赤い砂漠の狐
1.
曳航弾が闇の中に尾を引き消えてゆく。
深い闇にストロボを焚いて、網膜に残像を刻印する。それでも闇はせいぜい鈍色に変わるくらいだ。
煤煙で曇ったガラス越しに眺めるそれは深海の光景を思わせる。
Gで圧迫され、選ばれた生物しか生きてゆけない深海の掟を、曳航弾の光は想起させるのだ。
お前はこの世界に適しているのか。そう曳光弾は問いかけている。
汚染された深海で、放射性同位元素はゆっくりと染み出していった。そして臨界点を越えた時点で生態系を急速に異化させ始めた。
鰓の三つあるちょうちんアンコウ。頭が二つにわかれたトビウオ。両性具有の魚類。ナビゲーター信号を理解できなくなったまま海岸に乗り上げて腹を見せたまま干からびていったイルカ。
ニュースやネットに流れたイメージが頭の中で、遠い昔からインプットされてきた当たり前の景色として処理されている。そしてそれらは自分の中では既視感を持った映像であるのに、それがリアルに自分の体験したものとはとても思えないでいる。ずっと自分の中では当たり前の、ドッジボールとか縄跳びとかと、並列したデータとして処理されている。当たり前すぎることが実は真実ではないのではないか。それを疑えないこと自体が最も恐いのだ、と。痛くもかゆくもない自分が思っている。いや、この大気は喉に悪く、さっきから血痰を何度か吐き、その瞬間にさすような痛みが走ってはいるんだが。まあしばらくするとおさまるしよくあることで、ここじゃめずらしくもなんともない話なんだよ。
塹壕に入る人も決して少なくはない。
しかし全般的には漂う空気はどちらかというと諦念の気配が濃厚だ。
つまり、若い層を中心とする大半は、どうせ最後はドンピカで終わりなのだから、そんなモンに入ってもしょうがないよとうそぶいて、崩壊しかけのマンションのベランダに、プラスチックの椅子を並べて、闇で手に入れたハングル文字の焼酎とかをあおっているのだ。
このおれのように。
それが3ヶ月前の光景だ。
2.
ということは恵美子とコミューンを抜け出してもうそれだけは踏ん張れたってことか。
コミューンは微々たるものではあったが、食糧の供給と、雨風をしのぐ最低限の物資だけは保証してくれた。
その代償として、労働と、性を維持してゆくための奉仕は必須条件ではあったが。
もっとも、おれも恵美子とは、そんな夜のミーティングで知り合ったのだから偉そうなことを言う資格など最初からない。
おれたちは底をうろつく飢えた野良犬だった。野良犬同士がくっついただけの話だ。野良犬が飼い犬になれるはずはない。だからそんな生活がいつまでも続くわきゃあないことは承知していた。あたたかい寝床と餌を手に入れて一度は満足したはずなのに、闇の底に闇を敷き詰めたような深い夜、おれと恵美子はコミューンをあとにしたのだった。
コミューンは来る者に対してはウエルカムを装ったが、去る者に対しては制裁を加えた。自らの力を誇示し、去る者はこうなるのだとプロパガンダすることによって、コミューンそのもののパワーを高めようとするのだ。これじゃあ昔の国家と何ら変わりない。でもやっぱりバカげた行為だと思う。どこにいっても一緒なのに。だったら鎖をつけられて尻尾振って餌もらってるほうがいい。
やっぱり愛は強いよなあ、オレは冗談めかして恵美子にいったんだ。恵美子は何も言わずに抱きついてきたけど、続きのセリフを考えているうちに寝ちまってたよ。
3.
緑は極端に減った。
おれに与えられたマンションの出口からすぐのところにはオレンジ色のポストがあった。
そのポストにはなぜかマクドの景品のビニール製のドナルドがぐちゃぐちゃになってねじ込まれていた。
なぜドナルドだとわかるかというと、彼のしっぽだけ空気が抜けずにピンとポストからはみ出ているので、何度もそこを通るおれと恵美子は了解済みになってしまったんだ。
おれたちにわかるということは、他の誰にも了解可能なわけで、その地点にはドナルド・ポイントという俗称までがついてしまったので、余計にそいつをポストから抜く奴もいなくなってしまったというわけだ。
ドナルド・ポイントのすぐ隣、瓦礫から突き出た水道管を数十メートル南へ進むと、そこにはもうデザート・ストームと呼ばれる気まぐれな砂塵が吹き荒れており場所で、誰も近寄らない砂漠の入り口だった。
砂が、人間に生息を許された瓦礫の街の方へ、生命体のように隙さえあれば攻め込もうとしている。
地面の砂には何かの生物のあゆみのように風紋が描画されその表情を変えている。ドナルド・ポイントから数十メートル先は、もはや街ではなく、砂漠だった。
そこには誰もが気楽に進入できない土地が拡がっていたのだ。
4.
その砂漠でおれは狐を観た。
確かに。
誰も信じてくれないけど、ホントに観たんだ。
狐は潰れたサボテンを齧って、砂を跳ね上げながら、夕闇の中に消えていったんだ。
そいつは優雅に飛んで闇の中に消えていった。
この世で最後に生の享楽を受ける生き物にさえ見えた。
赤い砂漠の狐。
恵美子は、時々変な咳をする。
おれは死後の世界なんて信じない。
死んだ親父やお袋が、この世の果てには極楽浄土というものがあって、それはそれは美しい着物を着飾った人たちが、香を焚きながら、蓮のうちわをゆっくり動かしながら、にこにこしているのよ、と言っていた。
お袋の墓は吹き飛んでしまったし、親父はある日自分のために最後までとっておいた煙草を1カートン持って女を買いに行き、その3日後高熱にうなされながら、体中のありとあらゆる分泌物をまき散らしながら死んでいった。
水のでない井戸に親父を放り込んだが、誰も皆同じことを考えるらしく、親父を放りこんですぐに、何か柔らかいものに当たる音がした。
腐臭はどこにいても漂っていたから、感覚がわからなかったのだが、そこは公衆簡易墓場だったのだ。
5.
意味のないテロは続く。
誰も何も持っていないのに、どうして軍事物資だけは細々ではあるにせよ流れてゆくのだろう。
ネットだけが生きている。
ネットは時々思い出したこのように世界に明確な信号を流す。
バーチャルで、そして鮮明な、猥褻画像が、ネットを通じて送られてくる。デートしませんか、**OK、レート***。
風景はくすんでいるのに、モニタの中で腰を振る女だけが鮮明すぎるくらい鮮明だ。ネットだけが意志を持っている。
恵美子の痰に血が混じる頻度が最近増えてきた。
はじめは薄い透明の粘液に、ピンク色の線条が長いラインを描いて、二人できれいなもんだとはしゃいだりもしたが、どす黒い血塊が増すようになってから、二人ともその話題には触れないようになってきた。
赤い砂漠の狐。
夕日に染まった赤い砂漠に狐のシルエットが浮かぶ。
そんな生物はいない、ただの犬か何かがそんな風に見えただけなのだと主張する者もいる。そんなことはどうでもいいことなんだ。
砂漠を縦横無尽に駆ける狐は、その存在だけでこのクソみたいな世界を無視した黄金律の中で動いているような気がしていた。
確信はない。
ただそんな気がしただけだ。
赤い夕日の中に乾いた爆裂音と吹き上がる砂塵が見えた。
狐のシルエットが飛び上がり、そして崩れた。
幾千幾万とわからない地雷のひとつを踏んだのだろう。
だから砂漠には誰も近寄らないのに。
狐はそこを自分のフィールドのように縦横無尽に駆け抜けていたはずなのに。
今日はついてなかっただけなのかい。
でもそんな事ってどこにだってあるさ。
おれにも、あんたにもね。
あんたの頭上にもハードな日常ってヤツが振って湧いてきたってわけだ。
あばよ、また運がよけりゃ復活した姿を見せてくれよ。
長い尻尾を優雅に振って、赤い砂漠を駆け抜けてくれよ。八百八千代の神様でも味方につけてね。
最後のハングル焼酎をラッパ飲みしながら、おれは、砂漠の奥に手を振る。
片手でチャックをおろし、長い時間かけて放尿する。
ペニスは縮こまっており、ションベンは黄色く濃縮している。
枯れた花弁のようなペニスから、尽きることなく、じょろじょろと尿は、街の方に境界線をどんどん稼いでいってる砂漠の端っこらの乾いた砂に染みこんでゆく。
それにしてもいつまでこの排尿は続くのだろう。じょろじょろじょろじょろ。
6.
砂漠は真昼のように明るく燃えている。
きつねはどうしただろう?
ふと恵美子のことを思う。
恵美子の鎖骨はきれいだろうか?
おれはなぜか恵美子の乾いた白く透きとおった鎖骨をかじっている自分をイメージする。
恵美子、もう死んでるのか。
恵美子、おれはお前の腐った肉を喰っても生き延びようと思うんだ。
なぜこんな世の中でそんなことを思うのか、自分でもわからないんだけどね。
お前のおっぱいをさすりながらお前に言ったことがあった。
それがあんたなのよ、そう恵美子は言った。そうなのかな?それでいいのかな?
もしそれが可能だとしたら、腐った肉を喰って生きるハイエナでしかないおれが、きっと、おまえの最期を見届けてやるよ。
恵美子は、咳こんで笑った。
薄い血痰で唇の端を濡らしながら弱々しくではあったがはっきりと笑ったのだった。
ここが灼熱の太陽の下なのか、曳光弾の下なのか、爆撃の熱風の中なのか、地獄の釜の中なのかわからない。
でも背後にいる狐の存在だけははっきり認識出来る。
おれの下腹部に疝痛が走る。暖かいものがシャツを濡らす。
おれは狐に食いちぎられた腹を押さえて歩き続ける。
血が砂漠の砂に吸い込まれてゆくのがわかる。
この砂漠が狐そのものなのだ。
生きようとする意志そのものなのかも知れない。
恵美子が燃えている。
あたりじゅう火の海だ。おれも燃えている。
いや、街が炎の中で叫んでいるのだ。
赤い砂漠の狐。俺は近くて遠い戦争を想った。そして生きたいと。
景気の悪い、あんまり明るいニュースのない2010年でした。政権変わっても、人間というか、日本人はそう簡単にクレバーになるわけでもなさそうです。そして自分も。
螺旋階段回るような感じでもいいから、ちょっとずつでも上に登っていきたいもんです。
それはそうと、いくらスポイルした気分になっても、しっかり選挙に行ったり、誰かを選ばなければなりません。
30年先の世界には自分は存在してないかもしれませんけど、それで『現在』を食いつぶしていいという理由にはなりませんから。
松山の市長に元地元人気番組のアナウンサーがなり、市長が県知事にスライドしました。宮崎も口蹄疫で散々で、そういえば東国原さんもいなくなっちゃいましたね。
この1年、自分は粛々と日常業務をこなしており、お盆からはずっと死にそうと言いながら働いてたような気がします。だからホントにあっという間の年の瀬です。
それでも遠征には行きました。自転車にも乗りました。
2月の大阪バカボンド展、6月の南予いよ美人ライブ、8月の徳島ラフティング(あれは楽しかったなあ)、9月の高知四国透析療法研究会とモネの庭、10月の日比谷トンボ帰りSION(個人的にとっても苦しかった)、11月にクルマを走らせた高松・佐野元春(でも行けてよかったです)、11月ファイザー東京もトンボ帰りで朝の羽田に茫然自失の気分で3時間くらいいましたが、それにしてもいろんなかたに華の都でお世話になり、また寒いガード下をみんなで歩いたのがいい思い出です。ああ濡れそぼる皿ヶ嶺登山もあったな。
この『砂漠の狐』(このstoryの方はoriginal2003で、本日rewriteしました)に関してはこんなの書いてました。
では良いお年を。さあ未来へ行きましょう。ああ、年末までまたまたくどいな。