でもなんか違うのだ。多分ある一定レベル以上に張り巡らされたテンションが、何かのきっかけでふっと抜けてしまうと、どん底まで降りていって少し浮上はする、だけどそこからリセットスイッチが入らないのだろう。
あの料理を作ろう、この料理を作ろう。メディアに触れて奮起する。そうか大根葉のカレーか。面白ぇ。究極の煮卵か。卵の殻に画鋲でちっちゃな穴をあけておくのか。自分の作った料理を子供の舌に味あわせてやりたい。傲慢不遜な考えだ。そんな傲慢な自分の愛用してた包丁は、昨日流しから落ちて、柄と刃の間でパリンとと真っ二つに割れた。どうしたもんか。買う楽しみが増えたんだとポジティブに考えればいいだけのことじゃないか。そういえば、『1Q84』の二つの月の世界の下で、あの二人は出会えたんだろうか。一体全体オレの属するこの世界はそっくりすりかわってんのかもしれないじゃないか。Book3を手にとるのはいつの日だろう。
とにもかくにもモノは壊れる人は死ぬ。それだけのこった。そうだろ。
野村のよっちゃんのようにギターをプレイできたらいいだろうな。いつぞや『のり庵』で聴いた馬頭琴の音色は素晴らしかったな。あの寡黙な彼みたいにおれも二胡をひいたりしたらかっこいいかもな。そんな下心でNHKのTV講座を録画しているだけなのか。鶴瓶師匠の『ディア・ドクター』、あの音楽を担当したモアリズムの中村くんだっけのギター抱えて歌う姿もかっこよかった。あんな風に弾いて歌えればいいのだけれど、自分には心のそこからの叫びがないんじゃないかって思ったりする。そういえばりょうちゃんのアコーディオンも聞いてないし、中村君のウクレレだって聞いちゃいない。まだまだ死ねるかよ。
shira-kumoさんがブログで、『おくりびと』から始まる夢の話をリリカルに描かれてたけど、確かにあのもっくんのチェロは現実から夢の中に幽体離脱するみたいに素晴らしかった。もっくんの弾くブラームスの子守歌を弾けたらいいなとその時も考え、楽器店でギターの楽譜を探したけど難しすぎて放置したままだ。ああまた軟弱な自分の弱さに突き当たったぞ。思い出したくないことに限ってこうやってすぐに浮かんでくるんだ.
患者さんにいろいろ説明したり、脅したりすかしたり、泣いたり笑ったりしてるけど、ほんとは自分だって嫌われるようなこと言いたくないんだ。できればにこにこして、絶好調じゃないですか、やるじゃないですか、くらいで回診を終わらせたいけど、病気ってやつも人生と一緒で正直に結果を残してくれるものだ。だから、統計も侮れない。昨日しゃべった透析の話だって、日本の統計と愛媛の統計は似たような感じだったし、当院のデータだって相似形であったではないか。やっぱり残念ながら糖尿病透析の人はリスキーなんだよ。でも、昨日もいったように、現実を認識していない戦略はそりゃただの無謀だ。だから患者さんにももっともっと透析を勉強して欲しいと思っている。もちろん自分たちももっともっと勉強する必要はあるし。
おれだけ特別とみんな思いたいし、そうやって若い頃は生きてきたのかもしれない。でも自分も特別じゃないってことを認識したうえであがいてみてもそれはそれで許されるんじゃないか。人殺しの螺旋から降りたはずの宮本武蔵は人殺しの螺旋から決して逃れられない。だからきっと巌流島は楽しいことだけを招いているんではないことを井上雄彦さんは分かりながら筆を進めているんだろう。苦しくって楽しいジャーニー。バカボンド。
ひとりで生まれてひとりで死んでゆくことははじめっから決まっているのだとしても。捨てたもんじゃない。
そうか、SIONが『新宿の片隅で』でデビューしてからもう25年になるんだ。25年前は自分も重信町の風の吹きすさぶ荒野の一軒家(ホントなんだ!)に住んでたな。あの時迷い込んでいた真っ黒な子犬が、ひとり暮らしをしてから初めて飼った犬だった。正確にはもうすでに結婚していて、ついでに留年もしていたので全然一人暮らしではなかったのだけれど。クロというその犬に、数日後ウルという犬が加わった。わんわん物語。今いる犬たちはイタグレのアイとユウの兄弟だ。日曜日は彼らの訓練で、シットとステイとアイコンタクトを習った。犬の学校の先生は小林さんといって、オーストラリアで商社マンをやめて犬の訓練に目覚めたそうだ。彼が、愛媛県動物愛護センターの話を延々と続けたのを聞いて、動物に罪はないのに今はガスで死んでゆくという実態を延々としゃべり続けたのを聞いて、ああこの人は本当に犬を愛しているんだ、と、心底思った。そして自分にそれに拮抗できるもんがあるんだろうか、って、それも少し考えた。
日曜日、患者さんの前でしゃべっているときに、ああおれは透析患者さんたちのこと好きなんだってしゃべりながら思えた。思えた自分が果たして本物かどうかは分からないが、そう思えたことがうれしくもあった。だって、透析医療に関して責任もてんよって悩む夜だっていくつもあるんだから。
そのSIONは、ファンからのリクエストで過去の楽曲たちから10曲を選び、盟友松田文さんの新しいアレンジで1枚のCDにするそうだ。
SIONは自分と同じ年だ。そしていまでも年に1枚の割合でCDをリリースしているばかりか、自宅録音のインディーズアルバムも手掛け始めた。がんばれがんばれ。嬉しすぎる話だ。なにが。頑張って生き続けて、自分のフィールドで一番似合った自分の生きざまを見せてることが、だ(これ、中村君の結婚式でも言った)。
そうだよ、気にすることはないさ、殺されるわけじゃない、し、・・SIONが歌ったように、始めたらそこがはじまりなんだよ、きっと。
そんなふうにおれの旅も今からも続いていくし、酒飲んで腐って吠えたい夜もなんどもまた繰り返されるだろう。きりがないな。なんて、なんてちっぽけな自分の与太話をとりとめなく書いてみました。
そういうことを考える時間、(記録や記憶に)残す時間っていうのも、必要なことなんでしょうね。
何か…好きでした、こういう記事も。
うーん。読んでくれてありがとうございます。