紙媒体を処分するのだが、お察しのとおり、処分する前に見入ってしまいなかなか進まない。今回はスライドの処分である。
医学におけるプレゼンテーションの日進月歩に関していつか書いたが、
昔は、クスリヤさんが、写植屋さんに紙で書いたレイアウト持っていってくれて、青焼きにしてくれそれに直しをいれて・・みたいな時代だった。
次には、マックの登場で、マックで作ったスライドを医局費で高額で調達した転写機械で長時間かけてフィルムに落とすのだった。
それをスライド専門の写真屋さんに持っていって、出来上がったものPC上ではなく、スライド映写でプレゼンして、また直しが入る、という非合理的なもの。
そして、最近では、もっぱらパワーポイント即時作成・即時上映(もちろん液晶プロジェクターで)・即時手直しというものになった。
そのため、スライドはちょっと練られない部分が多いものも増えたし、逆に、練りこまれて情報過多のものも増えてきているように思う。
帯に短したすきに長しなのである。
自分もしゃべるとき、スライドの枚数で見せているような部分が増えてきており、もっとその場だけのインパクトで引っ張れるようなものにせんとなあと反省するのだが。
スライドそのものをプリントアウトして資料としてお配りする方法、アレもいいのだが、それだとスライドの情報量を増す必要あるしなあ・・。
まだまだ少数派・マック派の先生の中には、ご自身のノート持って直付けされる方もいるけど、あれ、iPhoneとかになるとスマートだろうなあ。
マックのプレゼンソフトにはKeynoteという小洒落たものがあり、かのスティーブ・ジョブスご用達らしいが、自分も彼のようにスマートでエキサイティングなプレゼンを実は夢見ているのである。
本棚を開けて、底のほうのかさばるスライドファイルを取り出す。
大学博士号の時の、Rats前立腺写真の数々。
移植患者さんの眼サイトメガロウイルス感染症の眼底写真。
苦労した、身体をお腹からと尿道からと串刺しにした、内視鏡下のEndoscopic Urothroplasty。
多分はじめて学会誌に載った、副腎Ganglopneulomaの1例。
とっても患者さん本人はハードだったろうにな、45ヶ月の経過中に脳・甲状腺・膵転移を切除しえた腎細胞癌の1例。
日本泌尿器科学会雑誌に載った唯一の『無菌的間欠自己導尿(CIC)の適応とその問題点』(続報も書いた)。
透析患者に見られた両側慢性硬膜下血腫の1例。このときは大学勤務で例の弟子がいた。
医原性の疾患と言っていいのかどうかわからないが、ずいぶん苦労させられ、何れも悲惨な結末を迎えた放射線性膀胱炎による『膀胱破裂の3例』。その他、性病のスライドや、腎結核とか、小児の症例とか、いろんなものが出てきた。
これらを作る際に苦労したことの半分くらいはもう忘れてしまっている。
それでもこいつらが今の自分のピースの何個かを作ってくれたんだ。ありがとう。
自分自身にも、力になって教えてくださった方々にも。確かに過ぎ去った時間は帰らないのだから。
そして、その時間の中でお前もそれなりにがんばってきてるじゃないか。
で、これまた3日ほど身近においてやっと捨てる決心をつけたところ。
死んだ先には何も持ってゆけない。お金も財産も、名誉も地位も、憎しみも悲しみも、愛も憎悪も、形あるものもないものも。
そんな当たり前のようなことに今更だが気づかされる。
だが死んだあとでも、『死』は、どんな形であれ、周りの『生』に内包されて、そりゃ先細るかもしれないが続いてゆくのだ。
それを実感と認識してから、こころがずいぶんと軽くなった。
だから何もそんなに悲しむことはないのだと思う、よ。シンパイスンナ。
とにかく、死は、ずいぶんと昔よりは身近のところで座っている。