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    ひとり『原田芳雄祭り』 その3 「無宿人御子神の丈吉(三部作)」と「8マン」

    • 2013.10.24 Thursday
    • 13:55
     ふと気づくともう原田芳雄さんの新作を見ることはできない。
    原田さんのあのもちっとした言い回しをTVで聞くことはない。
    ・・そう思うたびになんか寂しくなる。
    でも原田芳雄が与えてくれたものの何%が、今生きてるこのオレの何%かを作っているんだから、そう悲観することもない。
    ・・そう思い直して笑ってみる。やや口角の引きつった笑顔でね。
     
    1972-73に作られた、笹沢左保・原作の映画『無宿人御子神の丈吉』3部作だけど実は未完)を観る。
     
    どういういきさつか、映画は3作目(3作バタバタと短い期間で作られた事自体を喜ぼうではないか!)で終わってしまって、
    最後のアダ・国定忠治を討つというエンディングまでは至っていない。
    妻と子供を陵辱された上、惨殺され、カタギの生活から無宿人に戻った「御子神の丈吉」の怨念のドラマで、
    これが後の傑作「木枯し紋次郎」(どちらも原作は笹沢左保氏)につながったみたいなところもあるらしい。
    時代劇だということもあるけど、いま見ても全然古びていないのに驚き。
    いや、今見たほうがあの原田芳雄選手のぶっきらぼうさは理解しやすいのかもしれないな。
     
    映画版第1作『牙は引き裂いた』(1972)
    映画版第2作『川風に過去は流れた』(1972)
    映画版第3作『黄昏に閃光が翔んだ』(1973)
     
    観始めると結構短期間で見終えてしまって(1本90分くらいだし)、
    それで、原作の方を発作的に電子書籍で探して、最終巻のみBookliveでDLして読んだのだった。
    最終話『幻の太陽は沈んだ』では、いよいよ国定忠治との因縁の対決になるのだけれど、
    この話を映画にしたらどうなるんだろう・・と夢想しながら読むという邪道な楽しさ、を、味わったのだった。
     
    脳内エンドルフィンでっぱなしで、こういうのをホントの贅沢というのかもしれません。

    ふと、作者の桑田次郎の銃刀不法所持で中斷された、SF黎明期アニメの名作「8マン」を思い出した。
    あのアニメは確か白黒だったと思う。
    幼稚園時代、住んでいた東京の乃木坂のあの家で見たのだった。
    原作者の平井和正が、のちに、パロディ(?)でもなく、最終回をノベライズしていた。
    平井和正にとっても、シナリオライターを脱して小説家になるための分岐点でもあったドラマが「8マン」なんだけど、
    彼にとっても、最後をきっちり終わらせることができなかったのにはかなりの悔いが残っていたのだろう。
    そういえば、のちの「ウルフガイ」にも、あの池上遼一が作画を担当した日本版「スパイダーマン」(もちろん原作は平井和正)のプロットが幾つか流用されている。
     
    ネットでもこんなのが読める。
    エイトマンへの鎮魂歌(平井和正)
    この「8マン」と原田芳雄氏の「無宿人御子神の丈吉」がどうつながるか、同年代を生きたヒトでもないとわからないかもしれない。
    調べてみると、8マンが1965年で、この映画が1972年だ。
     
    (『御子神の丈吉』の小説の方の)最終話においても、
    妻と子の仇を討った丈吉が、これからどういきてゆくのかについて、作者である笹沢左保氏は語らない。
    8マンも、正体を知られてしまって探偵事務所にもよらず、どこにも還る場所を失って(いやそんなものなど最初からなかったのだ己の帰属する場所などどこにもありはしないのだと東八郎は言ったけど・・)雑踏の中に姿を消していったのだった。
    思い起こせば「鉄腕アトム」だって最後は太陽に飛び込んでいったではないか。
    あれが、人間のため、人類のためだったとはいえ、
    実はアトムはホッとしていたんじゃないのかな。
    彼にだって結局人間社会との共存は非常に困難なことだったのかもしれないじゃないか?
     
    何もかも、幻だったような気がする。
    そのための、空しさではないのか。
    丈吉は表情の動かない顔を、沈もうとしている太陽に向けた。視界にある色は、赤と黒だけであった。
    赤く染まった街道を、御子神の丈吉の黒いシルエットが遠ざかり、間もなく消えた。(完)
     
    どこにも安住の地がないと知っていて、そんな自分を持て余したまま去っていった二種類の男は、今頃一体どこを歩いているんだろう?
    「あっしには関わり合いのないことでござんす・・」そういいながらも、結局は関わり続けた男たちはいまなにを想っているんだろう。
     
    関わりは一方的なものにしか過ぎず、その関係性が現実味を帯びてきて、ぷちんと遮断されると、まるで虫けらでも捻り潰すように刃物をふりかざす、そんな昨今の事件たちを見ていても、もう了解なんて出来はしない。
    共感も否定も、入る余地さえも奪われて、闇にがんじがらめになっているのが現況だ。
    今のオレは。
     
    今日も日は落ち、おれは夜の街を徘徊する。
    無数の男たちと無数の女達。無数の灯りと無数の欲望。
    ♪あなた恋しい黄昏の松山HONKY・TONKブルース・・
    なんて口ずさみながらホロホロと歩くことくらいだろう、今のオレにはできることといえば。
     
    なんだかナミダが出てきちゃったよ。
    わかんねえな、わかんねえ、まったくわかんねえ。
     

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