浅い眠りのまま朝を迎えた。
尿意が我慢できなくなり、それは寝る前の「白霧島」が誘発したものだとわかっているのに、夢のなかではそれはなにか事態の切迫に置き変わっており、
逃げ出したいのにここで逃げたら全てが終わりやろアカンやろそれはお前人間としての尊厳を捨てることやろ、とかいう大命題に変わっており、、
それで何とか持ちこたえての朝なんだけど、覚めて放尿したら、ションベンとともに大命題とやらはあとかたもなく流れていってしまった。
とほほ。
こんなことを夜な夜な、夜間頻尿の我が患者たちのじいちゃんたちは繰り返しているのだろうか?
もしかしたら彼らが夢のなかで無意識下で力を合わせて、地球の危機を回避してくれているのかもしれないな。
なんて思ったのかどうかテンション上がったのか、朝から野菜フレンチトーストをつくったりしている。
とにかく、1つずつ塗りつぶしていくしかないのだということはわかっているのだ。
希望にせよ絶望にせよ、可能性のか確認とか、すべてを含めて、自分の「意思」のもとで丁寧にマスを埋めてゆくしかないのだ。
たとえ自分の手にあるスコップが唯一の道具で、課せられたのが自分が入る墓穴を掘る作業だとしても、
そういうことの繰り返しによってしか自分自身の人生は送れないのだろう。
でも、いっつも言うように、自分自身ってなんなんだろう?ってことなんだけど。
築き上げてきた社会性もスキルも、50数年の生活も、いまの自分から切り離すことなんてできない。
だから全てひっくるめての自分自身なんだから、それを抜かしての(どこか別のところにあるはずの)「ホントの自分」なんてちゃんちゃらおかしいのかもしれない。
それでも、毎日、なにか見えないものに向かってあがくのが、それはなんのためなんだろうってあがくのが、無駄ではないような気もしている。
明けない朝はない、暮れない夜はない。
だから心配すんなっていっつも自分に言い聞かせながら。
拷問で、やっぱり、自分の入る墓穴掘らせたあとでそれを埋め直すという作業を延々と繰り返す、というものがあった。
それってかなりへこむよなあ。
でも実は人生ってそんなことの繰り返しなのかもしれない。
だけど、ちょっとでもずれたら、その先に何かが待っているのかもしれないじゃないか。
たとえそれがおれの死だとしてもそれはそれで。
2013/05/19「モアリズム」のライブを観に行った。
自宅から9km近く離れた、ホントに海岸沿いの「ブエナビスタ」という店でライブは開かれる。
二日酔いの重い腰を上げて、歩き始めたら霧のような雨で、傘をさす。
2時間弱かけてたどりつく。
高浜線の電車の線路の向こう、海岸の手前数メートルにほんとに店はある。
店は海の家に多いをしたような感じの作りで、中にいると、波の音が心地よく、15分毎に遮断機の降りる警笛が鳴って、ガタンゴトンと電車が通りすぎてゆく。
そんなロケーションで、2年ぶりの「モアリズム」を聴く。ドラムがないので、弾む曲が少なかったが、それはそれで心に染みこんでくる。
オーディエンスはたったの8人。
ライブのあと、新しくリリースされた「&BLUES」というアルバムを購入し、サインを頂き、しばしメンバーと話す。
ホントか嘘か、音楽活動以外では、Voの中村さんは皿洗いやってるというし、今日はこの店でメンバーで寝るんですよ、と言われる。
(ナカムラ日記ではクルマに寝たと書かれていた)
キヨシローが自らをバンドマンと名乗っていたけど、彼らもまたまったきバンドマンで、全国津々浦々、音楽という名の「夢と希望」を携えてまわってるのだった。
決して楽な旅ではないだろうに、「好きなコトやってね、僕らは、ハードですけど、いうならば好きな歌歌って演奏するだけですから、ありがたいことですよmね・・」と謙虚なMC。
西川美和監督の音源はみんな担当しているというこの才能あふれる素晴らしいミュージシャンたちがもっと有名になるといい。
でも、こうやって地元にやってきてくれることの素晴らしさ、またぜひ愛媛のこの店で会いたい!と贅沢なことを望んだりもしている。
とにかく、生活の中からしかすべては生まれないってこと。
*ナカムラ日記より『ブエナビスタ』