思えば奥田英朗さんには随分と精神的に救ってもらった。Dr伊良部シリーズ、青春を描いた『東京物語』、中途半端な『港町食堂』、女性たちが主人公の『ガール』、『マドンナ』。
なのに残念なことに長編を読んでいないことに気づく。
でも、ともすれば小説から何かを得ようとしてしまう自分に気づく。
こんな膨大なデータの氾濫している世界で、小説やDVD二時間をかけるというのは贅沢この上ないことなので結果を急いでしまうのだ。貧乏性なのだ、つまりは。
昔、中間小説雑誌が売れたような時代はもう戻ってこないのかもしれない。
『オール読物』とかそんなヤツのことを想定して言ってるんだけど。
この本は、書店で目に付いて、なんか、暇に任せて(正確には暇を見つけて)数日かけて読んでみた。
おおそうなんだよ、それもありって、深く考えずに、
でも脳の底で勝手に物語の情景が浮かんで、流れて行く、そんな小説、・・そしてまさにそれを待ち望んでいた。
奥田英朗選手は難なくそれをクリアできる稀有の存在だったんだ。
今更ながらに直木賞作家の実力に唸らされる。
そう、これは第20回柴田錬三郎賞を取ったんだった。スミマセン。
主婦がネットオークションにはまる『サニーデイ』、
リストラされて家事に目覚める『ここが青山』、
妻が出ていって空っぽになったマンションを自分好みに改造してゆくことで結婚という形態を考え直させられる『家においでよ』、
心地よい性的妄想を描いた『グレープフルーツモンスター』、
ひとところに定住せず思いつきで起業する夫とイラストレーターの妻を描いた『夫とカーテン』、
ロハスに目覚めた妻とその周辺を小説にしたい作家・夫のじれんま『妻と玄米御飯』、
どこにでもありそうでなさそうな日常をさらりと深くひねって、そして煙に巻くように終わる作品群はどれも素晴らしい。
個人的には、インダストリアル・デザイナーの妻が家具を持って出ていって残されたマンションを、
時間と、新規マンション購入用に蓄えていたおカネを切り崩して、自分好みに変えてゆく、
『家においでよ』が面白うてやがて哀しい。
男の人がいろんな店をめぐって、詳細に寸法を測り、カタログを集め、一つ一つの自分のためのガジェットをそろえてゆく。
そしてそこに今まではなかった欠落を次々に埋めてゆく過程で、昔の自分を思い出したりして、余計に結婚後の生活よりももっと豊饒な心が宿ってゆく。
この過程がまた面白いと思った。
今ならではだな、この書き方。
実際、細かくいろんな情報を組み合わせて検討して、自分の好みを優先しブランドに左右されずに組み立ててゆくのが今風だ。
バカラとかヴィトンとか、カッシーニとかアルフレックスだけじゃなくって。
そして男の部屋は古いミステリ雑誌、テーブル、ライト、ラック、ブックシェルフ、オーディオ、AV・・で構築されてゆく。
片方でちゃんとローソン弁当に頼らない暮らしもあったりする。
その裏には夫婦のストーリーだってある。
好きで一緒になって二人で部屋を作りはじめて、それがいつの間にか、どちらかがどちらかを我慢するようになって、
まるでモノたちがいつの間にか二人を分かつ壁のようになっている。
もちろん問題はおしゃれなソファやライトなどではないのだ・・。ものは心のメタファーで・・・
やがて哀しき。
昔こういう小説があふれていたんだろう(自分が欲しないから目に入らないだけなのかも・・)。
そしてそういった小説からちょっとしたヒントをもらって、ビールを飲んで、明日をちょっと夢見たりして寝たりしてたんだろうか。
とにかく、奥田英朗さん、ありがとうございました。
目の前の雲が一枚晴れた感じ。