死刑か無期懲役か、人を裁くことはどういうことなのか議論が続いている。
議論の対象になるような事件が増え続けている。
ワインのボトルで夫を殺し遺体を切断した女。駅からホームに人を突き落とした未成年。妻を殺し遺体をレイプし、傍らの子供を殺傷した青年。往来で包丁で何人も殺した男。親戚を金銭目的で殺害した男。話題には事欠かない。依頼殺人、ネット心中。人の命の値段はやっぱり下がり続けているのだろうか?
しつこく『妖怪人間』の話である。
YJで青年版の不定期連載があり、それが一冊の単行本にまとめられている。
作者は高橋秀武氏。書店でそれを手にしたのだ。
何が彼らを妖怪人間にさせたのか考えてみる。
しかし額面どおり妖怪細胞の分裂が生み出したものが妖怪人間だとすると、そこに彼ら自身の意思はない。
でもいろんな推論が成り立つ。
彼らの細胞分裂を人為的に促進させたものは、その動機は。
このコミック版では、どうも国防軍の生体兵器として妖怪人間たちは作られ、
その途中経過で彼らは不完全体(?)で研究所を逃げ出したらしい。
まるで石森章太郎の『仮面ライダー』みたいだ。
その設定下ではなにゆえ人間になりたいという意味はオリジナルの話よりも希薄になってくる。
彼らは人間の何を渇望するのか?平和、ぬくもり、愛、限られた人生とその終末に待ち受ける死?
あくまで『デビルマン』との比較だが、
不動明は、悪魔の肉体が彼の体に入ってくるときに、人間の強靭な意志で悪魔を制御し、『悪魔人間(デビルマン)』になった。
そして人間を守るために悪魔(デーモン)と戦ってきた。
でも、悪魔の総攻撃が始まり、人間の愚かさが露呈し、人間が人間を裏切り、告発し、殺し合いを始めたとき、
そして不動明の恋人である牧村美樹が、近隣住民に殺され串刺しにされたとき、
不動明は人間たちを紅蓮の炎に包み一掃し、言う。
『俺の守ろうとした人間というものはいったいなんだったんだ、お前らの方がデーモンよりもよっぽどデーモンだ!』と。
だからデビルマンたちは決して人間に戻ろうとは思わないだろう。
哀しみを覚えながらも自分たちにほこりを持って戦い続けるだろう。
俺たちはデビルマン以上でも以下でもない、と。そう、自分の意思でデビルマンでいつづけるのだ、と。
妖怪人間たちは一方、はかなく弱い。
(アニメ版で)ベラいわく、
永劫のときを生き続けるのは楽しくもなんともありゃしないよ、
愛する人が年をとって死んでいっても私は年を取らない妖怪女なんだよ。
ではおまえも平気で笑って人を傷つけてその行為に自分も傷つくようなどうしようもない人間になりたいのか?
そう問えば、それでも人間になりたい、ベラはそう言うだろう。
その弱さと愚かさこそが彼らの手に入れられないものだとしたらそれもまた哀しすぎる。
このコミック版ではベムは青年で、
ベラはティーンエージャーで、どうもベムに恋しているようでもある。
ベロにいたってはあまり人格が与えられていない赤ちゃんみたいな感じである。
この物語が臨界点を超えて爆発するとしたら、それは彼らの誕生が単なる軍事兵器であるという範疇を超えて、
その奥の秘密が(あるとすればだが)語られるときであろう。
まだ始まったばかりなのだ、この青年ベムたちの彷徨は。
今から思うと、平井和正描くところの狼人間(ウルフガイ)犬神明は、はじめから失われていたのかもしれないな。
その彼が最後にたどり着いたのはどこなのか、残念ながら、途中で読者をやめた自分にはわからない。
そしてベムはといえば失われてはいないがゆえに永遠に彷徨を続ける宿命にあるのだけれど、
この物語がオリジナルとフォーマットを少しずらしたことでどう展開してゆくのか、ちょっと楽しみでもある。
妖怪人間ベム 1 (1) (ヤングジャンプコミックス)
高橋 秀武