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奥田秀朗の『東京物語』は涙腺が緩む。
あの時代のオレのちょっと先を、花の都(?)東京で奥田先輩は生きてきたのだ。
ちなみにおいらは1960年生まれ、奥田先輩は1959年生まれだ。
なんとなくクリスタル(長野県知事だった田中康夫ちゃんだ!)、出たばかりのウォークマン、1980年凶弾に倒れたジョンレノン、『クレイマー・クレイマー』(ダスティン・ホフマン!)(『ダスティンホフマンになれなかったよ』という歌もあったが、あれは『卒業』のほうだったかな)、キャンディーズ後楽園球場での解散コンサート、松田優作のジーパン刑事、『ポパイ』。
桃井かおり姉さん(『もう頬杖はつかない』なんて映画を予備校生のとき見たもんだ)、
状況劇場、唐十郎、つかこうへい、野田秀樹、江川の『空白の一日』。
トッキング・ヘッズ、高橋留美子(やっぱり『うる星やつら』だろうな)。
コム・デ・ギャルソン、『ゴーズト・バスターズ』(あの周辺でJ・ベルーシも死んだんじゃなかったのか)、ワム、シンディ・ローパー。
そして1989年『ブラックレイン』を残して膀胱癌で逝った松田優作。バブル。吉田カツ。長谷川和彦=ゴジ。昭和天皇の崩御。ストーンズの東京ドーム(今では珍しくないかもしれないが、ストーンズが日本に来るのはこれが初めてだった)。ベルリンの壁の崩壊。
そうやって80年代は終わり、おれも医者になった。
昭和天皇の崩御の夜、人もまばらな夜の街、研修医1年目。みんなの前で歌えといわれて歌った長渕剛の『とんぼ』を今でも忘れない。いい意味でも悪い意味でも。一体全体、幸せのトンボはいったいどこに飛んでいったのか。
君なら一人でもダイジョウブと助教授に言われ赴任した関連病院の2年目。ひとりで外来を始めるもののクスリの名前もわからず、そうかといってそう忙しいわけでもなく、騙されたことの気づくほど頭脳明晰でもなく、なんだか社会人という名だけが一人歩きし、それから先の暗黒時代を知らぬまま快楽に染まった頃。
木曜の夜、飛行機に乗ってやってきた見知らぬ大都会。やっとたどり着いた東京ドームで、ダフ屋から買ったストーンズのチケット。ボクが松山から後生大事に手にしていたチケットを、ダフ屋はそんなものはいらないといった。それでも意地で1000円で買い取ってもらう。それくらいが最後の矜持。ドームの1F席で見たミックもキースもやはり豆粒みたいだった。アリーナにいるのはどんなヤツだとしょぼくれた感じでコブシをあげた。おー、しょぼいサティスファクション。おー、ますますしょぼいホンキートンク・ウイメン。高校の友達の住む吉祥寺にまたとぼとぼ向かう。
ああ、中学校から高校時代、そういえば俺はキャンディーズ好きで、誰がなんといおうとスーちゃんファンだった。あの頃年上のお姉さんはたまらなくまぶしく、僕らはまだ『年下の男の子』でいられたんだ。
彼女たちは普通の女の子に戻りますと解散し、ミキちゃん以外は今も芸能界で仕事している。いいかキャンディーズの解散はだなぁ、モー娘がころころやめるのとはわけが違うんだぞ、と、オジサンたちは鼻息荒くして思うけど、実際のところはどうなんだろう。そうたいした差なんてないんだろうな。
そんなこんな。
ああ青春ってくくれば終わってしまうよな日々。
ひとつひとりじゃ淋しすぎる
二人じゃ息さえも詰まる部屋
みっつ見果てぬ夢に破れ
酔いつぶれ夜風と踊る街
ああ青春は燃える陽炎か・・
by吉田拓郎 というのをなぜか思い出す。
【追記】昨日ののり庵忘年会の二次会、カラオケで歌おうと探してもらったがこの歌はなく、代わりに見つかったのが吉田拓郎の『青春の詩』でこれはなんちゅうかムツカシイ歌でしたよ、本朗読するみたいな歌なんだもん。僕たちは大人より時間が多い、大人よりたくさんの時間を持っている・・と唄われているが、そう大人のおいらにはもう残された時間はすんごく限られてるんだよ。ああそれでも青春。