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    たしかに俺たちはみんなあの頃、科学の子だった

    • 2006.11.23 Thursday
    • 11:48
    ららら科學の子
    ららら科學の子
    矢作 俊彦

    『ららら科学の子』やっと読み終える。
    はるか遠くまで、戦後からわれわれは来てしまったんだなあ・・。
    戦争?一体いつの?
    もう60年も前、廃墟の土地から、復興し、天に牙を向く摩天楼。
    不安定な空から血の雨が今日も降り注ぐ。
    戦争はそして身近に感じられるのに目に見えなくなってしまった。

    矢作俊彦。
    この作家の顔を思い浮かべるだけでちょっとヘビーである。
    男とゆうヤツを背負って立ってるように誰もが思うだろう氏の作品群たち。

    『スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』は何の疑いもなく、ドンキホーテの話だった。

    今回の話は30年前から意地を張り通してきた、情けない男の話だ。
    階級闘争。成田。安保。毛沢東。ベトナム。権力。
    そのあたりの空気は、ハードに描写されている割にノスタルジーに包まれているのは、作者の誘導なのか。

    確か、主人公を取り巻く3名の女が登場したと思う。
    でも、この男はきっと、永遠に女を理解することなどないだろう。
    バーコードのタトゥを持つ少女はうろこ雲の絵を描くだろう。
    彼女もオトナになって、遠い目をして昔を語り始めるだろう。
    たとえば小父さんの花火の話を。
    たとえばプラネタリウムの話を。
    そのとき男は、遠い大陸で、痛みを裡に抱え続けながら、裕次郎のセリフをまた呟くのかもしれない。
    出来すぎじゃない、それが真実なんだ。
    悟ってるんじゃない、ロボット法にがんじがらめになった鉄腕アトムの話じゃなくっても。

    たしかに俺たちはみんなあの頃、科学の子だった。

    『マイクハマーへ伝言』とか『リンゴォ・キッドの休日』とか、
    『海から来たサムライ』とか『ブロードウェイの戦車』とか、
    俺は何十年間も前に彼の著作に触れつつも、なにもわかっちゃいなかったのだと、

    いまさらのように気づく。

    ・・・そして、blogでの『うらら科学の子』というネームはこの小説からとられたんだ。

    なんかこんな感じで誕生日を迎えてまたひとつ年をとるんだろうな。

    ハメット。チャンドラー。北方謙三。生島治郎 。大藪晴彦。
    平井和正。夢枕獏。石田衣良。バロウズ。ロバート・ブロック。ジェイムズ・クラムリー 。ロバート・B・パーカー。谷口ジロー。関川夏生。ブコワスキー。

    このうちオレから何人が去り、また何人が冷たい土の下に眠っているのか。

    亡くなられた、漫画家の石川賢さんも、上のグループに入るのかもしれないな。黙祷。

    崖から転落

    • 2006.11.20 Monday
    • 19:34
    ここまでは調子よかった

    11/5日曜日。広田村の権現山。
    広田石鎚と呼ばれおり、ちゃんと鎖場が本家同様3つある。

    30分ほどかけて山頂にたどり着き、お賽銭をあげ、
    鎖場を降りるのはきついだろうという理由で、遊歩道のほうにまわる。

    木立に囲まれたいい感じの道が続く。
    ずっと歩いてゆくと、やがて道は雑草で覆われ、どこに続くのかわからなくなる。
    上り口からもとっくに離れている。
    山の斜面を降りてゆけばいいよ、と結論する。
    瀬を下ってゆけば上り口にたどり着けるだろう、浅はかな頭で考えた。

    斜面をどろどろになりながら下る。
    やっと瀬にたどり着く。
    しかし、である。
    倒木が瀬をふさぎすぎて人間は通れない。
    苔むした岩は滑る。
    沢が通行不能なので、また山の斜面を登る。
    そうこうすること小一時間。粘る。
    フラットな登山道らしきものがやっと見える。
    でもそこから上の自分のいる場所は、
    切り立った崖で、
    高さ約3メートル(これは落ちて下から見上げてわかったことだ)、
    腐葉土で満ちた斜面を木につかまりながら踏みしめてゆく。

    それから先のことは覚えていない。

    斜面に体を平行にして、杖で地面を確かめならが、右足を踏み出した瞬間、
    「ぇええええっ。うぇえ。」
    声にならない声を発して、ボクは地面で呻いていた。
    メガネも飛んで、なにもわからない。
    横たわってうめく。
    痛みと嗚咽のみ。

    しばらくして起き上がる。

    腐葉土に落ちた杖をみつける。
    崖の上にいるはずの子供に声をかける。
    1メートルの後方に、さいわいにメガネを見つける。

    どう考えてもよじ登れない崖の下で、
    あれこれ迂回路を探すがない。
    携帯で助け呼んでもなあ・・
    途方にくれた頭で雑念のみが巡る。

    そして、僕らは生還した。

    P.S.
    ・・昨日、ひさびさにプールを再開して、
    おお腰動くじゃん、
    でもまだバタフライで体反らすのは無理だなあ、
    とか調子こいてんじゃねえよ、
    との自己レスモードだったけど、
    翌日の今日は、患者さんからお大事にといわれるぐらい、のぎっくり腰でした。

    いやあ、雨のせいで、昨日の山登りも延期になったのだけど、
    あんたも年なんだからちょっと考えなさいよ、と、
    自分以外のものはみな言っている、のでした(とくにわかってるけど)。

    柳ジョージonキティホール(2006.11.11 松山)

    • 2006.11.18 Saturday
    • 16:15
    still crazy
    疲れ果てた日常からの脱出。
    ジョージネルソンのSunburstClockを高島屋で見て、
    銀天街をそぞろ歩く中年。

    コンサート前に、『フランキー小林』なる立ち飲みバーに入る。
    ワンコインバー。
    泡盛とチーズ盛り合わせ。もう酔う。

    会場はキティホール。
    キャパは120人くらいか?
    昔のシネマルナティック(映画館)を改装したホールで、
    先日クロマニヨンズをみた会場の五階。

    当然客層は高い。
    曲はどれも懐かしく胸に込み上げる。
    『青い瞳のステラ』で始まり、
    アンコールの新曲『シーズンズ』で終わる。

    柳ジョージの歌声は、CDではちょっと落ちたなぁ、とか思っていたのだけど、
    その心配は杞憂だった。
    渋みのかかった声は、岩に染み入って溶かすように心をとろとろにしてゆく。
    一曲一曲に20年前の出来事が走馬灯のように浮かんでは消える。

    『FENCEの向こうのアメリカ』『さらばミシシッピー』『Wheepin' in the rain』『歌舞伎』『海流』『コインランドリーブルース』『ハーバーフリーウェイ』・・・and so on.
    なんとビートルズの『Yesterday』も演った。似合わねえ。
    バンドはキーボードとギターと柳ジョージの3人。
    柳ジョージ、58歳。他のメンバーはとっても若そう。
    CDに入っていなかった『「祭ばやしが聞こえる」のテーマ』
    泣ける。ショーケン。山崎務。おーべぇべ。
    レイチャールズとツアーした話。
    その後唄われた『わが心のジョージア』を聴いて、
    なぜか『上田正樹とサウス・トゥ・サウス』の方のジョージアが聴きたくなったオレ。

    興奮冷めやらず、歩いて、『のり庵』に。
    カウンターの隣も柳ジョージ帰りのわけありそうなカップル(余計なお世話!)、
    2階の団体もそうだとのこと。
    のりやんに、オーストラリアのスパークリング赤ワインをいただき飲む。
    酔って候。

    のりやん、『のり庵』いいよ!最高。

    http://www.norian-mainichi.com/

    翌日はジェリー率いる『松山ベンチャーズ』コンサート(愛媛県女性総合センター)で、音楽っていいねえ。

    検索したらちゃんとサイトがあった・・・

    http://www.geocities.jp/gerrys2001/index.html

    かんばしい空虚にはほど遠い

    • 2006.11.14 Tuesday
    • 18:32
    ちょっとピンボケ

    新しい風が吹くと、
    こちらもそれなりに疲弊しきっていても、張り切ろうとするものである。
    新しい人だけが起こせる風もあるのかも。
    むろん暴風雨だってあるけど。

    離婚して、もう二度と結婚なんてと思っていても、
    また新しい出会いがあれば同じ過ちを犯すかもしれないと知りながらもくっついてしまうのは、人間が愚か者だからで、人間は愚かだからこそ救われる瀬もあるのだろう・・・なんてね。

    忘年会とか、クリスマスとか、
    サンタとか、いじめとか、収賄とか、お歳暮とか、臓器売買とか、
    なんかつながりのないけど、
    師走というだけあって、気ぜわしい季節になろうとしている。
    気ぜわしいのは自分の性分か。

    二人に疲れて一人に戻り
    また寂しくて繰り返す
    12月 街は クリスマス気分
    どこからともなくジョンの声
    (『ハッピー・クリスマス』が聴こえない街になって久しいけど・・)
    そしてオレといえば
    いつも何か取り残されたような そんな気がして
    捨ててしまえば いつも 新しい何かが始まる
    わけもなく
    屋根の上の猫がそんなオレを見て
    どうでもいいよな顔で笑った・・

    そんなシオンの唄を。想う。

    お歳暮のリストを作る。

    その三越・お歳暮カタログに、
    金子満晴の『かんばしい空虚』という言葉が引用されている。
    『コーヒー茶碗が・・』という詩の中のフレーズだそう。
    からっぽであることの幸せについての記述だと、
    このコピーライターは語っているが、果たして。
    はっぴいえんどの『お正月』という言葉のフレーズにも似たような響きがあったような・・。
    でも、金子光晴という名前を見つけたときちんちんをわしづかみにされるような一瞬の興奮が押し寄せ去っていった、奇跡のように。

    炬燵にくるまってお酒で真っ赤になってうたたねしてしまうなんて、
    さしつさされつ
    おしつもどりつ
    そんな幻の風景が通り過ぎていく。いった。

    ああ、圧力鍋でおでんでも作ろうか。

    言葉を。

    かおなしとやみくろの世界から。

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