(これはトマトをすりおろして酢を加え、トマトの甘みと酸味と酢で食すもの)
これまた『ローストビーフの残り』、
たまねぎを輪切りにしてじっくり焼いて、中心のわっかを取りそこにうずら卵を乗せて焼く、かわいい目玉焼き(弁当用でもある)。
というヘルシメニュー。
酒を抜いたせいか、そのあとで腹は減ったが、じっと我慢する。
夕方まで今度の社内講師用のスライドを作っていた。
例のごとく、BPHとかOABとか夜間頻尿のスライドだ。
その頭を冷やすべく、日課のようになっている村上春樹『1Q84』2章分を読み、
『The Groovers』聴きながら、浦沢直樹先生の『プルートゥ』もいよいよ終わったみたいだしなあ、と、週間モーニングをめくりつつ、あらぬ方向に頭を向けたりする。
・・・睡眠薬を久々に飲んで寝てしまって脳みその暴走をやり過ごす。邪道なやり方ではあるが、毒とクスリは使いようでもある。
八幡浜の若い市長が、確か1年以内に医者を市立病院に連れてくるという公約で当選したが当てもない・・・ということで公約違反と議会から勧告受けているが、
確かに彼は医療業界のことを何もしらんくせに『うはうはな』公約を揚げてそれでもって市長になっちゃったわけだが、
では他の候補者が八幡浜市立病院の医師数の確保に全力を注いでいたら、その結果目覚しい成果をあげるのかというとそれは疑問なので、
まあ彼にもう少しがんばってもらいたいと思う。
でもこれは外野としての考えであり、実際八幡浜の医療崩壊の真っ只中にいる人や、その地の医者とかがどう思われているのかはなかなか新聞記事だけでは見えてこない。
さて、その市長さんも給与カットと退職金ゼロとのたまわれていましたが、そろそろ賞与の季節でした。
賞与というのを生活給と考えるのはやはり認識がやや甘いと思う。
賞与は本来は余剰金の社員に対する配分なので、余剰が出なければやはりそれまでで、みんなで首をうなだれるしかないのだ。
賞与を一律基本給の何か月分という考えもあるが、アレはあらかじめ年棒としての枠を頭においており、それにを賞与を入れて考えて単に配当しているだけで、
正確に言うと賞与という名の給与なのだと思う。
事実、余剰金としての性格があるゆえに、この世界的不景気で、公務員の賞与が大幅にカットされているようだし、賞与のない企業だって例年よりさらに増えているはずだ。
賞与の税率も一般給と変わらなくなったことだし、賞与の意味と位置づけをそろそろ考えたほうがいいと思うのだが、
まあ基本給のアップは残業の算定基礎にもかかわり、実は精勤手当てまでもが残業代に絡んでくるという信じられない理屈があり、
それならそれでいっそのこと、賞与だけはそれこそ競争原理の上に置かれて、
誰でも一律にもらえる配当ではなく、もっとモチベーションを高める手段として取り扱われてもいいのではないか、とかさえ思うのである。
そんなの誰かを蹴落とすみたいでいやだという輩は群れて勝手にやってたらいいいんじゃないか、と思いつつ、
実際は日本人的温情も残した上でのある程度の成果主義で賞与配分を考えていると・・ますます夜も眠れなくなるわけである。
もう経営者としては自分は何がなんだかわからなくなりつつも、それでも最終決定は誰にもやはり委ねられないのである。
ところで育休の改正法案が参議院を通過したらしく、これ以上どうせえっちゅうの!という内容のものであったりする。
3歳未満の子のいる従業員に対する短時間勤務、残業免除を企業に義務づける、
諸手を上げて賛成できますか?
休みたいのに休めるのは確かに有給であるからでありますが、零細企業経営者は休みたい時に休めんのに、これでもかこれでもかと法律は縛り付けてくるのである。
まあ、労働基準法は、雇用される側の法律で、雇用者のための法律ではないのですが。
まあこれ以上書いても愚痴のカーブが深くなるだけで誹謗中傷になりそうなのでこの辺で。
そして、こういった考えは自分が払う側だから思うだけのことではないような気がするのだが。
こういう立場に立てたことを感謝している面だって多分にある。被雇用者の時代にはなかなかこういった観点では物事は語りかけてはこなかったから。
セブンイレブン雇われ(権利を買った)店長、事情はいろいろあるだろうが、手を緩めんなよ!