ペットボトルはペットのボトル―誰も苦しまない長生きのための血液透析入門書
矢花 真知子
『ペットボトルはペットのボトル』という本を読んでいる。
矢花眞知子先生の書かれた透析入門書だ。
医者としても耳が痛い話が書かれており、初心に戻らされる点が多いのだが、
この中で、先生は、透析中の血圧低下は事故として扱われなければならないのではないでしょうか、と、
いささか、大胆な発言をされている。
透析の除水に身体がついてゆけず、血圧低下し、下肢を挙上したり、除水をおとしたり、生食補液をしたりする。
どこの施設でも日常的に見られる光景だ。
ではないのか?
もしかしてうちの施設だけなのかもしれないの、か・・そんなはずはない。
でも、それは、生体に無理がかかっている、ということに相違はない。
そもそも透析は万能の治療ではないが、世界でも冠たる透析成績を誇る日本で、より予後のいい透析ライフを送ってゆくためには、
リスクファクターはどんどん減らしてゆかねばならない。
透析液の清浄化然り、長期合併症の予防然り。
しかし、最終的には、先生も書かれているように、
水分・塩分・カリウム・リンが基本であることは20年前と変わってはいない。
ご存じのように透析という行程は、腎臓から本来排出されるべき老廃物と水分を、人工腎臓を用いて数時間で除去する医療である。
1回4時間の治療を週3回するのが日本のスタンダードになっている。
でもその時間を規定することからそもそも無理が生じてきているのだ。
昨今での経済的規制はもはや医療とは呼びづらいところもあるし・・。
ここでは詳しい解説はしないが、
医療というのは安全域で最大限の効果を確かにあげなくてはならない。
しかしそれを達成するためには、受動的なことのみでは成し遂げ得ないものが多々ある。
例えば簡単にいうと、ポテトチップ・マクドぼりぼり、肥満指数無限大・運動レスで、
あの医者のいうとおり降圧剤飲んでるのに血圧ちいともさがらへんやんけどうしてくれるんやワレェ、
といっても誰も納得しないはずなのに、
そういった矛盾したことがまかり通る(いや自分で容認してしまうというべきか)世界もいまだ少なからず存在するということなのだ。
ここでもある種、ダークサイドは諦念とともに、いやそれ以上にあらがいがたい魅力を持って耳元でささやきかける。
その場をしのげばどうにかなってきた、
いままでそうだったじゃないか、だからこれからだってそうだよ、
・・という旧来のビジョンにうなずいている限り、医療者も医療の受容者も、搾取されていることに気づけないままだ。
歯ぎしりと自戒を込めて。