ちょっと時間があいたので、今度話す予定のスライドをまた少し作る。
透析関係の話だ。
医療経済的なしめつけとかを話すといいかもしれないな、と、学術的総論・経済的側面・透析液の清浄化で大筋を立てる。
オンラインHDFとかエンドトキシンフリーというコトバが囁かれて久しいが、どうなっていくんだろうね。
出来うる範囲でエンドトキシンに関しての試みは、当院でも着々と進行している。
(先行投資してまっせ)
『透析液の清浄化』スライド部分は、うちのスタッフが作ってくれた。
このスライドを生かして、自分のくどいHPから、もうちょっと風通しのいいHPに転換できないものかな、とかも思ったりしている。
・・こうやってすぐに欲張ってしまうのは貧乏性のなせる技だろうが。
要は、透析の話、医療の話。最終的には命の話である。
なにを、どこまでして、どこまでゆけばいいのかという到達点はいっつも不透明である。
移植しないと助からない子供さんがおられ、国内での臓器供給はむずかしく、
**ちゃん基金として渡航資金を募り、
向こうへ行って手術されて、元気になる方もいる。
残念ながら行く前に命の火が燃え尽きる人や、術後に合併症で亡くなられる方もいる。
その疾患は移植以外の選択枝はほぼない、という点では他の疾患とは異なるのかもしれない。
一般の疾患ではそこまで究極の選択は眼前にはないかもしれない。
しかし、
病気全般に携わっていると、どこかでラインを引くことが必要になる瞬間もある・・と実感する。
ここから先の細かい話は個人的各論になるの割愛するが、
医療経済というくくりで論じることが最近では当然になっているのは、
ある種仕方ないし必然なのかもしれないな、と、思わされる所以なのである。
よりよく死ぬということは、よりよく生きるということなのだろう。
でも、我々はよりよく死ぬために生きていわけではないのである。
ではどうするべきなのか。答えなどないことはわかっている。
しかし、それが問題であり自問自答は続く。
タイトルの話である。
コンピューター関係で頭を抱えているが、
OSが進化してゆくと古いOSは省みられなくなる。
Vistaが出ると、XPhomeの保守(アップデート)は2年で打ちきりだそうで、一番息が長そうなのはXPproとのこと。
いよいよ98(Meも)は淘汰されるそうな。
どうすりゃいいの?
アップルは、マイクロチップを載せ替えて、ウインドウズ・ブートできるソフトも無料提供し始めた。
Googleはぶいぶいいわせており、そういえば医師会のORCAはLinux搭載だ。
ビルゲイツはでも、そうやって我々の影にまだまだ君臨しているのだ。
抱き合わせでOfficeとかもついつい買っちゃってるけどあれだってなあ。