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    『フライド・グリーン・トマト』(1991)

    • 2010.07.24 Saturday
    • 13:54
    評価:
    コメント:誰かが誰かを傷つけることが容易であるように、誰かが誰かの救いになることも案外容易であるのかもしれない。

    ハートは壊れても鼓動し続けるのね。

    冒頭近く、愛する者を始めて失い、イジー(おとこまさりの女の子、1920年代のアラバマ州でも異端児)は使用人である黒人、ビッグ・ジョージに言う。
    炎で乾燥した木がしなり、ぱちぱち音を立てている。蒸気機関車が大陸を横断するそんな南部の夜は深い。

    そう、
    書いてしまうと身も蓋もないけど、
    失ったものもいろんな形で蘇ってゆき、形を変えてまた別の人の中で生きながらえてゆく、
    人生はそう捨てたもんじゃないね、っていう映画だ。

    自分が泌尿器科の研修医をしている頃、昔と違って研修先はほぼ大学しかなく自分も然りだった。
    そして大学といえば、研修医同様やっぱり新人の看護婦さんも同一時期に入ってきて、
    春の病棟は患者さんにとって点滴地獄(下手くそな研修医が点滴当番になって巡ってくるのだから)でもあったりするのだった。が。

    自分のことも出来ない、薬の名前も知らない、カルテの書き方も知らない、いわんや点滴も壊滅状態、雑務ともいえない雑事に忙殺されてそれでも未来を夢見はするまあ役立たずのわれわれは、日々、ぼろ雑巾のごとく疲弊し、当然、そのいきつく先は優しい看護婦さんだったり、新人の彼女たちだったりするのである。
    まあそうやって親しくなったもの同士で、ない時間の中からどうやって捻出したのかの時間を生み出し、酒飲みに行ったりして、ワイワイやったりするわけですよね、例によって。その学生時代とは違う人間関係に酔いしれていたりしたのだったが、でもその一方で医者としてのスタートは惨憺たるもんだった。それまでのおのぼりさん的気分から、首根っこをつかまれて、奈落の底へ引きずり込まれたみたいなもんだったから。・・・でもこれはそのころを否定的に書くのが目的ではないので割愛。

    そして、数年後、今治済生会病院から愛媛大学に帰ってきたのが2月で、その年も春も同様のことが大学内では起こっていた。
    Three little girls.
    3人の女の子が病棟に配属されたのだ。
    そして5人の研修医も(そのうちのひとりが自分の生涯初めての弟子で、今は東予の方で立派な先生になられている)。

    結論からいうとThree little girlsはみんな1年か2年くらいでやめてしまった。
    ひとりは体調を壊し郷里に帰り、ひとりは東京に行き、ひとりは結婚したのだっけ。

    そのうちのひとり、little girlだけど背の高い女の子がいて、彼女はちょっと不思議ちゃんだった。
    多分彼女はご両親に大事に大事に育てられて、自分自身もその範囲内で自由に振舞うことを自分に許せる、そんなたぐいの女の子だったのだろう。
    自分自分の部屋もなんだかカフェ風に改造したり、外人と付き合ったり、会話にちょっと哲学的な言葉を挟んでみたり、なかなかとっぽいねえちゃんだった。
    でも酒はからっきし弱かったけどなあ。
    思い出した、ヤツはディランのコンサートなんざに広島までゆき、パンフレットをこれ見よがしにくれたんだ!二十歳すぎの小娘がディランだぜぇ。
    でも看護婦としてはさんざんだった、けど(お前、ヒトのこと言えんのかよ、お互いさまってことで)。

    彼女が自分の短い人生の中で最も感動した映画だと教えてくれたのがこの映画『フライド・グリーン・トマト』(1991)だった。

    そして映画の物語の最後、現在進行形の世界。
    83年の人生を生きてきて自分の住処を失い、呆然とする老婆(ジェシカ・ダンディ)の肩を、太っちょのエブリン(キャシー・ベイツ)が優しく抱きよせる。
    私の家に来て、あなたには人生のいろんなことを教わったから、恩返しをしたいの。
    老婆の目が輝き、彼女は叫ぶ。

    「人生で何が一番大切か思い出したわ!」「友人、友人よ!」

    そう、
    彼女が語った物語は、その物語の主人公たちが死んでも、また別の誰かさんの中で形を変え、生き続けてゆくのだ。

    星野道夫が言ったように、物語は受け継がれてゆくのだ。
    自分の前に自分の祖先を並べてそのまた祖先を並べていく。
    たった数十人の男を並べただけで、人間の歴史なんて簡単に説明できるのだから。
    そう考えると、確かに彼の言うとおり、マンモスの時代もそう遠い昔ではないような気がしてきたものだった。

    今、littele nurseだった彼女たちがどこで何をしているのか全く知らない
    おそらく彼女たちもここでこうやって勝手なことほざいてる自分のことなんて知りもしないだろう。
    でもぼくらはあの時、あの重信の町で、同じ時と時間を共有した。
    あの患者さんのことで泣き、あの患者さんのことで笑い、夜の海岸で打ち上げ花火をしたりした。
    その瞬間は、時とか形を変えて、忘れていても、心の奥底で生き続けていくんだろう。

    誰かが誰かを傷つけることが容易であるように、誰かが誰かの救いになることも案外容易であるのかもしれない。

    どう考えてもうまそうに思えない、青いトマトをべったり油で揚げて作るアメリカ南部のフライ料理「Fried green tomatoes served hot」の代わりに、冷えたタコ焼きをほおばり、僕らはその時未来に漕ぎだそうとしていたのだから。

    (ちょっと自己満足的な話になりました)

    P.S.イジー演じてたメアリー・スチュアート・マスターソンって、先日観たジョニー・デップの「妹の恋人」のあの変わった女の子だったんだ。納得。

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    • 2014.04.04 Friday
    • 13:54
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      コメント
      アメリカいたとき、こんなもん食ったこと
      一度もないので
      多分南部だけの食いもんだと思うのですが・・。

      一生食いたくないですね。

      だいたい、アメリカいたときくらいです、
      食べ物で時々吐いたの。

      気持ち悪い食べ物ばっかり食べてるんですよねえ、あの人たちは。

      アメリカに住めないと思ったのは
      やっぱ食べ物でした。

      朝はコーンフレークって、本気かよと
      いつも思ってました。
      • はじめまして
      • 2010/07/25 4:21 AM
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