ほんとにしんどい時は、貝のようにすべてを閉ざして膝をかかえて目を開けないでいる。
だからブログ書いたり、SNSに書き込みできるってことは、少なくとも打ちのめされていたとしても「何畜生め」という気概のあるときなんだと思う。
もちろん平和な日常が波風なく続いたりしてる時が一番いいんだろうけど。
松本零士先生「男おいどん」世代なので、お前ら今に見ちょれよーと膝を抱えてただただ眠るのが性に合ってるんで、どうしてもナニクソのほうが勝ってしまいます^^;
そして、これまたホントに高揚してる時は、言葉はその時はついてこないので、その高揚してる瞬間の記録はすっぽり抜け落ちたりすることもある。
だから、自分の書いた文章を読み返していると、実際の自分とはまたちょっと違った自分がいたりして、面白かったりするのだ。
そういうわけで、やっと外来が終わりました。
実はまだ弱ってます。
そんな状態なのに、昨夜は、ずっと懇意にしてきた方の結婚お祝い件送別会という特別の夜で、ふらふらしながら出かけたのでした。
おめでとう!と乾杯して、
ウイリアム王子の結婚式で供されたシャンペン(ポル・ロジェ)を手渡したんですよ。
ね、なんかいいでしょ。
「シャンペンはうたかたの泡、結婚もねー、うたかたの泡みたいなもんだからねー、その泡が消えてから先がホントの人生だからねー」
とか、酔ってもないのにへろへろのトーンで(ホント頭が微熱のせいでボーっとするのだよ)言ってはみたものの・・その話には食いつきはなく、
彼女は今後の生活とか、家電の話とか、料理の話とか、語ることは当然未来のことであり!
まったく大きなお世話さんでした。わははは。しょうがねえなあ、おっさんは。
彼女はまあそんなに若いわけでもないので、話は結婚だけではなく、いつものよもやま話に変わっていったのだけど、
それにしても、若い人から見ると、人生は長く、目の前に横たわっている砂漠の向こうに、夢の国があるのか、オアシスがあるのか、はたまた蜃気楼だけなのか、それだけでワクワクなんだろ〜な〜と疲れたおっさんはウンウンと頷いて焼酎をあおるのでした。全てを風邪のせいにしてはいるのだけれど・・。
年月が過ぎて、50歳を超えて、気がつくと此処にいた・・という表現は、ある程度年配の方なら納得いただけるだろうけど、
それでも、あの時こっちに曲がっていればよかったなあ、とか、あの時あいつに邪魔されなければなあとか、してもしきれぬ後悔なんざいくらでもある。
でも、過ぎてみるとそれは大半は自分に帰属するものなのだろう。
それは誰のせいでもない。
どんなに他人のせいにしかならないようなくやしいできごとだって、最後は自分で引き受けないと「自分の人生」にならないのだろうと、今は思う。
ところで自分も早速iOS7にupdateしてみましたよ。
このiPhoneのお祭り騒ぎを観てると、でも、もうこれ以上のものなんてそうそう必要なんだろうか?とさえ思ってしまう。
いや、負け惜しみではなく。
もうこれくらいのスペックで十分でしょ。
ちなみに自分は4sという2世代前の機種である。
だから待ちに待ったdocomoからのiPhoneではあるが今のところは静観している。
昨日飲んでて映しだされたTVスクリーンで、発売日まで10日間並んだあんちゃんのインタビューがあったけど、彼は全部有給消化だそうだ!
来年以降も、appleがなくならない限り毎年リリースされ続けるであろう工業製品であるiPhoneにそれだけの情熱をかけることになんの意味があるんだろう。
ヒトにはヒトの人生があるんだろうけど、なんかやっぱり薄ら寒いんだ、その光景は。
薄ら寒い光景を、そして誰かさんのせいにしていては始まらない。
じゃあどうしたらいいのという考えが浮かぶわけでもなく、全てを風邪のせいにしてはいるのだけれど・・。