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    ささやかだけどかけがえのないこの人生の一日〜伊勢正三『風・ひとり旅』 

    • 2012.01.30 Monday
    • 18:43
     kaze2012

    それにしても忙しい一日だった。

    15時過ぎ、60kmあまりクルマを走らせ、開場少し前に、もと保内町(八幡浜市)の『ゆめみかん』にたどり着く。
    会場の前に佇む人たちはさすがに自分と同じくらいかもっと年配の方で、知ってる顔を一応探すけど皆無だった。
    眠気を覚ますために、自販機のブラックコーヒーを。なんだかぬるい。でも100円。こんな事で納得する自分はちいせえ。

    『かぐや姫』『風』世代はやっぱり40台後半以上になるんだろう。
    『かぐや姫』に正やんが参加したのは19歳の時だったとのこと。それでも最初に書いた曲が『22歳の別れ』と『なごり雪』だって言うから驚かされる。
    『かぐや姫』における正やんは、やはり作詞能力がダントツだったと思う。
    今でも色褪せないフレーズがたくさんあり、それらがこの自分のピース(かけら)も作ってきた。
    そして、かぐや姫のあと、伊勢正三氏は大久保一久さんとフォーク・デュオ『風』を結成した。
    でも徐々に音思考になってゆき、ヒット曲はなんとなく聴いたものの、『海風』とかの楽曲は当時の自分は理解できなかった。
    そんな正やんが、ひとりで(正確には凄腕ギタリストと二人なんだけど)『風』の楽曲を演奏するというコンセプトが、今回の『風ひとり旅』だ。
    相棒の大久保さんは脳血管障害で療養中とのことなんだ。

    そんなわけで伊勢正三氏一人のなんか静かなライブを想像してたら全然違った。
    ギタリスト西海孝氏と二人のアコギで、しみじみ聴かせるチューンから、バンドみたいなエネルギッシュな演奏まで。
    『風』の初期の形態がこんな感じだったんだ、と、正やん。

    正やんは大分に19歳で上京するまで住んでいた。
    今から思えば、豊後水道から対岸にあるこの町(八幡浜)が見えてたんだ。
    その町にシンガーになって40年で初めてやってきた。こんなうれしいことはないよ。yeah!
    僕の家のまわりも、段々畑とか、みかん畑とか、似たような風景があったけど、ここよりもっとちっぽけな町だった。
    戸を開けたらすぐそこが海というアウトドアな家だった、
    ・・・と、前置きして、
    「その通りの名をとった歌を」と、「海岸通り」

    この歌にはみかんが出てくるから、『風』の楽曲じゃないけど、この場所でぜひやりたくってと、
    ここからは伊勢正三ソロコンサートです、といって「青い夏」という楽曲を。

    このコンサートは「風ひとり旅」ってわかっててみんな来たァ?としつこくふって、
    これも正確には風じゃないんだけど、
    ・・と、「22歳の別れ」と「なごり雪」を。

    この2曲は、どんな場面で歌ったのか数知れないくらい歌ったことだろう。
    だからそれをホンモノの正やんの、ちょっと昔から考えると、高音の出なくなった、甘ったるい声で聴いたんだけど、
    それでも目の前に情景がせり上がってきて感極まった。
    自分がそんな恋をしてるわけでもないのに、『君の唇がさようならと動くことが怖くて下を向いてた・・(なごり雪の歌詞)』とか、もう自分の中で疑似体験いや事実になっちゃってるんだ!

    前半では「地平線の見える街?」「北国列車」「あの唄はもう唄わないのですか」などおとなしめの曲が多かったせいか、
    疲れも加味されて、不覚にもうつらうつらしてしまった(T_T)

    中盤「時の流れ」「冬京」「あいつ」「アフタヌーン通り25」
    『冬京』の出だし・・僕の部屋の夕暮れは君が去ったドアの方から始まる・・こんな歌詞書けないよ。(;_;)。

    エネルギッシュな「海風」とか「デッキに佇む女」エレキかみたいなソロの「ほおづえをつく女」カッティングの素晴らしい「通り雨」

    アンコール1
    このためだけに彼はバンジョーを持ってきた、と、ささやかなこの人生」
    風で一番素晴らしいラブソングと「お前だけが」

    アンコール2
    「君と歩いた青春」

    アンコール3
    正やん一人で「終わりのない唄」

    去年の11月で還暦を迎えた正やん。
    声量も衰えてて、昔と声の質まで変わった感じだけど、こうやって聴衆の前に立って、ギターかき鳴らして歌ってくれる、それで十分だと思った。
    人生にはアップダウンがある。
    苦しいことも悲しい事も、嬉しいこともつらいことも。
    でもそれらがみんなささやかだけどかけがえのない一日なんだ。
    またひとつ、古くって新しいものを、そして変わらないものの根っこみたいなものの切れっ端をもらえた夜だった。

    やさしかった恋人たちよ
    ささやかなこの人生を
    喜びとか悲しみとかの
    言葉で決めて欲しくはない

    『ささやかなこの人生』より

    正やん、ありがとう。

    院内新聞『ほおづき』原稿2012.1月号(透析患者さんに配ってます)

    • 2012.01.29 Sunday
    • 08:59
     混沌とした世の中は続いています。

    民主党がどうなのかといえばわかりませんが、谷垣さんがいくら叫んでも自民党を思い出す人もさすがに減ってきたのではないかと思います。
    右肩上がりの時代が世界中どこにもないという事実を受け入れる空気だけは濃厚になってきており、そんな中で消費税の増税が具体的話題になってきました。
    消費税と医療費は切っても切り離せないものになるようなムードですが、だからといって、国民医療費が右肩上がりになってゆくことは、ウエルカムとも言いがたいものです。
    いずれにせよ若者がより良く生きられるような社会を模索してゆくのが、年長者の努めだと思います。

    そのためには、この高齢化社会で医療費が拡大されるのはしょうがないとしても、いつも言うように、病気になってから『頼る』医療から、病気にならないように『予防する』医療へとシフトされなければなりません。

    ではすでに『透析』を受けられている患者さんではどうしたらいいのでしょう。
    それは、やはり、血圧管理・水分管理・栄養管理(十分透析してしっかりひいた上で栄養を保つ)、そして、下に述べるCa(カルシウム)・P(リン)の管理だと思います。

    今回は、我が国で進行中の、二次性副甲状腺機能亢進症を有する透析患者さん8229名を対象とした全国86施設の前向き研究『MBD-5D』の途中経過の報告を読みましたのでその報告です。
    この研究には、皆さんもご存知の佐藤循環器科も参加されているので、興味をひかれて読んでみました。
    iPTHが180を超す患者さん、ビタミンD(当院で言うとオキサロール注射)投与を受けられている患者さん、以上いずれか一方の条件を満たす方に対しての、3年間に及ぶ追跡調査というのが骨子です。
    これらの方々に関して、入院や心血管合併症などの患者予後に影響を及ぼす因子を同定し、患者予後の改善に資することが目的です。

    医学というのはやはり科学であり、医者は患者さん個人個人の状況において判断して、治療したりアドバイスしたりするのですが、
    やはりデータの積み重ねという客観的なものを振り返って、それを実際の治療に還元していかないと進化はありません。
    だからこういった研究は必要ですし、新しい知見を得るために、当院でもスタッフともども研鑽しております。

    さて、いつも言うように、リンやカルシウム、それに伴う二次性副甲状腺機能亢進症が引き起こす疾患は、最近では骨ミネラル代謝異常症(CKD-MBD)と呼ばれております。
    この疾患の何が悪いのかというと、透析患者さんの死因の第1位である心血管病変の発症と進展に深く関わっているからです。

    いろいろ難しい話なので、結果のみをはしょって言うと、
    やはりいったん副甲状腺の腫大(iPTHが高くなりだすと)が生じ始めると、骨ミネラル代謝異常症(CKD-MBD)のコントロールは困難になるということです。
    ですから、iPTH抑制のためにも、基本のリンコントロールは最も重要ということです。

    また、透析液濃度ですが、現在日本の透析施設で主流なのはCa3.0mEq/Lの透析液です。
    しかし透析液のCa濃度を下げることによって、
    リンコントロールのための炭酸カルシウム(当院ではカルタン)投与を増やすことができたり、
    静注ビタミンD製剤(当院ではオキサロール;オキサロール投与すると血清カルシウム上昇するため、投与が制限されることがある)高用量投与が可能となるため、
    iPTHおよび、CaやPのコントロール達成率も上昇したのではないかということでした。
    そしてその達成率の上昇が、心血管合併症の抑制になるということが予想されます。

    そんなこんなで、当院でも、従来のCa3.0からCa2.75の透析液に2012.1.13より変更しております。
    この透析液に変更してから、定期採血の時のデータを見ながら、薬液や薬剤の変更をしてゆく予定です。

    時には、近くを見て(週末ドライとか)、
    でも、この1月という1年の始まりには、遠くの山も眺めて(大げさに言うと人生のビジョンとか)みましょう。

    人間なんて来し方と行く末の間に佇んでいるちっぽけな存在で誰かさんの言うように『大河の一滴』に過ぎません。
    でも、そのひとつひとつはかけがえのない何にも変えられない『一個の生命』です。

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    『ごちそうの教科書』by村田裕子

    • 2012.01.29 Sunday
    • 08:51

     Amazonで購入した村田裕子先生の『ごちそうの教科書』紐解いてみる。
    「鯛の土鍋炊き込みご飯」とか「塩釜焼き」まで載っている。
    これって家庭料理の範疇超えてるような気もするんだけど・・・、ねえ、先生。

    今時の家庭でのごちそうってなんなんだろうな?
    「回転寿司」も「焼肉」も「ステーキ」もなんかそれなりの値段で腹いっぱい食える店がどんどん増えている。
    夜の世界でもそれなりな居酒屋が大盛況だ(らしい)。
    やっぱりコース・飲み放題で5000円くらいまでっていうのが妥当なお財布ラインなんだろうな。
    そんな世の中で、子供のごちそうは多分「おふくろの味」ではなく外食系に推移しているんだと思う。
    今時の「ごちそう」で、外食に勝るものってではなんなんだろうな、と考える。

    自分が小学生の時とか、おふくろに、「何が食べたい」と言われ、よくスコッチエッグをねだった。
    うちのおふくろは思えば料理が美味かった。ハズレというものはなかった。
    うちの親父が西洋かぶれのピークの頃、チーズフォンデューなるものを作った時は惨憺たる結果だった(その頃は溶かすだけのインスタントみたいなものは当然無くクエン酸買ったりいろいろなものをブレンドした)。
    家族が残したそれは犬も喰わないのであったが、果たして犬がチーズ好きか好んで喰うかと言われると、うーん難しいな。

    なぜスコッチエッグかと言われるとわからない。
    とんかつでもなく、ハンバーグでもなく、スコッチエッグ。
    うずら卵のちっちゃいやつじゃなくって、普通の卵の周りに、ミンチでボウルを作って、揚げるタイプのヤツ。
    真っ二つに切った断面が、中心部から、黄身・白身・ミンチの層ととってもきれいだ。
    そいつにとんかつソースをつけて食す。
    昔のことだから、これも、ウースターソースにケチャップ混ぜて作った自家製のものだったんだと思う。
    それがごちそうの記憶。
    多分他にもいっぱいあるんだろうけど。

    そんなおふくろももう死んでいないので、残念ながらおふくろの料理を生で味わうことはできない。
    こんな事ならもっと詳しくレシピを習っとけばよかったと心底後悔する。
    まあそんな時間なんてなかったんだけど・・。

    たまにだけど、料理を作るための買い物に、おふくろと一緒に買い物かごを持って出かける。
    時にはあれが足りなかったからと、頼まれて、また近所の八百屋に行ったり、子供の足としてはちょっと遠い肉屋までお使いに行く。
    そういった手順がきっと記憶を形作っていったんだ。
    形として”どおおおん”と残るもの、その積み重ねが一番大切なんだと思う。そして優しい舌の記憶。
    できることなら、料理が食材から調理され、加工される過程まで見たり作成に一緒にたずさわったりすることができたりするといい。

    そんな過程がごちそうの記憶を作ってくれる。そう信じたいではないか。
    だから、子供と一緒に料理を作ったり、
    材料を時間かかっても切りそろえてもらったり、
    後片付けを一緒にしたり、
    親も子供もみんな忙しいこの時代で、せめてそんな時間を取れることがあったらとれたらなあと思ったりするのだ。


    で、昨日の料理を・・

    村田裕子先生の『ごちそうの教科書』のトップを飾るのはいきなりローストチキンだったりする。
    その次はローストビーフで、これは実は2回ほど作ったことがある。
    父の日って言いながら、自分自身のために娘と作ったのと、
    子供の誕生日にあらかじめ肉屋ででっかい塊を注文して作った。

    今回のはいただきものを湯煎(これがいいと書かれていた)して、刺身包丁で可及的な薄さに切る(確かにプロのあの包丁さばきには及ぶべきもないがそれなりに薄めには切れたと思う)といういんちきものでしたが・・。
    ソースにわさびちょっとつけていただく。出来たてじゃないヤツは薄く切ってソースたっぷりのほうがいいなあ確かに。うまぁい。
    じゃがいものピュレは、皮ごと茹でたじゃがいもをつぶして(めんどくさいので裏ごしはなし)、フライパンに入れて、バターと生クリームで弱火でとろーりとなるまで練りあげる。最後に塩をパラパラ。大好評。
    りんごはナッツとチーズと干しぶどうとあえてそのまんまのサラダ
    コブサラダは帯状にと本に書かれてあったのに、自分は大皿に塊状に並べてしまってあとで気づく。
    (ちゃんと読めよ!それとコブさんがまかないように作ったからコブサラダなんだって・・・)
    ソースが実に興味深い。
    マヨネーズとレモン汁とタバスコを混ぜて作るのだ。このタバスコがいい味出してんだよ!ちくしょおめ、大人の味!
    帯状ではなくなってしまいましたが、トルティーヤチップス・アボガド・ゆでたまご・生ハム・ブロッコリー・ミニトマト、まあこれでも色とりどりということで。
    (これも知りませんでしたが、キューピーからコブサラダ専用路ドレッシングが出ているそうで、そんなメジャーなサラダだったんですね)

    村田本から頂いたのは実はコブサラダだけだったんだけど、まあ、そんなわけでよろしく(^^。

    old entry(スコッチエッグのことやっぱり昔も書いてました)
    風邪を引きました(インフルではなさそう) (200911/20)

    「ウルトラQ」を観終えた寒い朝。

    • 2012.01.29 Sunday
    • 07:43
    評価:
    コメント:カラー化のDVD記念にカムイ先生の本のカラー版もでました。新作書いてください!


      寒い。
    病院よりコール。
    麻黄湯、3日目。
    粉のまま口に含み、やかんで沸かしたお湯で飲む。舌にざらつくこの感じ。

    「ウルトラQ」は確かに怪獣の物語ではない。
    この世と位相のずれたアンバランス・ゾーンの物語だ。
    東京タワーが建って、オリンピックがやってきて、国民総生産の増大を熱望した60年代。
    その時代が夢想した21世紀像に向けて国民が一丸として向かっていたはずの時期に作られた物語。
    でもその高揚感を感じさせる時期にしてこの懐疑感の源はどこにあったのだろう?
    我々は今、その時夢想された未来とはまた異なるアンバランス・ゾーンにいる。

    後悔してる?でもおれはおれ。きみはきみ。

    なんかずっと昔にやり残したことってずいぶんある。
    そんな気がするだけのことかもしれないんだけど。
    そしてそれを成し遂げたから今が変わるというわけではないけど・・。

    白黒の「ウルトラQ」全話を見終えて、なんだか肩の力は少しだけ抜けた。

    「マグマ大使」や「スーパージェッター」が、
    「宇宙少年ソラン」や「8マン」が、
    自分の60年代は、浦沢直樹先生の『20世紀少年』のT・ボランみたいにはかっこ良くなかったけど、そんなことやらものどもでできている。
    「仮面ライダー」みたいな小学校中学年で訪れた異様なビッグ・ストリームもあったけど、
    それらよりもっと根源的なもの、
    小学校の自分が畏怖していて触れられなかったもの、それの象徴が「ウルトラQ」だったんだ。

    超音速ジェット旅客機206便が雲の中の異次元から脱出して再び降り立った羽田空港は、元の羽田ではなかったかもしれない・・
    そしてそんな歪んだ地球を守るために「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」ことモロボシダンは怪獣たちと死闘を繰り広げたんだ。
    守る価値があるくらい地球は素晴らしい星だったんだ、
    宇宙人に征服されたいくらい素晴らしい星だったんだ、
    そんなペシミズムを、寒い朝に、電車の音を聞きながら想う朝。

    現実に戻る時間だ。

    「今日は残りの人生の最初の一日」という言葉をかみしめて仕事に向かう。

    朝。

    悪魔っ子(ウルトラQ)

    • 2012.01.27 Friday
    • 22:48
     またウルトラQ話。

    第25話 悪魔ッ子(放映昭和41年(1966年)6月19日)。
    視聴率は30.8%と書かれているから、当時、いかにこの番組が望まれていたかがわかるというものだ。

    「東洋魔術団」で、生まれてからずっと、父親から催眠術をかけ続けられた少女・リリー。
    彼女の精神は肉体から分離して、舞台を歩きまわる。
    そして、夜、父親に催眠かけられて眠りに落ちたリリーは、『悪魔っ子』になる。
    夜な夜な無邪気な笑いでヒトを錯乱させ事故を誘発し、物品を手に入れるのだ。
    そして、起きたリリーの中にはその記憶は欠落している。

    この邪気のなき行為を「悪魔」とタイトルに付けた脚本家の意図はどこにあったのだろう?

    「悪魔がいたとすれば、それはリリーの中にではなくて、それを取り巻く世界が歪んでいたからなのです」
    と番組のラストでナレーターは結ぶ。

    無意識下の人間そのものの真っ白な欲望には善も悪もない。
    それを規定したのが社会であるというそれだけの話だ。
    「悪魔」という存在は邪気なくヒトを誘惑しヒトを滅ぼそうとするだろう、それが自分の使命で、それが悪魔だから。
    だから「悪魔」は「悪魔」なんだ。
    「悪魔」は「悪意」をいだいて滅びを誘発するのではないのだ。
    でも我々は、たまたま人類の叡智でもって悪というものを規定し封じ込めようとした社会で生きてるし、その社会を守るためにいろんなモノを作ったんだけど、枠はもうガタガタだな・・。

    永井豪の名作『デビルマン』の雷沼教授は
    「悪魔は人間の心がかたちに具現化したものだ」という声明を発表し、
    疑心暗鬼にかられた人類は、中世の「魔女狩り」よろしく「人間狩り」を始める。
    (あの話では人類はあっという間に滅びて、その後、デビルマン(不動明)vsデーモン軍団(飛鳥了)の戦いが繰り広げられるのだけれど・・・)

    だから弱い弱い人間は、今まで以上にいろんな殻を積み続けなければやっぱりダメなんだろうか・・

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