ノマドワーカーという生き方」をようやく読み終えた。
kindle本で、小飼弾さんの100円セール2冊を読み終えてから久々のような気がする。
それらはといえば「弾言 成功する人生とバランスシートの使い方」と「決弾 最適解を見つける思考の技術」の2冊だ。
横書きで、短い文章からなっているので、kindle入門としてはよかったのかもしれない。
そんな訳で、まだkindleで長編小説を読むにはいたってはいない・・。
その小飼弾さんの本に、『何事も徹底的に、寝食をも切り詰めて3日やってみて残るもの、それが自分にとって残るものだ』みたいな一節があって、頷いた。
そこまでやってみてないよね、普通。
まあ、不肖・武智にも、そのくらいのスピリットが欲しいところではありますが。
で、ブロガーとして起業された立花岳志さんである。
彼のライフログに対する考え方は非常に細かい。
すべての記録を、iPhoneアプリを駆使して取り、更に凄いのはそれを見直しとして毎日振り返りをおこなう。
自分で立てた、5ヶ年計画→年間計画→四半期計画→月次計画と降りて行って、日々の振り返りからそれらを逆に修正してまた積み立ててゆくのだ。
自分も(誰しも)、年のはじめにはそんなことを思うものだが、たいていは思うだけで挫折しちゃうもんなあ。
まあ彼のサイトは「No Second Life」というもので、
人生は一度だけで二度目はない、だからしっかり生きるよ、という決意に満ちていて、それだけでその意気込みにひれ伏してしまうのだけれど。
オレだって崖っぷちのNo Second Life、誰しもが一緒なんだけどね、人生といういきわどい崖っぷちにおいては!
時間を律して、自分を律して、positiveな発信をしてゆく、確かに誰にも一日は24時間と限られている。
果たして、立花岳志さんの立てた目標は「すべての日本人が誇りを持って元気に生きられるようになるためのサポートを言葉を通して行う」というものだった!
実は自分も時間の無駄をなくすために、かなり細かくWebで管理できる「Toodledo」で、15分刻みで設定してみたことがある。
まあ、自分などは、外来診療時間は、診察室の中にはいるけど、あくまで患者さんの時間軸中心の「診察」業務が主体であるので、
「業務」を細分化したところで突発的なものがなんぼでもその間に降ってきて、意味があまりないのだよね~・・と一ヶ月ほどして気づいて中止した。
夕方全診療が終わってから、なしくずしのようにcheck入れるのじゃ意味なかったです。
それからはGoogle Calenderに個人tag作って、それに、おおまかなtaskとかto doを記入する程度にとどめている。
そんなわけで、彼のようにはとてもできないけど、
自分で自分の「時間」やら「生活」を律する、そしてその先には自分の描いた確固たるvisionがある、そういう考え方は嫌いではない。
ねばならない、であらねばならない・・というような教育に我々は長い間縛られすぎていたのかもしれないなと最近思う。
日本人はこうあらねばならない、紳士たらねばならない、ひとが見ていなくってもこのように振舞わなければならない、などなど。
それよりも・・したい、を優先させてもいいんじゃないのか?
そうするためには『ねばならない』にこだわらず、こうするほうがいいんじゃないか、とか、ね。
とにかくね、他人の目を気にせずに決めるのは、ほかならぬ他人の目にさらされて生きてる自分でしかないのだ。
いつまでも、おれはあんたらのいい子やらいいなりではないのだよ。
だって、自分の人生ヒトに決めてもらうわけにはいかんのだよね。
それでもいいよと思う奴とはオレは袂を分かつよ。
そのための睡眠記録アプリであり、ライフログなのだ。
話を立花岳志さんの本に戻す。
彼が5カ年計画を立てる参考にしたのが、渡邉美樹さんの「人生の6本の柱」だったそうだ。
「仕事」「家庭」「教養」「財産」「趣味」「健康」。
そのそれぞれにおいて5年後になっていたい自分を書き込んでいくそうだ。
医者だから言うのではないけど、なににも変えられないのが健康だと思う。
健康があってこそ他のものが生きてくるのだと思う。
そんなわけで、おれも5カ年計画でも立ててみるかな(そう言ってる時点でほぼ立てないことが決定されてる感じですけど^^;)
さてはて、彼はこれからもブログとネットのon-off(リアル社会でオフ会とか開いてネットのつながりにフィードバックさせるとでも言うのかな)で生きていくのだけど、
自分にとってじゃあブログがなんなのかというと、飯の種でもヒトを先導するものでもない。
自分にとってはブログは紛いもなく自分の一部である、それ以上でも以下でもなく、だからそうしんじることができたればこそ、波はあるにせよ粛々と続けてこれたんだと思う。
hit数が上がればそれは嬉しいけど、
このブログの中に息づいている自分の断面のひとつひとつが自分にあてた航海図であり、
それが時に誰かさんの道標とか慰みにでもなってくれたらいいとは思うけど。
だから、この本は万人の背中を押すものではない。
ブログで生きていこうと思うのはそんじょそこらの覚悟ではダメなんだなあ、いやはや、という感じで最後の章は読み終えたのだった。
なんかまとまりがなくなっていく一方なのでこれで終了にするけど、
こういう本っていうのは、自分と即して、それが反面教師だったり、共感できる部分があったりでいいんじゃいないんだろうかな。