スポンサーサイト

  • 2014.04.04 Friday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    2002年の日記と、読むのが多分3回目の佐藤正午「放蕩記」と

    • 2012.12.31 Monday
    • 13:56
    評価:
    コメント:ぼくは生涯の内、あと何回この本を読むだろうか・・。

     大晦日の前日の夜、久々に佐藤正午の「放蕩記」を再読した。

    この本の出版は1991.8.5となっているので、もう随分昔の本だ。
    無論、佐藤正午さんは今でも現役である。

    自分が彼に初めて遭遇したのは、あの劇的なデビュー作「永遠の1/2」で、その作品は時任三郎氏主演で映画化もされた。
    また、別の作品だが、沢田研二主演の「リボルバー」も再び観たい映画のひとつではある。

    佐藤正午さんっていう方は1955年生まれなので、彼の小説とある時期は寄り添うようにしてたんだろうけど、今自分の手元にあるのは「永遠の1/2」とこの「放蕩記」と「ありのすさび」というエッセイ集だ。
    あとの本は残念ながら処分してしまった。

    昔の日記に、佐藤正午さんに関する記載を見つけたのでそのまま載っけてみる。

    読みなおした「放蕩記」に関してあれこれ書いてみようとも思ったりしたけど、昔の文章読んでみたら、何だ一緒の事思ってるじゃん、と、あいなった次第。
    ねっ、人間ってホント進歩無いでしょ。
    進歩のない自分の記念のために、きっと「放蕩記」は本棚の奥深くに眠らされていたのだろう。
    そして、また何年かの時を経て、「放蕩記」がカムバックしてくることはあるんだろうかな?いや、あるんだろうな、これが。

    今回の引用-

    思い出しました。思い出して、鼻を鳴らしました。
    思い出してみればやはり取るに足りない小さな答えだったからです
    しかし胸を締めつけた幸福の余韻はいまも身体のどこかに残っていて、その答えとともにすこしずつ蘇ってきて、自然と頬をゆるませます。
    死ぬ前に、一番したいことは何か、こんな質問に対して答えを出せるというのはもともと死ぬつもりなどないのでしょう。したいことがある以上は生き続けるしかないからです。
    このさき生きていく上でいちばんしたいことは何か、いまいちなんしたいことは何か、そう訊ねるのと同じ意味の質問になるからです。そのことに気づいて自然に笑えたのかもしれません。
    一文無しでも、一人ぼっちでも、変人としてでも、生きるつもりだから腹が減り喉が渇くのだと思いました。生きるつもりだからこそ必死で屋根によじ登り、失神すまいと踏ん張っているのだと思いました。
    鼻を鳴らしたくなるほど取るに足りない答えでも、その答えが現にあるというのは喜ばしいことでした。煉瓦をしっかりと両手で掴み、身を乗り出しました。
    (講談社版、p253-254)

    そんな訳でまた付け足しを。
    1991年に読んで2002年に読んだ「放蕩記」を、2012年の年末にまた読んだ。
    かつてぼくも、きっと、混沌の中にいて、最後には生きようと思ったんだと思う。
    さて、現在は52歳の自分、今ではラッキーなのか残念なのか「死のう」とは思っていないけど、なぜか「よりよく生きたい」という意思だけは若い頃より強靭になってきた。
    それはきっといいことか、偏屈さが増しただけのことか、あとがないからなのか、わからないけど。
    この作品の主人公「海藤正男」氏が還ってきたように、ぼくもあと何度か沈みかけたら、その時はまたこの本を手にするのかもしれない。

    まあいい、とりあえず今宵もバーボンを飲んで(今はめっきりでハイボールばっかですが(笑))眠りに落ちるとしよう。 

    2002/11/15
    なんか最近あわただしいといった感じの忙しさが続いている。
    どうしてだろう?俺の要領が悪いのか?

    佐藤正午の『ジャンプ』という小説は、コンビニにリンゴを買いにゆくといって消えたガールフレンドと取り残された僕の5年間の物語である。ミステリとして絶賛されたという話だが、僕は全然そんな風には思わなかった。
    これはミステリではなく、紛れもなく優柔不断でやさしくって冷たくって少しシニカルな佐藤正午のいつもの話なのだ、と。主人公に、ああ俺ってこんな優柔不断できたねえ野郎だなと、フムフムとうなづくことはできても共感はできない。だから書評とか読むと、怒ってる女の人たちもいたりするのだろう。でもそれが佐藤正午のいいところなのだ。
    それで、1991年に書かれた『放蕩記』を、自宅の本棚の奥から引っ張り出してきて読むことにした。自伝風に作った、これまた佐藤正午という他人との微妙なディスタンスをともってしか生きてゆけない男の物語で、この人の作風というものは変わっていないな、と、再認識した。
    で、そう考えると、僕も佐藤正午とつかず離れず共に生きてきた人間なのかもしれない
    君が好きだといいながら平気で二股をかけるような男。お酒に酔ったときだけ笑う男。いつもは怒っているくせにここぞとばかりに下ネタをいう男。誰も信じられず自分のことも信用してないくせに、人に嫌われたり悪口を言われることを人一倍気にかけている男。
    決していい読者とはいえないけれど。
    『永遠の1/2』『リボルバー』『スペインの雨』『ビコーズ』・・うーん、僕は彼のどこが好きなんだろうか?
    彼の書く男たちはつきまとって離れない影のように僕の中にいるのだろう。僕自身と相似形でないにせよ。
    『タマネギ刻むと涙が出るじゃない。泣きたいときはタマネギ刻みなさい、泣けない訳があるときはね、それが人生の知恵、悲しい知恵。』
    『三百六十日、日日(にちにち)酔うて泥の如し』(放蕩記より)
    そして僕もバーボンを飲んで眠りに落ちる。

    ・・もう給料の計算をせねばならない。
    ということはもうすぐボーナスの支払いで、今年はほんとに頭が痛い。来年の冬は余裕で笑っていられることを願うのみである。

    「宿神」4巻最後まで読み終えました。素晴らしい話でした。

    • 2012.12.29 Saturday
    • 14:24
    評価:
    コメント:近年の獏さんの最高傑作!

     夢枕獏さんの『宿神』大冊4冊組を夕べ読み終えた。
    この物語が終わってしまうのが辛くって、最後の方はゆっくりゆっくり読んでいたんだけど、それでも終わってしまったのだよ。

    随分昔に、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだ時も、
    坂本龍馬が死ぬのが嫌で、最後の巻は結局読まなかった。
    あの時とおんなじような感じだった。そう滅多にあるものではない。
    それくらい思い入れることのできた物語だった。

    たまたま時代が平安末期であり、
    日本人の桜の祖とも言われる「西行法師」を主人公にした大絵巻だ。
    語呂合わせではないけど、たまたま2012年の大河ドラマが「平清盛」で、それを観た方たちはその映像に獏さんのキャラをかぶせてみたことだろう。
    自分も少なからず、ドラマの影響を引きずった上で読み進んだ。

    それもそれで、今回はありだった。
    お互いがお互いを打ち消しあうというような陰性効果は微塵もなかった。

    しかし、さすが夢枕獏さん。
    日本の裏の神である「宿神」をみることのできるものとして主人公を設定し、しかしそれだからといって、その能力によって西行法師がスーパーマンたるわけでは決してないのである。
    「宿神」が何から人間を救ってくれるわけではないし、死者をよみがえらせてくれるわけでもない。
    ただただ、樹があり、石があり、花がある如くに、宿の神はただそこにあるだけなのだ。それが宿神だ。

    西行法師は、北面の武士を辞し、23歳で出家した。
    その後も表社会とも関わりを持ち続け、
    女人とも関係を持ち続け、
    流された崇徳上皇に涙し、
    それでいて、桜の散るさまを心の思うがままを歌にする才も有している。

    仏を作るがごとくに、歌を詠み、神に祈るがごとくに歌を詠む。
    そうして出来上がった歌は、もはや、自然(じねん)のものと同じだ。
    あらゆるものに、歌は宿っている。
    その歌を杖として生きているのだと西行は言う。

    彼は晩年に奥州をも訪れている。
    のちの芭蕉にその足取りは多大な影響を与えたと言われているくらいだ。
    (このへん全部受け売りですが)

    全ては滅していくのだ。
    確かに。
    今ここに咲いている花も、美しいお姉ちゃんも、栄華を極めた城廓も、すべてが無に帰する。
    だから咲いている今が美しいのだ、とか、そんな訳でもない。

    ただ、そこにあるものをあるがままに愛でるのだ。

    そんなふうに書くとなんだかはなかないが、さりとて西行は冷徹な観察者などでは決してない。

    とにかく言えることはといえば、夢枕獏氏が6年の歳月をかけて完成させた物語は、ただただ、すばらしいということだ。
    陰りを残して物語はfadeoutするように終わる。

    そして、実存の桜があろうがなかろうが、我々の中には桜の樹があり、あのピンクがあり、散りゆく薄い色の花びらの姿があり、それらを総じて、桜というものの体現している何かを我々は愛していたことに気づくのだ。

    この儚い物語の中で、夢枕獏氏らしい猟奇的なシーンが二つ三つ見え隠れする。
    それを悪趣味という輩もいるかもしれない。
    しかし、なにかを愛してゆくということは、そういうおどろおどろしい部分をも含めて愛することなんだと自分は思う。

    最終巻からの引用をー
    「生命もまた、そこに、ただあるだけじゃ。それに、意味を与え、おもしろうするも、哀しうするも、それは人の心がすることじゃ。
    ただ、そこにあるだけの花を美しいと思うのは、それは、人の心が、そうさせているからじゃ。
    宿神も生命も同じものじゃ。(以下略)」

    今年は、
    大河ドラマの「平清盛」と、
    はんば偶然も加味してなんだけど、この夢枕獏氏の「宿神」と、
    まだ最終回を見ていないけど「ヨルムンガンド」とが収穫だったなあ。

    密かな記念日に

    • 2012.12.28 Friday
    • 18:57
     そういうわけで昨日は密かな記念日だった。

    あることが成就したのだ。

    そんなわけで、ちょっと前から、頭の中で泉谷しげるの「春夏秋冬」が鳴り響いている。
    アコギ一本でがなるやつじゃなくってLOSERとのバンド録音の方だ。

    泉谷しげるが、自分の昔の楽曲たちを、『LOSER』という強者バンドとセルフカバーした、あのアルバム、あれはとにかく無敵だった!
    メンバーは、ルースターズの下山淳や、初期にはチャボこと仲井戸麗市さん、ドラムの村上ポン太さん、そしてベースが吉田健という鉄壁な存在。

    今日ですべてが終わる
    今日ですべてが報われる
    今日ですべてが始まるさ・・

    実はこのウタ、SIONも2ndでカバーしてる。これがまた良い感じ。
    そうやっていい曲は、作ったものが死んでも時を経て、形を変えて蘇るのだ(泉谷さんはまだ死んでませんよ、ごめんなさい)。

    そう、ひとつ終われば、また始まる。

    それが言いたかったんだ。
    安心すんな、でも心配すんな。

    かつて星野道夫が言ったように、一人の人間がこうやって佇んでいる背景には何十人もの祖先がいて、それは縄文人までさかのぼっていけるのだ。
    そして、それは決して困難な想像ではない。
    だから、言ったように、おれの中の西行も、おれの中の清盛も、一緒に酒を飲み、詠うのだろう。
    このおれの有限な時が終わっても。

    そんなわけで、自分で自分をセレブレートするささやかな料理を作って、
    フルボディの赤ワインで祝う。

    おめでとう、おめでとう、あんた、結構やるじゃねえか。
    あんた、なかなか頑張ったよ。

    ・酢締めした大根の薄切りに炙ったからすみを乗っけた前菜。
    添えたのはオリーブとミニトマト。
    ・洋風ふろふき大根
    その1 トマトソースがけ
    その2 ちょっと和風の生ハムとネギと、レンコンの漬物でいただく。
    ・メインディッシュはチキンのパプリカ・アスパラ・チーズ巻き。
    チーズがとろとろに溶け出した出汁にバター入れて煮詰めたソースがまたうまいのなんのって。でもチキンロール、実が沢山ありすぎて、タコ糸でギュンギュンに亀甲縛り(嘘ヽ(^o^)丿)してたのに切ったら崩れちゃいました。
    ・デザートはいただきもののトマトのチーズケーキ。

    満足じゃあ♪

    【蛇足】「平清盛」から派生したあれやこれや〜高校の日本史の先生に

    • 2012.12.27 Thursday
    • 20:16
    kiyomorilast

     小さい時、
    歯医者の帰りに、おふくろは自分に本を一冊買うことを許してくれた。
    痛さとの引換条件みたいなもんだったんだろうね。
    もう少し歳取ると、世に出たばかりの早川SFとかに目移りしてゆくんだけど、なんかその頃は素直に歴史の英雄物を手にとったりしていた。

    あれで見た源義経のさっそうたるいでたちは、鵯越のシーンだったんだろうか?
    歯医者の待合で読んだ記憶がある。小学校の低学年の頃だ。ほんとふと思い出した。
    義経はきらびやかな武者装束で馬にまたがっている。

    あの義経が、結局は兄に追討されて自害したなんて、その時の小さな自分は夢にも思ってなかったんだ。

    追討した側の源頼朝は、鎌倉幕府を作ったんだけど、落馬して死んだそうな。

    彼が清盛スタイルを踏襲して作り上げた鎌倉幕府とはいかなるものだったんだろうか?
    でも歴史を(当時は)いやいやながら学ばされてた自分にとっては、
    「イイクニ作ろう鎌倉幕府」なんて言ってるくらいそのくらいで通りすぎてしまった程度の底の浅いものでしかなかったんだ。
    まるでお馬鹿さんそのものの自分にとっては。

    高校の時、日本史の時間はいつも先生の真ん前に特別に座らされた。

    それはおれが阿呆で、なんもわかっていなかったからだ。
    日本史の成績はビリに等しかったんだと思う。
    わからなくなってしまってから、それから先は五里霧中で、当然わからないゆえに勉強もしないし、興味もないので、しかたのないことではあったのだが。
    先生はおれに、「武智、前回はどこまでやったかなぁ」と聞き、それでもなんの学習能力もないおれは答えられずに、毎回教科書で殴られた。
    先生、先生の努力に何一つ報いられなかった馬鹿なおれのこと、ようやく今わかりましたよ。
    もう手遅れですけどね。

    だから大学浪人して、常道ではあるが共通一次試験の社会は、
    「倫理社会」と「政治経済」に必然的にした。
    頭の中からは、「世界史」も「日本史」も「地理」も当然消し去った。
    高校で習ってきたことを無にしたんだ。

    でもね、先生、
    日本人のアイデンティティがもう1000年も昔から連綿と続いていることをだけは、今になって思い知らされましたよ。

    おれは西行法師でもあり、平清盛でもあったんですよ。

    先生、こんな世の中で一番大事なことは、医療でも年金でもない、
    若い人たちに希望を植え付けることなんだっていうことはわかってます。

    そしてその希望は「教育」の中にあるんです。
    だから「教育」がいかに重要か、そしていかに難しいかを、この歳になってわかっても、それは決して手遅れではないでしょう。

    自分に未来がある限り、「教えられる教育」だけではなく「学び取る教育」なら今からだってできます。
    もちろん、テストの点数に反映なんてされませんけどね。
    馬鹿ですからねー。

    だから、おれを教科書で小突いた先生、
    あいつ馬鹿だったんだけどなあ、まあまんざら捨てたもんでもなかったのかなあ、って、
    少しは安心してくれてもいいのかもしれませんよ。

    そんなことを「平清盛」見終えて思ったりもしたのでした。
    あはは。

    「平清盛」最終回を観る。

    • 2012.12.27 Thursday
    • 14:33
     ついに清盛死す!

    「平清盛」の最終回を観終えた。

    主人公死んじゃって、平氏が滅びてゆくんだけど、
    清盛の死の後も、
    頼朝が義経を追討するところやら、西行が春に死ぬところから、後白河法皇の死まで駆け足で描かれている。

    壇ノ浦の戦いってあんなんだったんだなー。
    深キョンの凛々しいこと。安徳天皇をいだいて入水するときのあの表情。
    実は彼女が平家だったんじゃないかと思わされるくらいいい顔でしたよ。

    1年間観てくると、サブキャラにもいろんな思い入れができてくるので、ホント涙ウルウルで観てましたけど、
    あの時代ってよく考えたら、娘を差し出して権力の礎にしたり、親子で殺しあったり、敵方に寝返って子孫を絶やさぬようにしたりと、
    まあむちゃくちゃな時代で、
    人間って本来そういう生き物なんだなーという、われわれにもともと備わった「業」というものを再認識させられもした。

    誰が日本人は農耕民族なんでアングロサクソンの血生臭さなんか理解できない、だ。
    銃が社会的に認可されてないってだけで、やってることは、先日の「小学校乱射」とさして変わらんではないか!
    我々はなんとか理性と法律で「どうどう」って、我々の「業(カルマ)」を押さえ込んでいるだけのことなんだよ。
    ・・でも、押さえ込めたらそれはそれでひとつの到達点ではあるのかもしれないんだけど。

    誰かを殺して頂点に登ったものは、また誰かに寝首をかかれる悪夢を見ながら生き続けるしかないのだろうか、とか、
    わけのわからんループの中で、
    清盛を、肯定も否定もできない自分を、ただただ今は眺めているのだった。

    今回西行法師が、狂言回しのような役どころを演じた。
    清盛の「生霊」(後半は「死霊」か)をつれて、平氏に遺言を語り、頼朝に「武士の世」を話し、そして海の底の王国にたどり着く。
    北面の武士を辞し、23歳で出家した西行という人物とはこれいかに?

    願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃

    そう詠んだ西行法師のことをもっと知りたいと思った。

    それにしてもなんてamazingでおどろおどろしい平安末期よ

    松ケン、1年間お疲れ様。
    久々に観た大河ドラマは、実りあるものだった。
    視聴率がたとえ史上最低だったとしても、このドラマを決して自分は忘れないだろう。
    書きたいことは山ほどあるけど、そのうち、また忘れていっちゃうんだろう。

    諸行無常。盛者必衰。南無阿弥陀仏。琵琶法師の声が響き、セミが鳴き、桜が散る。
    ああそんな景色をもう1000年も、西行の時よりボクラは愛おしんできたんだね。
    裏切り裏切られ、ヒトが呻き、女は犯され、血は流れ、馬はどうと倒れる。
    そんな殺戮の時代を、もう1000年も続けてきたんだね。

    kiyomorilast2

    PR

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << December 2012 >>

    ブクログ

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recent trackback

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM