スポンサーサイト

  • 2014.04.04 Friday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    大西順子トリオ・クラブツアー2012と嫌な夢

    • 2012.10.27 Saturday
    • 14:07

     大西順子ライブに出かけた。
    彼女は、今回10/22からの国内ツアーでプロの演奏家としての人生にピリオドを打つ。
    その理由はHPに記されている。
    残念なことだ。だが本人が決めたことなので仕方ない。

    そんなライブが松山の「Monk」で開催された。
    早い時間についたと思ったのに大勢の方が並んでいた。
    『大西順子トリオ・クラブツアー』
    メンツは、大西順子(pf)、井上陽介(b)、Quincy Davis(ds)だ。
    この3人が三者三様すごい!

    ジャズには疎いのでうまく表現しろと言われても無理だが、
    ベースの井上さんのあの迫力、Davis氏のドラミングのキレと逆に備わった繊細さ、大西順子氏のピアノの絨毯爆撃・・って感じですかね。
    そのバトルのような演奏が、19:30-20:30、30分の休憩を挟んで、21:00-22:00過ぎまで続いたのだった。
    大西順子嬢は全身クロで固めて、黒のミニスカと、ニーハイ・ロングブーツ(もちろん黒!)という挑戦的ないでたち。
    まるで年齢不詳だ。
    横のオヤジが時々叫んでクラップする、Wao!その気持はよく分かるよ。

    音楽には音楽でしか表現できないことが絶対あるのだ。
    音楽は最後には赦してくれるのだ・・そう書いたのはかの村上龍だったろうか?
    それは文章は赦しには結局はならないのだ・・・というような暗喩が含まれていたのだろうか・・覚えていない。
    そんなことを何故か思い出しながら聴いていた。

    彼女は、こう言って、鍵盤に手をおいた。
    「これはどこにも発表されていない作品で、4番と書かれています、もうどこにも発表されないだろうけど・・やります・・」
    その曲と「DARN THAT DREAM」(なんて嫌な夢なの!)という別の楽曲がオーバーラップして、おれの頭の中の鍵盤の上でも音符たちが数千万の精子のダンスのように飛び跳ねたのだった。

    Darn that dream
    I dream each night
    You say you love me and hold me tight
    But when I awake and you're out of sight
    Oh, darn that dream

    朝起きたら、あんなにも愛を囁きあったはずのあんたはいないんだ。
    もぬけの殻のベッドに人型の凹み。そしてわずかに残るあんたの香り。
    さよならも言わずにいくなんてね、さよならも言わずにバイバイするなんてね。

    だからさぁ、辛いことや嫌なことはさぁ、いっぱいいっぱい、これでもかってくらいにあるんよねぇ。
    きっと、今日も明日も明後日も、もしかしたら未来永劫に続くのかもねぇ。
    でもまた太陽は登るしさ、新しい明日はやってくるんだ。
    だから、おれだって、
    ここで、この場所でねぇ、
    生きてるってことに、
    生かされてるってことに、
    『だんだん』(ありがとーの伊予弁、正岡律(菅野美穂さん良かったですよね〜by坂の上の雲))とか言って、
    もう少しの間は踏んばらんとイカンのよねぇ。
    しんどいけど。
    そうしんどいさぁ。
    だから、おまえもがんばれよ、がんばれよ、がんばれ!
    嫌な夢とはもうおさらばしようよ!

    なのはな 萩尾望都

    • 2012.10.24 Wednesday
    • 21:13
    コメント:冷たい雨が降っている 誰の心にも等しく・・

    3・11からそんなに経っていない時期に書かれた話を皮切りとして、萩尾望都さんが連綿と綴った作品集です。
    彼女が描かずにはいられなかった痛ましい気持ちのほうが先走っているとなあということは、誰もが感じるだろう作品集です。
    だから、いつもの彼女の洗練とはちょっと異なった趣ではあります。
    でも、彼女が、自分の得意分野でもないのに、ここまで労力をかけて、計5篇の短編にしなければならなかった、そんな彼女の気持ちをボクは買います。
    評論とか批評なら腐るほどあったからね。

    自分にだってなんにも出来はしないです。ただただ、自分は自分のフィールドで淡々と生きて、日常を生きてゆくことしか出来ませんでした。
    華々しく(もないんだけど)日赤のドクターチームの活躍の報告を聞いたり、震災後ボランティアにゆく人の姿を少し目を細めて眩しく眺めながら、
    医者としての自分の日常をいつもどおりに生きることが、自分の役目なんだと、必死に自分に言い聞かせて今日まで来ました。

    『わたしたちは同じ世界に生きている 
    この世界に降り注ぐ雨の音から
    もうだれものがれられはしない』 (雨の夜-ウラノス伯爵-)

    という桃子おばさんのコトバが沁みます。

    生きて、こうやってうんこができることをありがたいと思う

    • 2012.10.23 Tuesday
    • 16:20

     人生はあるいはトイレの形に切り取られている。

    ・・・という言葉が、おしっこしていて水と一緒に流れていった。

    うんこする時に、安らげる場所があるといい。
    ・・・で考えるとそれはやっぱり自宅のトイレだ。
    だから帰る家があるっていうのはいいなとホンキで思った。

    敵に追われて廃屋に逃げ込み、いつ狙撃されるか気にしながら、建物の影で迷彩服をおろし、おしっこをする、そんな生活は消耗してゆくだけだろう。
    今も世界のどこかでは銃撃戦が続いている。

    幸いなことにバスの中で撃たれた少女は覚醒したが、彼女がいつまで生き延びられるのか、そんなことさえわからないくらい、海の外では死は安くなっている。
    まあ、それはこの島国だっておんなじで、ヒトの命の価値はどんどん下がっていってるんだけど。

    自分には帰る場所があって、そこで、時間を気にすることなくしゃがんで用を足す、なんかそれだけでとっても幸せな気がする。

    オレはやっぱり農耕民族なんだろうかいな?

    でも旅の空に憧れたりもするけど・・。

    うんこする場所があるって、誰にもはばからずうんこできるって、とてつもなく幸せなことなんだろう。

    3・11の後の仮設トイレの話を、何年か前にNPO法人「トイレ研究所」の加藤くんに聴いた。
    喰うことと排泄することはいかに重要か。
    あらためて再認識させられた。
    死んだら死んだで、当然のごとく死体は朽ちてゆき、安置するところ燃やすところさえもままならない。
    それも地獄だ。
    生きていれば生きていればで、喰わなければならんし、身体を保護しなければならないし、喰ったら必ず排泄しなければならない。
    でも薄暗い体育館の避難所で、寒さに震えながら、失った家族や家や故郷を思いながら生きていくのもどんなにか辛いだろう。
    自分がウンコをひり出すのにちょっと苦労するのとは比較にならないような壮絶が、彼の地にはあったのだ。
    今も多分。

    毎年、決まって祭りが開かれる。
    提灯行列が前夜、うねり歩き、祭りの日には、子供神輿が病院に入ってきて、その後に大人神輿が続く。
    神主さんが受付のスペースでお祈りをしてくれ、
    酔っ払った患者のおっちゃんが、おまえこうするんやがと、備えてあった米を神輿の中に放り込んでくれる。
    みなが豊作を祝って、神を担ぎだして、酒を飲んで、うねり歩く。

    それもみな、決まった生活があってこその賜(たまもの)だ。
    その決まったような季節の移ろいをありがたいと思う。
    生きてることをありがたいと思う。

    コメント:すべての死者に哀悼の意を再び。

    土曜の迷走と日曜の登山(後編)

    • 2012.10.19 Friday
    • 18:54
     そんな訳で、当然二日酔いで挑んだ『皿ヶ嶺』登山は死ぬ思い。
    総勢6名。
    ヒィヒィ言いながら、なんとか竜神平までたどり着き、宴会第1弾。
    みんなが持ち寄った食材でばっちり。
    おにぎりは4種類(うちからのは5合分だったそう)、ラタトゥイユ、ヘルシー・ハンバーグ(鶏肉と豆腐だ!)、チキンナゲット、マカロニサラダ。
    二日酔いは十分には回復しておらず、さすがに酒は飲めず。ただただ水がうまい。

    そこで体力温存して、みんなで山頂に向かうことに。
    去年は迂回して、結局山頂辿りつけなかったばかりか、逆に久万の方の峠付近まで下っていって皆さんのブーイングを浴びたのだった。
    そして、最初よりはハードでなかったがそれなりのハードさでもってたどり着いた山頂。

    標高1278m。
    山頂からは、伊予灘から空港から、海まで眺望でき、沖に浮かぶ島は興居島かなあ、などと。
    角度を変えて、あの山の向こうに見えるのは久万高原町かなあ・・
    なぜか、そんな状況でも、結婚しない・できない話を続けている人がいる。面白い。
    またまた、竜神平に降りてくると、雨がポツポツ、いつもの愛大小屋に避難。

    でも、誰かさんの行いがよっぽどいいのか、雨はやみ、宴会第2弾!
    今度は酒飲みたくなるくらいまで回復しているようで、持って登ったアルゼンチンの赤ワインを飲むことに。
    味付け牛焼肉+塩ネギ豚+チーズ入り濃厚ウインナー(これが一番高かった)!
    山の上で焼肉食べれるなんてサイコーだねーとか言ってたらさらにサプライズ!

    気を利かせてラ・ブランシュのパウンドケーキを持ってきてくれた彼女の計らいで、誕生日を祝うことに。
    メンバーのうち9・10・11月組4名分のHappy Birthday!
    ええ、歌いましたとも。
    山小屋の脇の木のテーブルでくつろいでた皆さん、驚かせてすみません。

    どんなにトシとっても、いつだって誕生日は特別な日なんだよ!

    そんな年に一回の登山。でしたよ。
    駐車場の手前で雨が降りだして、自分じゃない誰かさんの行いが絶対いいんだよなー。
    決しておれではないはず(^_^;)です(と断言)。

    とにもかくにも来年も行きたいですねー。

    土曜の迷走と日曜の登山(前編)

    • 2012.10.16 Tuesday
    • 14:05

    10/13土曜日の午後は、扶桑薬品の「透析液講演会」。
    九州大学の谷口先生の「至適透析液Ca濃度について考える」というもので、
    この1月からCa濃度3.0→2.75mEq/Lのキンダリー4Eを使用し始めていたこともあって、
    非常にためになる講演だった。

    懇親会の前に、ちょっとした用事を片付けるのだが、携帯でメールするのってほんと難しい。
    ちょっと長い文章を打つのに5分くらいすぐにたってしまうのだ。
    PCなら一分くらいなのになー。
    docomoからはiPhoneはきびしいという話だし、いつ携帯を切り捨てるかという話なんですが・・。

    で、遅れて入った懇親会で、学術の津田さんとトークに花が咲く。
    なんかこのブログも眺めてくださっているみたいで、感謝感激。
    会社の若い女の子と写真撮ってもらい(おれが撮ってくれって言ったんじゃないよ、津田さんに強要されたのよ・・とかいいつつ)、「是非ブログに!」と言われたので掲載する。
    ただのにやけた腹の出たオヤジとギャルの写真ですが・・。
    若い子は、なんか並ぶだけでそれだけで輝いてていいねという見本のような写真だな。
    で、その学術の津田さんの講演の主題は『透析液の変遷』についてだった。
    そのあとで、演者の谷口先生も、彼をリスペクトするような内容をも踏まえてで、新しい知見まで(これが難しい!)披露してくれたのだった。

    こういう会に出るといつも思うが、医学の進歩とそれに携わる人たちの洞察は奥深く、
    切り深い谷を「学問」という巻物を携えて分け入っていく先人に、われわれも道を示してもらい、ついて行けるしあわせ!を噛み締めて、
    (かえすがえすも山中先生、おめでとうございます!)
    ちょっとでも彼らの背中に追いつこうと思うのでした。

    先生のお話を聞くのももう4回目くらいですが、谷口先生ありがとうございました。
    また来年、新しい知見とか聞かせてもらえると嬉しいです。

    そしてそこから迷走。

    なんか変なテンションで、こうなって、ああなって、最後の店では、知らない人の似顔絵まで、どういった顛末で書いてんのか。。
    記憶はうっすらしているのだが、こうやってのこった写真たちを観てると、なかなかハイテンションな夜だったんだヽ(^。^)ノ
    焼酎のロックをひたすら飲み続けたことだけ覚えてるなー。

    (後編に続く)




    PR

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << October 2012 >>

    ブクログ

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recent trackback

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM