必要なんだろうか?とさえ思ってしまう。
    いや、負け惜しみではなく。
    もうこれくらいのスペックで十分でしょ。
    ちなみに自分は4sという2世代前の機種である。
    だから待ちに待ったdocomoからのiPhoneではあるが今のところは静観している。
    昨日飲んでて映しだされたTVスクリーンで、発売日まで10日間並んだあんちゃんのインタビューがあったけど、彼は全部有給消化だそうだ!
    来年以降も、appleがなくならない限り毎年リリースされ続けるであろう工業製品であるiPhoneにそれだけの情熱をかけることになんの意味があるんだろう。
    ヒトにはヒトの人生があるんだろうけど、なんかやっぱり薄ら寒いんだ、その光景は。

    薄ら寒い光景を、そして誰かさんのせいにしていては始まらない。
    じゃあどうしたらいいのという考えが浮かぶわけでもなく、全てを風邪のせいにしてはいるのだけれど・・。

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