スポンサーサイト

  • 2014.04.04 Friday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    佐野元春の語るソングライティング

    • 2013.02.27 Wednesday
    • 17:49
     年末のNHK「SONGWRITERS」を観る。

    佐野元春がホストを務める番組で、最終回の2回は、彼自身がソングライティングを語るというものだった。

    彼が、初期にはブルース・スプリングスティーンさながらのパフォーマンスをくりひろげたりギンズバーグをはじめとするビートニクの詩人たちに心酔したりしているのは、周知の事実だ。
    そうやってポップ・カルチャーのエッセンスは次世代に受け継がれる。
    そして、彼は誰よりもポエトリーにこだわっているライターではないかとさえ思う。

    彼の初期のクールな言葉で・韻までふんで・さりげないが周到なギミックを駆使して・それでいてドライブする詞が、
    やがて昇華(?)していって、「コヨーテ、海へ」に見られるような、日本語のシンプルなフレーズからなるものに帰結していったのを見ることは、個人的に非常に興味深くもあり、感慨深くもあった。
    我々は、同時代に、とんでもない詩人をちゃんと共有していたのだ。

    ちなみに、自分の好きな谷川俊太郎氏は、息子さんが音楽家ではあるけれども、自分自身の音楽は残念ながら持ってはいない。
    佐野元春氏は、自作のビートとリズムに乗っけて、自分のポエトリーを歌い・叫び・跳ね、そんでもってギターを掻き鳴らすことだってできるのだ!

    うらやましい。
    うらやましい。
    うらやましすぎる。

    さて、彼の語る「ソングライティングとは」、
     
    ・ 自分を知る作業
    ・ 共感を求めるための作業
    ・ 普遍性を獲得するための作業
    ・ 世界を友とするための作業


    彼の語る「良い歌詞とは」、

    1.他者への優しいまなざしであるか?
    2.生存への意識があるか?
    3.言葉に内在する韻律に自覚的であるか?
    4.文字としてポエトリーとして成立しているか?
    5.自己憐憫ではないか?
    6.普遍性があるか?
    7.音と言葉の連続性があるか?
    8.共感を集めることに自覚的か?
    9.良いユーモアの感覚があるか?


    というものであった。

    これが一概に正しいかどうかは別として、実に佐野元春氏らしいではないか。
    村上春樹氏が、フィッツジェラルドを語るときに感じられる真摯さをは、語り手である春樹氏にも十分反映されている。
    佐野元春氏その人もそれに共通した真摯さを持ち合わせていると感じさせられる。
    まあ、強いて言うのならば、佐野元春氏のユーモアは、残念ながらお笑い芸人のように瞬発的には届いてこないけれど。
    でもそれはボディブロウのように、忘れた頃に我々の五臓六腑を揺さぶるのだ。
    歓喜の魂の振動をもってして!
    その音楽と言葉に触れ、自分もまたこう思うのだ。
    想像力こそが、人間の持てる最良の力であり、この荒れ地をドライブしてゆくのに、携えるべき最良の友でもある、と。

    今、僕たちが直面している、この現代という荒れ地を生き抜いていくために是非、皆さんの中にある想像力を存分に広げてみて下さい。
    そして、自由なやり方でいいので、何か言葉を使って表現してみて下さい。
    そして、その先にある景色というものに、是非、期待してみて下さい。
    「夢を見る力をもっと」。
    これが僕から皆さんに伝えたいことです。

    番組の最後を佐野元春氏はそう結んだ。
    そんな元春氏の新しいCDがリリースされる。
    「ZOOEY」!2013.3.13release!
    こちらの「コヨーテ、海へ」も素晴らしい。

    万物流転 〜ホラホラ、これが僕の骨だ〜

    • 2013.02.26 Tuesday
    • 15:19
    pirokichi20130226

     http://web.stagram.com/p/373660209655523811_13128529

    自分のために他人の死があるわけでもないけど、みんなが当然それぞれのstoryをもっていて、それはこうやって陽の光にさらしてみると何らかの化学反応を起こすのかもしれない。

    よくお墓に、新しい花がいけられている光景に遭遇するでしょ。
    花は枯れるので、新しい花がそこにあるということは、かつて古い花もあって、それの意味することを考えると、この世も捨てたもんじゃないなとも思う。
    でも、自分は墓もいらんし、墓に花を捧げることもないだろうけど。
    だからこうやって書くことぐらいが、自分が捧げる花みたいなものなのかもしれないんだけど・・。

    そのヒトのことを考えてる時は、そのヒトは生きてるんだっていっつも言ってるアレですよ。

    そんなこんなで、中原中也の歌を思い出した。
    河原から突き出た、白い漂白した「骨」という詩だ。
    それは僕の骨でもあり、きみの骨でもあり、死んだ彼の骨でもある。

     ホラホラ、これが僕の骨だ、
     生きてゐた時の苦労にみちた
     あのけがらはしい肉を破つて、
     しらじらと雨に洗はれ
     ヌツクと出た、骨の尖。

     それは光沢もない、
     ただいたづらにしらじらと、
     雨を吸収する、
     風に吹かれる、
     幾分空を反映する。

     生きてゐた時に、
     これが食堂の雑踏の中に、
     坐ってゐたこともある、
     みつばのおしたしを食つたこともある。
     と思へばなんとも可笑しい。

     ホラホラ、これが僕の骨――
     見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
     霊魂はあとに残つて、
     また骨の処にやつて来て、
     見てゐるのかしら?

     故郷の小川のへりに、
     半ばは枯れた草に立つて
     見てゐるのは、――僕?
     恰度立札ほどの高さに、
     骨はしらじらととんがつてゐる。


    彼は前立腺癌手術目的で入院してきた。
    前立腺全摘術というのはまあ長い手術で、
    手術の術層が深いところにあるため、
    身体を斜めにしながら言われるがままに開創器を持っている研修医の自分などは術野はなぁんにも見えず、
    しびれて手の先の力を抜くと怒られ、かと言ってその微妙な鈎持ちのニュアンスなどわかろうはずもなく、ただただ立ちすくんでいるのだった。
    ここが静脈叢で出血がやばい・・とかいわれても蚊帳の外だし・・。
    まあ、そうやって、長い長い手術もいつか終わる。

    前立腺癌で、全摘術の日の夜中、彼はベッドの上に仁王立ちになってバルーンを引きぬこうとした。
    前立腺を摘除するということは、とったあとの膀胱と尿道を端々吻合しているということで、その切れた部分をつないでいるバルーンは最後の命綱だ、決して抜けてはいけないものだ。
    しかし彼は、せん妄状態となって、引っ張った。身体中に圧力がかかり、抹消に留置した点滴チューブからも血液が逆流している。
    当時、研修医だった自分は主治医だったにもかかわらず、当然どうしようもないわけで、ただあたふたするだけ。
    当直の先生が対処してくださり、事なきを得た(のだと思う)。

    いずれにしても遠い遠い昔の話だ。
    彼は華道の先生で、その立ち振舞から、ゲイじゃないのと、看護婦さんはじめ、僕らみんなは、面白おかしく語っていた。
    ゲイなのに前立腺癌になっちゃうんだ、ああ、違うよ、まさに男の病気だから本望か・・などと失礼極まりないことを言ったりもした。

    その彼が、ケアハウスに入所していて、認知症もあってで、何十年かぶりに遭遇した。
    尿道狭窄になっており、透視下に、カテーテルを膀胱まで挿入し、それをガイドに細い腎盂バルーンをなんとか入れ、ルートを作り、それから時間をおいて、数回かけて拡張した。
    最後には十分なルートが出来ただろうと判断し、バルーンを抜去した。
    その後、なんとか自己排尿でいけており、「よかったですねぇ」と言った。
    「もうあんたは痛いことばっかりするんじゃから、いけんてぇ、もうせられんてぇ」
    彼は、尿道拡張の時はいつも語尾を荒げた、ほぼ怒鳴る感じで。
    それでもそのあとはいつもの柔和な顔になり、あの頃はお互い若かったねーという話になったものだ。

    そんな彼の死亡が新聞記事の片隅にぽつんとあった。90近い年齢だ。
    こんなことを書くのはどうかと思う。
    でもこれは記録だ。
    ただの記録だけど、ある形における、彼と、僕と、そして、きみやきみたちとの、生きた、生きてきた証でもある。
    それらもいつか薄れ消えてゆく。全ては滅する。そして流れてゆく。
    それもよし。
    それもありだ。

    MBTシューズで復活Walk(大げさな!)

    • 2013.02.25 Monday
    • 18:08
     で、腰を痛めて潜伏の一週間。
    ただ手をこまねいていたわけではない。

    2/24日曜日、AM9:05、
    SKINS A400(上は半袖・下はロング)着て、MBT(マサイベアフットテクノロジー)シューズ(チャクラGTX)履いて、出陣し、13.49km歩いたのだった。

    まあリハビリwalkingなのでずいぶん恐る恐るではありますが・・。


    同日、土佐の高知では「竜馬マラソン」が開催され、知ってるだけでFB友達が3名出場されている。
    マラソンには脱法ハーブとおんなじくらいやばい何かが眠っているのだろうか?
    最近のブームという言葉だけでは片付けられないあの盛り上がりを見るにつけ、そんなこんなを思うのだけど、
    こうやって歩いてるのだっておんなじようなものかもしれないしなー。

    まあ、ヒトのことはおいといて・・

    家からよたよた、無目的に空港通りのあたりを目指し、もうちょっといけるぞで、南江戸公園に考古館側の裏っかわから上がり、おりて、
    古町のあたりまでいって迂回して、JRから市駅まで歩いて、そこで一応終わりとする。
    最後のほうでなんか腰のピリピリ感をかすかに感じたので、もう無理はやめようと思ったのだ。

    2時間35分。(おお清志郎の歌のタイトルとおんなじじゃん!(わかる人はわかる、RCサクセションの初期の楽曲だ))


    最近FB友だちになった、とある小児科の奥様のアドバイスもあり、1年ぶりにパルフィールド」(空港通りのアウトドアショップ)を訪れた。
    腰を痛めて4日目のことである。
    店長の野島博士(店長だけど、もはやその博識は博士と呼ぶにふさわしいと思います!)の診断で、
    あなたの姿勢が歪んでいるので、右の背筋のみを酷使するようになっている、それでその部分ばかりに故障が起きるのだ、それを是正するためにピッタリの靴があります!

    ・・というわけで、MBTシューズの登場。

    こいつは靴の底がぶっとく、ゆるい円弧状に湾曲している。
    それを装着して歩くことによって、骨盤矯正をするという理論に、ガッテンし、その場でSKINS A400上下と靴を購入したのだった。

    カタログにはこう書かれている。

     とても単純なことです。もともと人間の体は、硬くて平らな地面の上を歩くようには設計されていないからです。
     硬く平らな地面は、従来のシューズとともに私たちの体を人工的に無理矢理安定させます。その結果、一定数の筋群が運動中枢から無視され働かなくなります。
     これが、今日の近代化された社会で最も多発している健康上の問題、つまり腰・背部痛と関節痛の原因です。
     この問題を解決するために、MBTは、従来の靴に反対する『アンチシューズ』としてデザインされました。
     従来の靴と違い、舗装路面でも足部の自然なローリング運動を実現し、筋による姿勢維持システムを正しく機能させることができます。
     その鍵は、特許を取得したソール構造。シャンク、ピボットの付のPUミッドソール、マサイセンサーにより、湧水のあふれる苔地や、砂浜を裸足で歩いているかのような「柔らかな地面」が再現されます。
     MBTは足下に「自然の不安定さ」を生み出し、それに反応して、運動中枢から無視され働くことを忘れていた筋群が活性化。このことが、全身に優れたトレーニング効果をもたらすのです。

    なんせマサイ族のテクノロジーだからね!


    歳取ると、全く、ヒトの言うことに耳など貸さず(「整形外科受診したほうがいいんじゃないんですか?」「ヘルニアじゃないの?」「歩かないほうがいいんじゃないんですか?」)、
    自分に都合のいい理論だけを取り入れようとするのだから始末が悪い。
    膝が痛くって、歩くのに苦労してるのに整形外科受診しない患者さんがいる。
    彼は、整形の先生に宣告をくだされるのが怖いのだ。
    「ちゃんと整形いかんと!歩けんようになったらどうするの?紹介状書きましょうか」
    「かまわん、そのうち行くけん、わしやって自分のことわかっとるけん・・」
    そんなやり取りのあと、なあんだオレと彼は一緒じゃないか、と、笑ったのだった。

    ふたりともただの臆病者なんだ!わははは!

    TOLOT-子供の誕生日に写真集を作る-

    • 2013.02.24 Sunday
    • 16:14

     TOLOT 

    子供の誕生日だった。

    あれやこれや考えて、はたと思いついた。
    TOLOTというネットサービス。
    それを利用して写真集を作った。

    PCのなかの写真データをああでもないこうでもないと眺めて、74枚セレクトして、そのうちからまた選んで、62Pのフォトブックを作成。
    3時間くらいかけて、もうヘロヘロで、個々の写真をリサイズするとかエフェクトかけるとかいうところまではいたらなかったけどね。
    そのへんは目をつぶってくださいな。

    送料込みでA6サイズ(文庫本とおんなじ)、なんと500円ぽっきり。
    1ページに140文字を挿入することも可能なので、もしかしたら、ミニブックの作成も可能かもしれない。
    この小さな写真集に、きみの思い出が詰まってるんだよ、と、作りながら、センチメンタルになった。
    あれも思い出し、これも思い出し、あの時こうしておけばよかったのかもと思ったり、いやあれでよかったんだと首を横に振ってみたり、
    それに伴う自分自身のパーソナルな(黒)歴史も思い出されてきた。あちゃあ。

    いずれにせよ、そうやって子供は大きくなり、その分、親は年老いてゆく。
    そして全ての事象は過去になってゆくのだけれど、過去の美しいことだけを並べたアルバムが輝いていないわけがないじゃないか!
    あんなこともあったんだ、こんなことも、と忘れていたことも想い出せたので、個人的にもとっても充実した。

    一枚だけ、幼少期のヌードもあったんだけど、これをメモリーに焼き付けると将来遺恨を残すかな・・・と泣く泣く割愛。

    で、本日送られてきました。

    ネット見ると解像度はそれなりとか色々書かれてたけど杞憂に終わった。
    自分たちのパーソナル写真って、心の目で見ちゃうから、あんまり解像度とか気にならなくなってしまうんですよね。
    そんなことより、このA6の冊子に、十数年の思い出の端々をぎゅっと圧縮して詰め込むことができたことのほうが大事で、感無量。
    それを見ながらまたその時に心を飛ばせることができるんだから。

    なんて素敵で贅沢なプレゼントなんだろう!

    で、TOLOTとはなんの関係もないけど最近のらくがきを。

    こちらはボールペンでノートの隅に落書きして、あとで字を塗りつぶしました。
    うーん、自己満足。

    何回目かの「20世紀少年」を読み終えて。

    • 2013.02.24 Sunday
    • 15:54
    20cboys

     「20世紀少年」を再読した。

    何回目だろう?

    ともだちに扮した**くんが、自分こそが「20世紀少年なんだ!」というシーンが最後らへんに出てくる。
    ケンヂもオッチョもある意味では同様に20世紀少年だったんだろう。

    でも、このマンガ、「20世紀少年」が22冊で終わり、
    話は続いているのに、最後の2冊は「21世紀少年」(上)(下)になっている。
    ここで、ケンヂはバーチャル・アトラクションの世界ではあるものの、過去に軌道修正を加えようとする。
    なにかをやりなおそうとするのだ。

    その時点で、だから、ケンヂは自分の中の「20世紀少年」と訣別したのだと思う。

    自分自身のことに戻ると、
    「遊星仮面」や「マグマ大使」「宇宙少年ソラン」「W3」「8マン」や「スーパージェッター」の幼年期、
    「ウルトラマン」とか「モロボシ・ダン=ウルトラセブン」の少年期前半、
    マンガで強制的に割り込んできた「巨人の星」の世界はどちらかと言えば大人のほうが好んでいたような気さえする(残念ながら「あしたのジョー」ももっと年上の熱狂だった)、
    自分たちは「仮面ライダー」とか「マジンガーZ」や、アニメ版の方の「デビルマン」のほうがフレンドリーだった。
    (「ハレンチ学園」は確か小学校デイズにスカートめくりを教えてくれたが、その裏にある永井豪スピリットの凄さにはまだ子どもたちは誰も気づいていなかった)、
    そして、自分の人生を決定づけるようなマンガ「デビルマン」との出会い、
    だから、自分の中でのパーソナル・アニメは「宇宙戦艦ヤマト」がラストだったような気がする。
    そのうち自分は、かぐや姫の「神田川」みたいな世界に傾倒していって、ケンヂのようにディランを信奉する意味などなにもなく、フォークギターを手にするようになる。

    ヒトを信じ、そのヒトのために涙していれば、必ず想いは報われ、明日はまたやってくるのだ・・
    という「理由もない」オプティミズムに一方では取り憑かれながらも、
    人間の本性は「悪」なので、人類そのものが救われることなんてないんだとうそぶいていた。
    たぶんどっちもホントの自分なんだろうけど。

    自分と、ケンヂ(作者の浦沢先生)の世代は確かにかぶっている。
    月面着陸も、大阪万博もあった。
    でも三島由紀夫の自決も、浅間山山荘や、テルアビブ乱射事件だってあった。
    未来は必ずしも輝いているわけではなかったんだ。

    だから、自分は昭和の人間なんだなあと思うことはあっても、「20世紀少年」だとはあまり思えない。
    なぜなら、幼少期、残念ながら、自分はバラ色の未来を夢想することができなかったからだ。
    だから、ケンヂのように沸騰することもなく、
    灰色の70年台をやり過ごし、
    バブルの時期はせっせとなりたての「医師」の仕事に精を出し、
    今、ようやく、レアな自分を作ってくる「根源(ルーツ?)」と再び向かい合うことができるような気がしている。

    たとえそれが錯覚だったとしてもいい。
    なんどでもやり直せばいいのだから。
    もう(人生の)残り時間がなかったとしても、それはそれで仕方ないことでもあるし。

    そう、自分を形作ってきたものどもは、ほぼ10代から20代前半の中にある。
    以前坂本龍一さんもおんなじようなことを言ってたが、全くそのとおりだ。

    オレはその古い革袋をあけてその袋にこびりついた匂いを嗅ぎ、またそこで熟成された何かをいまさらのように感じて驚いて、
    そこにできうるだけあたらしい酒を注いでいく作業を続けている。

    それを人生と呼ぶなら呼んでもいい。

    PR

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    2425262728  
    << February 2013 >>

    ブクログ

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recent trackback

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM