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    弥生の戯言と『Sorry Baby』、誰も約束なんて出来なかったよ。

    • 2012.03.31 Saturday
    • 16:49
     140字を繰り返してたら真実に辿りつけるのかもしれない、そう思ったりした。
    オレのちっぽけな人生なんてこんなもんに収まるのかとさえ思った。
    Siriに呟く。オレのちっぽけな日常。Siriに呟く。オレの戯言。
    tweet me,tweet you.拡散されない、収斂しない。垂れ流されて流れてなんだかどっかで詰まっちまったような。

    漢字の勉強は遅々として進まず。なんだか疲れちまった。

    『壊』と『懐』。
    崩壊・決壊・壊滅・壊血病。

    壊れることばかりの世の中ではある。
    でも怪獣がそうそうスカイツリー壊しに来るわけでもなし。
    自衛隊は震災の寒さの中を頑張ったんじゃないか。日本だってそう捨てたもんじゃないよ。
    それはそうと、お前も昔は地球防衛軍に入るとか言ってなかったかい。
    ウルトラセブンはどうして自分の身を呈してまで地球を守りたかったんだっけ?

    懐中にいつも辞表をしのばせ、事あるごとにそれを取り出し目を吊り上げて辞職をちらつかせてるサラリーマンは、
    もはや『サラリーマンNEO』でもなぁんも面白くないギャグにしかならず、
    いつでも懐刀で死ぬ覚悟で御奉公のドラマも、もはやアニメくらいにしか見当たらず・・。

    『ラグーン商会』のあの2兆拳銃の姉ちゃん・レヴィは、今頃なにしてるんだろうな。
    歯ぎしりしながら、ロアナプラのfuckin' long hot summer nightを耐えてるんだろうか。
    それとも酒瓶抱えて脳みそ崩壊させてるんだろうか、あのシスターと一緒に、笑えない目ェして。

    ほっときゃヒトはみんなロックみたいに真っ黒けになっちまうのかな?

    『平清盛』に出てくる平忠盛役の中井貴一、ありゃあどうみても昭和の悪党の顔だね。
    だって平成の悪党は悪を悪と自覚してなさすぎるんだもん。

    それにしてもやっぱり昭和は遠くなりにけりだ。
    そして平成天皇の病状は全てオープンにされるのだった。

    例えば今こうやってこの個室の中に隔離されていても、実は隠れるところなんてどこにもありゃしないんだ。

    懐が深い、と、誰かが言う。

    お前さんって、結構懐が深い男だったんだな。

    そう誰かが俺のことを褒めちぎった夜もあった。

    そういえば懐石料理『小椋』の兄ちゃんは元気かなあ。
    奴も地元に帰って店を出すといって消えてったなあ。

    みんなその人の人生しか送れない、だから顔変えてもオレはオレにしかなれない。

    なんでも、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったので懐石とか。

    いずれにしても解析は急がなければならない。解析なしでの提言ならただのヤジっていうものだ。

    それは差別だと言われたので悔し紛れで区別だと切り返したけど、そんなのなんの手柄でもない。
    そしてなんといってもオレはきっとおまえを切り捨てるだろうし。

    Sorry,Baby.約束なんてなんもできんのんじゃ、そんなオレを笑うかね・・

    『泌尿器科とわたし』、泌尿器科とオレ!

    • 2012.03.27 Tuesday
    • 12:38

     日本泌尿器科学会が募った、体験手記・エッセーをまとめた小冊子が送られてきた。
    『泌尿器科とわたし』というものだ。
    日本泌尿器科学会ができて100年の記念というわけだ。

    それと全く関係ないんだけれど、4月に横浜である泌尿器科学会総会には、久々に、たった一日ではあるけど出かけることになっている。

    デジタル化のため、カセットテープからパソコンに音を送りながら、
    原田芳雄さんの歌声で聴いた『横浜ホンキートンクブルース』の横浜である。

    さて、内容は多岐に渡る。

    脊髄損傷による神経因性膀胱、二分脊椎の女の子が休み時間も必死でトイレで排尿処理をして友達に話せない話、泌尿器科医を夫に持つ妻から見た泌尿器科というもの、
    間質性膀胱炎の人にわかってもらえぬ苦しみ、尿閉を繰り返した男性の話、予期せぬ精巣腫瘍、前立腺癌、膀胱腫瘍・・まさになんでもありだ。
    自分はいつも治療者側なので、余計に興味深く読んだ。

    自分が学生の時の話だ。
    鎖骨骨折の手術待ちで大学の整形外科に入院した。
    はじめての入院。二人部屋をたまたまひとりで占拠していたなんか興奮した第一夜、その夜中に、急遽、脊髄損傷の男の方が入院となった。
    シャベルカーとかが崩れ落ちての事故だったらしい。
    かたや河原で花見してて、合気道部のやつにふざけて投げられて鎖骨を折ったのんきな自分、
    その横の家族は陰鬱なムードで、(一応)医学生である自分にあれやこれや病気のことやこれから先のことや尋ねてきた。
    知識のなかった自分はろくに答えられず・・・最後には言葉に窮したものだった。

    それから何年後か、自己導尿で通院している彼と、たまたま、大学の泌尿器科外来の廊下で再会した。
    彼は、もう仕事はね、こんな身体だから出来んのよ、あの時の子供ももう大きくなったよ、そうかねもうちょっとで先生やね、と笑った。
    その時ポリクリ(臨床実習)の学生だった自分は、ああ、あの時、この病気のコトとかそれに付随するもののことなんて、自分はなんにもわかっちゃいなかったんだと痛感したものだった。

    そんなことやあんなこと、いろんな思い出が一瞬ずつ蘇った。

    いずれにせよ人間はひとりで生きて行きたくっても、ひとりで生きていくことなんてできない。
    誰かの助けになり、その自分が誰かを助けて、生きてゆくのだ。
    泌尿器科たる自分もそうやってきたつもりだ。
    いまからだってそうやっていくだろう。
    それらがうまくゆかない時もある、逆におどろくほどスムースに行って医者冥利につきる時もある。
    でもそれは、医療を受けられる患者さんの方だって同じだったんだ。
    そんなことをいまさらのように気付かされる。
    だから、だかれでも、それゆえに力まなければならないなんてことはないのだ。前を向いてちょっとでも進めてるかぎりは。

    まえがきで、九大の内藤誠二教授がこんなふうに書かれている。

    原稿の多くは泌尿器科”がん”に関するものであろうと予想していましたが、以外に排尿障害に関するものが多かったのにまた驚かされました。
    (略)いかに”おしっこ”の問題がQOL(生活の質)を脅かす辛いものかを改めて考えさせられました。
    泌尿器科の最も泌尿器科たるところは、何といっても”おしっこ”の問題の解決にあると再認識した次第です。

    もううちの娘は言ったことさえ忘れてるだろう、
    『(お父さんは)おちんちんとおしっこのお医者さんです』という最大級の褒め言葉を掲げながら、
    自分も泌尿器科としていけるとこまでいけたらといまさらのように思う。

    李白の話の続き〜天に登ったT先生

    • 2012.03.24 Saturday
    • 13:10
    評価:
    コメント:読めば読むほどに味わい深い『小説』たち。

     A.

    昨日はM先生と飲んだ。
    飲みながら亡くなられたT先生の話をした。昔の話をたくさんした。
    話をするだけで救われることどもも世の中にはたくさんある。
    話してる途中、先日亡くなった別の患者さんに対するわだかまりが氷解するのを感じた。
    なぜだかわからない。
    手前勝手で申し訳ないが、ああ、あのおばあちゃんホントに亡くなっちゃったんだなあ、あっちの世界に行っちゃったんだなあ、と、実感できたのだ。
    否定していたわけではない。
    ただ『死』という事実を、事実だけでなく観念としても受容したのだ。
    その瞬間に。
    氷が溶けていって水になって、元のコップの中でわからなくなっても、氷はそこにあるといった感じで。
    わだかまりがなんだか溶けていったのだ。
    M先生、ありがとう。

    B.

    ヒトはバベルの塔を作り、新しい電波塔を作る。
    前者は神のいる天上に届けという意志が含まれてたんだろうけど、後者はどうなんだろう。

    李白の話を知っているだろうか?

    李白はご存知のように中国の詩人で、月と酒をこよなく愛した。

    船に遊び、独酌し、水上の月を天上の月と思い、月に手が届くんだと手を伸ばし、溺れて死んだという。

    夢をみたので書きだしてみた。

    C.

    さて、T先生の家の裏には果てしない物見台がある。

    先生は物見台だというが、それはしなる鉄塔で、タワーといってもいいどころじゃなく、完全なタワーだ。
    ところどころに、ロープウェイのゴンドラみたいなものが設置されている。その光景はあたかも鳥の巣のようだ。
    鉄塔は風にあわせてしなるのだが、そのしなりは半端ではない。
    強度の地震か台風のさなかにいるようだ。
    だから先生も、3段目のネスト(鳥の巣)にはめったに行かないんだよ、と、笑う。
    そこで月をみたり、寝袋にくるまって揺られてるとね、地球を感じるんだよ、とも。

    で、自分も一段目の20m地点に上がってみたが、ホント身の置きどころのないくらい狭い空間で、そこでグラグラ揺られていたら気分が悪くなって、すぐにリタイヤした。
    それに周り全部ガラス張りのところにいると、ホント空に座っているような気分なんだ。
    いや、それがとってもいい気持ちというよりは、鳥に生まれんでよかったなあというのが正直な感想だ。

    ちょっと強い風の日に、先生に誘われて、鉄塔に付属の狭い階段を、おそるおそる第2ネストまで登った。
    もうあたりはどっぷり暗く、染み渡るように晴れた青空にポッカリとオレンジの月が浮かんでいる。
    高度は50mだそうな。
    体感風速は半端ではない。ネストに入ってからもガラスの隙間から高調音が途切れることなく耳を刺し、そして揺れは激しい。
    とても、風流に月を眺めて、杯をかわして、吟じるような雰囲気ではないことだけは確かだ。

    じゃあ、オレはもう一つ上まで行ってくるから、ここで待っててよ。
    そう言って先生はザックを背負って、細い階段を上がり始める。
    自分はその後ろ姿を見送るだけだ。

    そして、また、風がごおと鳴り、その瞬間に先生は天に召し抱えられるようにふわりと浮いて、そのまま垂直に浮かんで、どこかに消えてしまったんだ。

    鉄塔は今もある。
    だけど、それに登る人はもういない。
    噂によると、手入れを放棄されたネストには本当に鳥が巣を設営してるとか。
    ただ、風の強い日には、鉄塔のしなりは半端ではなく、そのしなりと軋みの音の谷間に、T先生の歌声が天から降ってくるのだそうだ。

    竹内先生が天に召されたということと李白の『捉月伝説』と。

    • 2012.03.23 Friday
    • 18:26
     rihaku竹内先生の葬儀のミサで、牧師さんは先生のことを『兄弟』と呼んだ。
    人類はみんな運命共同体であり、同じ船に乗っているという点で考えれば、たしかに兄弟だなあ。
    ちょっといいコトバかも、兄弟。
    兄弟、ちょっとそこのコップとってくれよ。兄弟、明日また会おうな。なんかいい。
    兄弟は、地上での生活を終えられて天に召されました。
    牧師さんは先生のプロフィールを語られ、最後にそう締めくくった。

    神も仏にも執着のない自分だが、なんか牧師さんのその話だけすっと腑に落ちた。
    どうしてかはわからない。
    先生の長い長い闘病生活がやっと終わったんだという安堵からなのかもしれない。
    いや、三途の川を渡って蓮の花咲くところに行くのではなく、なんか天使が手を引いて天に登っていくというイメージのほうが自分にとって違和感なく受け入れやすかっただけなのかもしれない。

    そこで『李白捉月』の話を思い出した。(『李白の月』南伸坊 ちくま文庫より)

    晩年、李白は、当塗の近くで長江に船を浮かべ酒を飲み詩を詠じていたときに、水面に映った月を取ろうとして溺れ死んだという「捉月伝説」である。

    南伸坊さんの漫画のほうではこうなっている。

      その晩も詩人はひどく酩酊していた
      月が川面に揺れるのを掬いとろうとするらしかった
      旦那様、いい月ですね
      ・・・・・・・・
      グラリと舟が傾き船頭は目のはしに
      詩人が大きく身を翻すのを見た
      不思議なことに水音が聞こえなかった 

    注釈で、南伸坊さんはこんなふうに書いた。

    酒仙、詩仙、謫仙と評された李白は、あるいは麒麟にまたがり、あるいは酒瓶によりかかった姿で描かれて、歴代の仙人の仲間に数えられているというのに、こんなにやすやすと溺死してしまうのはいかがなものか?
    私の解釈はつまり、船頭の見た水中へ沈んでいく李白の姿は、すなわち月に向かって昇仙する李白の、水に映った影のほうであったとそういう「落ち」であったのです。

    竹内先生は、ゆらゆらと水の中を月に向かって登って行かれたのだ、と、そんな光景を思い浮かべて、なんだか腑に落ちた。
    その手をひいてくれてたのが天女だったりすると、いかにも先生らしいよな、とか、ひとりで余計腑に落ちたりもしたのだった。

    うん。

    ご冥福をお祈りします。

    竹内正文先生ご逝去される、享年79歳。

    • 2012.03.22 Thursday
    • 17:41
     ビートルズからビートルへ。4人のカブトムシたちはちょっとずつ欠けていった。
    ジョン・レノン。ジョージ・ハリソン。ビートルは今は2/4でちょうど半分だ。
    みんないなくなってゆく。
    ジョン・レノンが生きていれば、ってあの時みんな言った。
    ジョンが生きていたら、今のこの世界を見てなんて言うんだろう、って。
    でもそれはちょっと卑怯な物言いだ。ジョンのせいにしてなにかをポーズすることなんて簡単だ。
    簡単すぎて呆れてものも言えない。
    そうやって誰かのせいにしてポーズすることで、逃げてきただけなんだ。

    ジョンがいなくっても、きみがいなくても、もちろんこの僕がいなくても地球は今日も廻り続ける。
    そして、どんなにあがいてもなるようにしかならんことどもだって、幾千万もあるだろう。
    でも、ビートルズは教えてくれた。
    ビートルズは他の誰かさんじゃなく君自身でいいんだよって教えてくれたんだ。

    愛媛大学泌尿器科教授・竹内正文先生が逝去された。

    自分は先生を慕って泌尿器科の門を叩いたけど、その時先生は、脳出血の後遺症で、すでに一線を既にひいておられた。
    それでも先生と1年間、講義の時の助手として、レントゲンフィルムを用意したり、先生の車椅子を押したり、先生のよだれを拭いたり、
    あれは、ナニモノにも代えがたい一年でした。

    ギミックもクソもないが、拓郎の『ビートルズが教えてくれた』を。
    そう、ビートルズも教授も教えてくれたんだ。


    ビートルズが教えてくれた

    作曲:吉田拓郎  作詞:岡本おさみ

    髪と髭をのばして ボロを着ることは簡単だ
    うじうじと吹き溜りのスナックで
    腕を組みながら
    考え深そうな顔をするのも楽にできる
    日陰ばかり好んでいては
    いじけてしまうんだぜ
    もっと陽気であっていいんじゃないか
    もっと陽気でもいいんじゃないか

    勲章を与えてくれるなら
    女王陛下からもらってしまおう
    女王陛下はいい女だから
    つきあってみたいと思う
    それも自由だとビートルズは教えてくれた

    くれるものはもらってしまえ

    欲しいものはものにしたい
    その代わり捨てるのも勝手さ
    もらうも捨てるも勝手さ

    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが

    人が幸せになるのを
    批判する権利は誰にもない
    みんな幸せになっていいんだ
    人に迷惑さえかけなければね

    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが

    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが教えてくれた
    ビートルズが 

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