土曜日の第2回えひめ排泄ケア研究会学術講演会は150人くらいの参加者だった。
四万十川1000キロマラソン(12時間台のタイムだったとのこと。それにしてもホントに100キロ走るレースがあるのだ。)を完走してきてランナーズハイの状態が延々と続いているといわれた
西村かおる先生のそのまんまハイテンションなスピーチはすっごく内容濃かったし、そのあとで幸梅園やら西条愛寿会病院の取り組みは、ビックリするほど入所者個人にパーソナルであることにまたビックリさせられるという内容のものであった。
不肖・武智は
、『排泄ケアチームにおける医師の役割』という演目でしゃべらせていただき、排尿管理が不能であるとバルーン留置された患者さん2名を保存的治療で、バルーンレスにできた事例を発表した。
西村先生も言われていたが、別に介護の力だけに依存しなくてもいいんだ、と。
介護は介護の目で見て、理学療法士は運動という視点で見る、医師は治療という視点でまず見る。
その組み合わせの中でのベストなものを選択してゆくことが大事なのだ、と。
介護のみでよくしようということにこだわらなくてもいい事例もあるはずで、オムツをつけることそのものが敗北なのではない、と。
まさにその通りである。
しかしそのためには知識がまず必要で、そしてアセスメントと分析、連携が必要である、
という非常にシンプルで力強いまとめであった。
自分は最後のディスカッションでなんか本音が出ちゃって、いいのかなあ、と、思いつつも、西村先生は肯定してくださった。
内容はちょっとオフレコなのだが、この業界もいろいろあるのよ、ということなのである。
まあどこの世界だって一緒なんだろうけどね、とどのつまりは。
そこまで乗り切ると、当然反動が大きいわけで、その夜はむちゃくちゃ。
といっても酔って暴れたわけではない。
オレはどこまで入ってゆけるのだろうか?
てな妙な展開に。
泌尿器科医としての自分は、当然頭に描いているのは自分の診ている(排尿困難)患者さんの具体的イメージなのだけど、それが大きな、例えば行政とか組織の中に入っていった時に、自分自身をコントロールしながらも、自分のベストな部分を他者とシェアすることができるのか、という、ある種の恐怖感にさえ囚われてしまったのだ。
それと同時に、なんか未知の世界に手を染めていきたいという欲望の如きものも、自分の深い部分でちろちろと赤い舌を出しているのを再認識して、オレはまだいっちゃえるのだなあと思ったりで、まったくおかしくなってしまったのだ。
その余韻が翌日の『ハニー』や『デビルマン』になったのかどうかは別として。
まだまだ続く、自分は何者であるかという、自分探しの旅なのである、まさに。