シャントは詰まる。外来患者さんは休みだというのに呑気にやってくる。外の空気は熱気とともにあけたドアから押し寄せる。
学会のスライドの手直しをしているともう夕方だ。
ジョン・レノンの歌に「I'm losing you」という切実な歌があった。
その歌を聴いていると、撃たれたレノンが血まみれになりながらこちらに向いて、っていうか、Yokoに向かって手を差し伸べながらなにか言おうとする映像がいつも脳裏をよぎるのだった。
それはもうあらかじめ頭にインプットされたみたいにこの何十年もあらわれる。
もう条件反射みたいなものなんだろう。
その曲を初めて聴いたあのレコード屋の空気を今でも思い出すことができる。
そんな風に、いろんなことに自分で「枠」をはめていってそこから出られないのはいいことでもあり悪いことでもある。
でもそんなふうにしか自分は歳をとっていけないのだと思う。
誰かを失うってことはどういうことなんだろう。
でも誰かを失うって言えるっていうことは、その誰かさんとの関係性が、とっても重要だったってことなんじゃないのだろうか、逆説的に言うと。
だったらその関係性を追求するほうがむしろ重要なんじゃないのか。
まあホント屁理屈なのかもしれないけれど。
実際のところは、誰かや何かを失い続けてゆくのが世の中ってもので年老いてゆくってことなのかもしれない。
でも、心の中にまかれた種はいつの間にか花を咲かせて、もうちょっとやそっとじゃ枯れない存在になっていることだってあるんじゃないのかい。
むしろそっちの方を「善し」としてもいいんじゃないのかな。
それを大切に出来ないのなら失うことだって止む負えないことなんじゃないのかな、ミスター。
And stop the bleeding now
Stop the bleeding now ・・
ジョンの声がリノリウムの床に響く。
ここは手術室でもなんでもないんだよ、ジョン、だから血を止める方法なんてありはしない。
血が止まらないんだ、おれの心臓からこぼれ落ちるこの血を誰か止めてくれよ、きみを失いかけている、きみを失いかけている・・
でもね、心配しなくっていいよ、なんにも心配しなくっていいんだよ、
失う前にバンソコウを貼ってあげるよ、あなたの心に、あなたの破れかけた心にそっとバンソコウを貼ってあげるわ・・
誰かのハスキーボイスが闇の中に聞こえた。
昨日クルマの中で聴いたCDから、チャボがキヨシローに語りかけていた。
チャボは気合いで歌うぜ、気合で歌うから聴いてくれって、RCサクセションの、キヨシローの、「スローバラード」をギター一本で歌い始めたんだ。
ぼくら夢を見たんだ、とても良く似た夢を・・っていう、あの歌をね。
そんな夏だ。