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    80年代の吉田拓郎はステージの上から何を見ていたのか?

    • 2006.01.31 Tuesday
    • 17:32
    王様達のハイキング  イン・武道館
    王様達のハイキング イン・武道館

    a,『王様たちのハイキング』という2枚組のLPがあった。

    その中で、タクローは「Y」という、自分のこと語りのような歌(別バージョンの「S」もあった)を披露している。
    メッセージ色の強い唄と並列に「Y」はぽんと置かれているのだが・・。
    この唄は実は今でも結構ぐっと来るものがある。

    僕の好きなのは雨の日のドライブとダイエーでのお買い物
    そんな僕を君は笑ったね
    タクローって酔うと陽気になるんだねって
    君に教えられたよ

    とかそんな感じだ。

    その一方での強烈なメッセージたち。

    自由に生きよう 徒党をなすな
    遊びに行きませんか、僕らと一緒に
    王様たちのハイキングに出かけようぜ
    無理に誘いはしないぜ
    でもそこでは
    あんたもオレもみんなが王様なんだよ
    太陽はどこから昇ってくるのだろう
    ぼくらはどこへ行けばいい
    ぼくらはなすべきことをそこではすればいいんだよ 

    言葉を変え、拓郎はおんなじことを唄っていたんだと思う。

    b,タクローのコンサートに何回か足を運んだ。松山市民会館大ホール。

    コンサートの最後に、いつもタクローは中腰になって、ステージから客席の闇をにらみつけるのだった。

    いったい彼は何を観ているんだろう。
    光に満たされたステージから客席の闇の中へ、
    タクローが見ようとしているものを僕もみたいといつも思っていた。

    c,『シャングリラ』〜『アジアの片隅で』

    その頃に、とうとう、タクローは、きっとどこにも行けなくなってしまった自分に気づいたんじゃないか。

    俺はそのときやりたいことをやっただけだよ。
    それを周りが勝手に理由をつけるんだよね。

    そんな風に少しちゃかして語っていたけど、そのときは、そうじゃなかったと思う。

    LD『王様たちのハイキング』の中で、
    バンドもタクローも
    なんか中近東風の(こんな表現でいいのか)いでたちで、演奏している。
    カラフルだけど、
    雰囲気は決して軽めではなく、ソリッドだったんだ。

    P.S.
    この日曜日に、ふと思い立つ。寝る前のことだ。
    くだんの『王様たちのハイキング』(2枚組LP)を聴こうと思って探すが、見つからない。
    何度かの引っ越しの時に、売り払ったんだろうか?
    欲しいものは探す時には必ず見つからないってヤツかな。
    スプリングスティーンの『ネブラスカ』もどこを探しても見あたらず、こちらは焦ってamazonで紙ジャケット仕様を購入してしまったのだけど。
    実は買ったら買ったでまだ聴いていないのである。
    30年記念の『Born to run』デジタルリマスターと
    こうやって人生は同じ様なところの周りをぐるぐる回るのかなあ。

    ちょっと散漫な文章になってしまいましたが、いまのまんまそのまんまで、
    先に進みそうにもないのでこのままで。

    排尿障害のスライドを作っている

    • 2006.01.28 Saturday
    • 13:59
    排尿障害

    やっと週末。

    また某製薬会社で『排尿障害』の院内勉強会を開くので、パワーポイントでしこしこスライドを作っている。
    この夏くらいに、新しいαブロッカー(前立腺肥大のクスリ)やら、OAB(過活動性膀胱)向けの抗コリン剤が上梓されるそうで、
    それに向けてメーカーの方たちの宣伝やら勉強やらなんやらと忙しいのかもしれん。
    先日、ファイザーの学術の方のレクチャーも受けたのだけど、結構難しかった。
    (そのあとにワインを飲んで、みんなアルコールとともに崩壊しただけなのかもしれないが・・)
    排尿障害の話となると、膀胱とか上位中枢の神経支配の話が必ず出てくるので、作っている側も・多分聞く側もあんまり面白くなさそうで、なかなか進まない。

    ちなみに日本排尿機能学会作成の『OABガイドライン』を見ると、薬物療法の位置づけがエビデンスに沿ってランク付けされているところが今風である。
    抗コリン剤、フラボキサート(いわずとしれたブラダロンやね)、抗うつ剤、レジニフェラトキシンとカプサイシン、ちょっとはやりのボツリヌス毒素、
    などなどが掲載されている。

    我々も前立腺肥大症に尿意促迫を合併している患者さんには少量の抗コリン剤を使用するのだが、
    この優位性に関しても、明らかな治験データとかないのが現況である、ということだ。

    「先生も勉強してくださいよ!」と外来でちょっとろれつの回らない患者さんにくしくも今日いわれてしまったが、
    そのとおりなのではある。
    でも、勉強それなりにはしてるんですけどね。

    外来でちょっとフリーズ。

    1977年型の吉田拓郎 ずっと昔のガールフレンドの話 

    • 2006.01.21 Saturday
    • 14:02
    真心
    真心

    数年前、『真心ブラザーズ』が吉田拓郎の『流星』を自分たちのCDで取り上げていた。
    そのCDは名曲揃いで、流星さえもなんだかオリジナルのようだった。
    浜田省吾も『イメージの唄』をシングルにしていたっけ。

    そうやってタクローの唄たちは時々ひょいっと顔をのぞかすのだが、タクローといえば、過去の熱き血潮がたぎるファン層のほうが多いんだろうな。

    フォーク界のプリンス、和製ボブ・ディラン、中津川フォークジャンボリーのサブステージでの『人間なんて』の絶唱、
    金沢事件、つま恋、フォーライフ・レコードの社長業、浅田美代子との結婚と離婚、
    森下愛子(彼女は僕のファム・ファタールで彼女を奥さんにしたことだけは積年の恨みであった。
    が、最近のキャラを見ていてますます好きになった)との結婚、
    昔の曲は二度とやらんといいながら撤回したり、俺の言う事なんてみんな嘘だとうそぶいたり、

    彼は70年代の象徴のように、身勝手で、かつ、魅力的な男だった。

    僕らが中学の時は、拓郎派と陽水派に完全に分かれていた。

    でも、僕はその当時は、めめしくってリリカルな伊勢正三のいたかぐや姫に心酔していた。
    僕の好きな歌は『置き手紙』とか『神田川』とかそんな曲だった。
    若かったあの頃、何も欲しくなかった、ただ、あなたの優しさが欲しかった・・とかいう世界である。

    だから、一番ぎらぎらして、大人なんて信じるなと吠え続けていたころの拓郎のことはよく知らない。
    この人はいつも怒っている人なんだ、とまあそんな感じだった。

    高校時代につきあってた女の子が拓郎のことが好きだった。
    彼女は天文部で、僕にペルセウス流星群のことを教えてくれた大事な人だった。
    でも、本当のことをいうと、僕は、残念ながら、流星群になんて全然興味がなかったのだった。

    その彼女がこんな風に手紙に書いていた。

    (拓郎は)けっして、優しい人間だとは思えない。
    女の子を好きになるのはウソじゃないと思うけど、いつの間にか仕事の方が大切になってる、そんなかんじがする。
    だからミヨコ(注:当時の拓郎夫人だった浅田美代子さんのこと)はなんだかかわいそーな気がするんだ。
    女の子って自分の仕事の方が大切だって言う人はそんなにいないと思うしネ(なんて書くと怒られそーだけど)。
    でもまあ拓郎ってやっぱりスゴイよ、と思うけど。

    そうなのである。

    彼女はティーンエイジャーの時点で拓郎の本質を見抜いていたのである。スゴイ!

    そんな彼女のことが今でも当然好きである。

    うーむ、盛り上がりに欠ける文章になったが、高校生の頃の想い出はそんなもんでしょう。
    今ではどうして彼女が好きだったのかわからないし、
    想い出というより、もはや昔の彼女の実像は消滅し、自分の妄想で作り上げられた彼女が存在して行き続けるのだろう。

    2006年型 吉田拓郎

    • 2006.01.19 Thursday
    • 16:12
    元気です
    元気です

    年末、ホームパーティでべろべろになって、
    ふと吉田拓郎のCBSでのデビュー作の『元気です』をかけた。
    いやあタクローはいいねえと、我々中年組は一緒に口ずさむ。
    (といっても主構成員は青木+ulalaの2名だけだったのだけど)
    この唄も知ってる、これも歌える。
    まるで懐かしのメロディじゃん、とはいわないけれど、
    てな夜は楽しく更けていったのだった。

    そういえば自分も酔っては(許される店では)、
    かの名曲『ペニーレーンでバーボンを』をもじった、『樹らい(店の名前)でバーボンを』とかシャウトする。
    みっともなさ全開モードである。
    その時にはナルシズム全開でタクローが乗り移っているのだろう。

    越えてゆけそこをぉ 越えてゆけそれをぉ
    今はまだまだぁ人生をぉ 人生をぉぉぉぉ 語らずぅぅぅぅぅ
    朝までやるよぉ(何をですか おじさん もしもし)〜


    数年前、タクローはツアー前の人間ドックで肺癌を指摘され手術を受けた。
    恐かったちびりそうだったと彼は語っている。
    しかし、たった半年後、タクローはツアーに復帰する。
    長年の夢であったビッグバンドとともにまわる全国ツアー。
    ファンはもしかしたら生きているタクローの姿を見ることが出来るのはもうちょっとかな、と、少しくらいは思っただろう。
    そのツアーは大がかりなものだったので四国とかには来なかった。

    そして、この4月1日、ビッグバンドを連れて、タクローは県民文化会館にやってくる。
    それもメインホールのほうだ。
    ただのジジイのアイドルとはいわせない。
    確かに観客層は高いだろうが、出来ればこの眼で生のタクローを見て欲しい。

    秋には、かぐや姫と、つま恋でのコンサートも企画しているという話だ。
    (知らない人にはどうでもいいし、多分どうでもいい人のほうが大半だろうけど、
    1970年代にもタクローとかぐや姫はつま恋でオールナイトコンサートを開いた。
    野外ビッグイベントの走りみたいなものである。)


    再生はまだ可能なはずだが、文句が先に立ちすぎる。

    • 2006.01.18 Wednesday
    • 17:45
    会社人間の死と再生―ダメな会社と心中しないための戦略とは?
    会社人間の死と再生―ダメな会社と心中しないための戦略とは?
    村上 龍

    ふと思い起こして、村上龍の本を読む。

    会社に所属するということはどういった意味を持つのだろうか、とか思って買ったのだろうけど、
    自分で零細ながらやっているのできっとせっぱ詰まったものがなく途中で放置されていたのだろう。
    眠りにつく前に読み直してみた。

    目からウロコではなかったが、
    まだまだ自分のスタンスは誰かが確立してくれるとか思って、
    いつまでも金魚みたいに口を開けて待っている人間が多すぎることを再認識する。

    その一節より、

    「苦労」というのは、たとえば企業に勤めていて上司や先輩からいじめられたり理不尽な扱いを受け、
    かといって反発するわけでもなく、
    「あと10年、20年すればあいつらみたいになれるのだから」
    と思ってひたすら耐えるようなことを指すのではないか。

    (村上龍 『会社人間の死と再生』より)

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