市民会館で開催された松山市医師会主催・第23回市民医学講座を聴きに行く。
ジャーナリスト・立花隆さんの
『医療崩壊ー日本の医療の問題点「がん患者になって」』というものだ。
駐車場がなかなかなく、遅刻して到着。けっこう満員(700人くらいだったそうな)で前から3列目くらいに座る。隣の辺はどうも報道の人らしい。
ご存じのように立花さんは、自らが膀胱癌でTUR-btを受けて、抗がん剤の膀胱内注入療法を行っており、その経過を文芸春秋に発表された。
患者さんからそのことについて聞かれたので本屋で立ち読みもした。去年の暮の事だ。
そのことより、立花隆さんといえば多岐にわたって活躍をつづける知の巨人であり、『宇宙からの帰還』などは何回か読んだ記憶がある。
で、今回は自らの話よりも、この講演の前日の11/7に肺がんで亡くなられた盟友・
筑紫哲也さんの話とか、
やはり大腸がんで2008/7/10に亡くなられた世界的な物理学者・
戸塚洋二先生の話が前半のメイン。
戸塚先生の方は自分の闘病記について詳細にblogでつづられている。
そういった二人の闘病姿を見て(壮絶だったらしい)、この数日でまたがんに対する認識がかわりましたと言われる。
人間はいつか死ぬことを受け入れなければならない。
いうなれば、人間はみんな生まれながらの死刑囚みたいなもんですから、と、笑わせる。
そして死ぬことは覚悟の問題だが、死ぬまでは生き続けなければならないので、生き続けることはというとそれは生活の問題です、と。
そういった人すべてが『がん患者』(死に向かっている人)であるという現実にたいして、生活の質を守っとくれるべきはずの医療が『医療崩壊』となって国民の足元を脅かしているんです。と、最後の10分くらいで、『医療亡国論』ではなく『医療立国論』にしましょうという話をされる。
自分にの話に戻れば、高確率で膀胱がんは再発します、近未来に画期的な治療法が開発されることはありません。
今の私はがんが再発したとしたら、がんと闘うことを優先させるか、それとも残り時間を有意義に使うことを優先させるか、迷うでしょう。
でも私のように頭を使って仕事をする人間には抗がん剤でボーっとなるのも困ることだし、抗がん剤でがんが画期的に良くなるというわけでもないし、では残り時間を有意義に使うために緩和医療で行くか、やはり抗がん剤に望みを託すか、まあなった時に考えるんですよ、私は楽天家ですから。と。
人はがんから逃れられない(2015年には2人に1人ははがんで死ぬらしい)、
生きることそれ自体ががんを育てている
がん患者はいずれがんに敗北する
しかし勝ち目がないわけではない
闘病という場で敗北するが、闘病すわなち人生ではない
人生という場では勝てる可能性・・
『医療崩壊』の話でしたが、人間が生きるということについての話でもありました。
途中で『中央公論』に掲載された医師の座談会が引用される。
30代、若手医師による匿名座談会「患者のみなさん、まずはあきらめてください」だ。
http://ulalaulala.jugem.jp/?eid=547
自分の母親の話を。
母親はすい臓がんで、手術時には腹膜播種していた。だから手術は開腹のみだった。それも母は知っていた。
リザーバーを入れて抗がん剤の注入をしたらしいのだが、当然奏功率は低かった。
誰でもいつかは死ぬんだから、と、気丈に言っていた。
あまり取り乱したりはしなかった。過去に蓄積されたことは時々噴出したりもしたが。それも今にして思えばささいなものだった。
僕ら親子は普通に話をした。洗濯物をもって電車に乗って病院に通い、洗濯物を持って帰り、昭和時代のものを捨てられないおふくろの台所を整理したりして日々を過ごした。やっと手に入れた携帯電話で、開業に関する打ち合わせもした。もう10年以上前の話だ。
悪液質になり、モルヒネとか、硬膜j外注入とかが行われた。当然意識レベルが下がる。
死ぬ一カ月前に見舞いに行ったとき、もうほぼろれつも回らず、しゃべっていることもただの生体反応みたいだった。
これは生存してるだけだ醒めた目で僕は思った。
そして、がんがわかってからほぼ3カ月で母は死んだ。
宗教色の一切ない、丘の上の墓に母は眠っている。だから催事も何もなく、いま、こんな風に10年の時が流れた。
http://fewmonths.exblog.jp/
http://air.ap.teacup.com/awatenai/
【青梗菜の豚肉巻きの煮込み】
講演会を終え、日の暮れた道にクルマを走らす。
もう時間も押してきたので、単なる豚肉のしょうゆバター炒めを作ろうと思ったのだが、
スーパーで患者さんの家族に遭遇して、なんかにこにこしてると、
やっぱりまともな飯を作らなあかんお天道様はきっちり見てるんや、と、誰に心をのぞかれたわけでもないのに勝手に発奮してしまう。
冷蔵庫にチンゲンサイが残っていたのを思い出す。それと豚肉で和風煮込みを作ることとする。
godmotherさんのレシピにかんぴょうで巻くというのがあり、なるほどトライしようと購入。
なんかあんた心にやましい部分でもありますのん?いえいえ。まあ自分の心の暗闇には何が潜んでいるのかわからんものなのである。
さて、かんぴょうを水でもどして拡げてみると、長いものが2本とやや短いものが1本というのがその正体だった。
ゆでたチンゲンサイを縦半分に切り、拡げるとか弱い豚肉薄切りに塩こしょうして丁寧に巻いてゆく。
それを何本も作り、一本ずつかんぴょうで巻いて、キッチンバサミで切ってゆく。数十本の肉巻きの完成。
やっぱり焼き目を付けとこうと、フライパンに入れ、ころころころがして焼いて、醤油・みりん・塩・かつおだしの出汁を入れて煮込む。
みそ汁に入れる生わかめとミニトマトを投入してみる。例のマサラもちょっぴり。水溶き片栗粉でとろろん。
そいつに柚子胡椒をちょっとつけた食べると、下味があっさり系なので、口の中で大人の味がぼよよよよおおおんと拡がっていった。
ああ、こんなことどもで一日はできている。
それでいいと思う日もあれば、焦燥に駆られいらだつ夜もある。
何かどっちにもいけない夜にはとりあえず眠ることだ。
死を覚悟するというのは、人生の後半になると確実にあります。どこか調子が悪いと感じると、最悪それは、死につながることであっても然りだと、どこかで覚悟しています。もしかしたら、先日からこのようなテーマに触れて書いているのは、自分自身の心境整理をしているのかもしれません。と、書いていて思いました。
話は変わりますが、先日のお寿司といい、干瓢といい、始めての料理をうまくこなしていますね。煮る前に焼くというのはいいですね。私は、片栗粉をまぶして煮込もうかどうしようか迷ったのですよ。んで、結局却下したことが頭の隅にあったのか、トロットしたものが食べたかったのか、次の大根の治部煮で鶏肉をやりました。嗚呼、輪廻。
例のように画像を貼り付けさせてもらいましたよ。他でもない、いつも画像も綺麗ですね。(うちのとアングルが似ているので、直ぐに「あ、うちの料理!」ってわかります、うーん、なかなかー。)
といいながらも、自分で勝手にイメージを膨らまして後は適当にやるんですけど。
料理で重要なのはまずイメージですからね。イメージのない料理も面白いけど。
ほんとベーコンまでたどりついたりすると面白いんですけどね。
どうなのかな。
とても重い話を聞いた後でスーパーで買い物して、こんなおいしいものを作るulalaさんはすごいです。お医者さんという職業柄かもしれませんが、人間の生きる源みたいなものを感じます。
講演会のこと、筑紫哲也さんの追悼番組などで立花さんの話を聞いた後だったので、とても考えさせられます。どんな最後を迎えるかは選べませんが、死ぬまでをどう生きるかを考えることは大切ですね。
お母様のこと、お辛かったですね。男の人にとって、お母様ってきっと特別な存在・・・
10年ですか・・・
『何かどっちにもいけない夜にはとりあえず眠ることだ』・・・私の名言集に追加しとこ( ..)φメモメモ
>『何かどっちにもいけない夜にはとりあえず眠ることだ』・・・私の名言集に追加しとこ( ..)φメモメモ
とか、書いていただいてると、自分でも名言のような気がしてきました。おーい、おまえもメモっとけ。