なんとハードな1週間だったことか。今季の決算期を終える。
そして、介護のスタッフが辞めることになり、急きょの新しいスタッフ人選もなんとか終了した。
人は流れ時は流れる。
感傷(正確には違うのかもしれないが)に浸りかけている人たちを観ながら、
物事を先に進めてゆく時、
ああ、
自分も昔は、
「なんでもうちょっと物事をそっとしておいてくれないんだろうか、
どうしてこの人たちはブルドーザーで懐かしい家を瞬時に平地にするようなことをためらいもなくするんだろうか」
と思ってたんだろうな、
と、そんな妄想がよぎるのを、自分の首根っこをつかんで抑える。
水から首出そうとしたらすぐに沈めてやるんだ。
息が苦しかったら顔あげて酸素吸いなさい。
それくらいせんとね、それくらい。
戦争の話をいろんなところでやる季節になった。
原爆が落ち、無条件降伏し、ボロボロになった兵士たちが数年かけて日本にたどり着いても、待ってるのはもはや神国・日本では既にない。
毎年毎年繰り返しのように作られるそのドラマたちを観るのは一体どんな奴らなんだろう。
と、いつも思っていた。
アメリカが太平洋で、中盤まで日本に蹂躙されてたドラマを、
スピルバーグとトム・ハンクスが作っている。
『ザ・パシフィック』。そのガダルカナル編を観る。
海岸線に転がる死体、すぐさまの密林、マラリヤ、下痢、闇に乗じて襲ってくる日本兵。
その闇のリアルさを、灯りをつければすぐに、誰しもが脳裏から消し去ってしまえるのだろうか。
PCをシャットダウンしたら、目の前には動かしようのない現実があり、そこにすぐに帰ってゆけるのだろうか。
そんなことはない。
戦争は、戦場は日常の中に潜んでいる。だから、ヒトがヒトを殺しあう戦場というフィールドは万人に了解可能だ。
だから恐ろしい。そこに行けばオレは銃を取って誰かに銃口を向け、ためらうことなく引き金を引くだろう。
そんな自分の中で、いつか現実とバーチャルの境界線がなくなり、痩せこけた日本兵が後ろに立って、歯ぎしりをして笑っているかもしれないじゃないか。
そして、彼はたった70年前のオレの先祖なのだ。たったのだぜ?
きっと、昔もおんなじ風景はあった。
神風が吹いて鬼畜米英は窮地に立たされるんだ、なんて、
暑い日射しの下でゲートル巻いたやつらが言いたいこと言って、オレを殴りつけてたんだろうな。
いや、その傲慢な顔は自分自身か。
あっちもくらくら、こっちもくらくら。
さあ、またアルコールが待っている。