言わずと知れたアンジェ・ワイダ監督の名作で、ワルシャワの蜂起のあとのポーランド情勢を描いた映画だ。
テロリスト(?)マチェクと恋したホテルのバーで働くクリーシア、
彼女も両親を戦争とワルシャワの蜂起で失っており、心は虚ろだ。
空っぽだ。でも決してそのからのグラスを愛では満たそうとしたくもない。だって満ちたコップはまた空っぽになるだけだから。
マチェクとの情事のあとで彼女が言う、
「思い出だけなら嫌・・
お互いに別々の人生があって
偶然に出会い 楽しく過ごした
それで十分だわ」と。
それでもマチェクは彼女を求めるし、彼女も一人であることカラつけた仮面を氷解させるような表情に変わる・・。
それでもマチェクは大義のためにテロリストに戻り、暗殺はなされたものの、
マチェックは虫けらのように、朝の光の中で死んでゆく。
灰の中にダイヤモンドが眠っていたとしても、
今まで、大量の血を流してまでも何かを奪い取って来なかった大和民族は、それを取ろうとはしないだろう。
そもそもこの国には灰の中にダイヤモンドなんて埋まっていないのかもしれないし。
でもそれは悪いことではない、この世から戦争なんて決してなくならないだろうし、だったら核を取らなかったのは懸命だったかもしれない。
(原発は核兵器よりもやばいかという話は別として・・)
しかも我々は本土の中では久しく血を流しては来なかったではないか。
だからあの震災のあと、買い占めやらなんやらはあったにせよ、あんなに優しい目をすることだって、義援金を送ることだってできたではないか。
それは大和民族の優しさでもあり優柔不断でもある、
何かを捨て去って別の新しい何かを取って来なかった我々へのつけが、こうやって今、白日の下に露呈されている。
でもオレはこの国がまんざら嫌いでもないよ。
でも、その一方で漂白の人生への想いは振り切り難く、いつもオレと共にあるのだけれど・・・
いろんな表現者たちがこの映画を通り過ぎ自分の中で反芻して吐き出していったのだ、と、何となく分かる。
「傷だらけの天使たち」のショーケン、ポランスキーだったかな「ポンヌフの恋人」?、狩撫麻礼原作のマンガ、甲斐よしひろの作る世界、小山卓治、押井守のアニメや「アヴァロン」、田中美佐子の「ダイヤモンドは傷つかない」あの監督はだれだっけ?、ジュリーにも同名の歌があったっけ。
その下でまた自分は育て上げられてきたのだ。
いわばワイダ監督は直結のおじいちゃんみたいなもんだな。