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    「きみのためのバラ」多分3回めの再読(池澤夏樹)

    • 2013.10.10 Thursday
    • 14:42
    著者 : 池澤夏樹
    新潮社
    発売日 : 2010-08-28

    池澤夏樹氏の「きみのためのバラ」何度目かの読了。
     
    前回読んだ時は、初頭の短編「都市生活」にインスパイヤされて、『ケイジャンチキン』なる料理にトライしたのを思い出した。
     

    ケイジャン風チキン 2010.11.24 Wednesday

     
    パリでの短すぎず長すぎない、人生のなかばにおけるある男の隠遁生活を切り取った「人生の広場」という短編を最後に読み終えて、本を閉じる。
     
    なにか書き記しておかねばならぬような強迫観念のごとき思いに突き進められて、朝っぱらからこうして書いている。
     
    「人生の広場」
     
    自分にとっての第一の「人生の広場」は、ティーンエイジャー最後の2年間を暮らした、京都での予備校生生活だったのかもしれないなと思う。
    どこにも所属することができず、焦りながらも、若い自分は、人生というものが自分にはじめて降ってくるのを感じていたんだと思う。
    親のすねはきっちりかじっていたくせに、高校生という庇護された生活からドロップアウトして、「予備校生」という名前だけを冠されてどこにも帰属できないまま、まさに「浪人」となって、それだけではどこにも門戸は開かれるはずもなかった。
    あれはまさに・・
     
    この物語の彼は最初にこんな風に語り始める。
     
    「人生に曲がり角のような時があるときみは考えるか?」
    「危機ということかい?」
    「危機は向こうからやってくる。そうではなくて、自分が歩いていくうちに、一度立ち止まって次の方位を決めなければならない場所にさしかかるんだ」
     
    そして彼は、人生という街路を歩いて行って辿り着いた広場について語り始める。
    広場でぶらぶらしながら、次に辿るべき路を模索する。
     
    「大事なのは、先を決めないままその広場でしばらく過ごすというところだ」
    「本当ならもう方針は決まって、順調にそこを進んでいるはずの年頃で、それでもふっと立ち止まることがある」
     
    そう、これは第二の「人生の広場」についての考察の物語なのだった。
     
    方向が定まっている人生にも何度だって波風は訪れる。
     
    しかしそういう激動(例えば倒産、例えば離婚、例えば死別)とは異なって、ふっと訪れる、凪のような瞬間、
    そこで「意識的」に立ち止まって、右か左かを決めるのではなく時に流れにたゆたってみること、
    そんなある種贅沢だがもし過ごすことができたら非常に有益な時間を、物語の語り手は「人生の広場」と呼んだのだと思う。
     
    確かに、この人生、踊り始めたら止まることはできない。
    ネジが切れてもアキレス腱が切れても、ヒトは人生という舞台でステップを踏み続ける。
    踏み続けなければならない。
    脱落するまで。息が切れるまで。
    「まだまだお元気じゃないですか」「十分やれますよ」そんな言葉に鼓舞されながら。
    かつて、それが人生というものなんだと思った。(今も十分思ってるかも?)
     
    あっちをむいてようやく本腰入れて始めた瞬間に、こっちから別の矢が飛んできて、それを避けようとしゃがんだ地面でまた別のトラップが待っている
    今の自分の生活は毎日がまさにそんな感じだ。
    外来が終わり、職員が帰って、病院の灯りが落ち、そして頭は見事に崩壊している。
    家に帰って料理を作り、風呂にはいるともう寝る時間だ。
    料理は料理で充実しているけれど、こんなことを繰り返していいのかと問いかける自分に対して答えられぬままアルコールを煽る。
    でもそれはそれで充実してるんだろうけど。
    そんなことの繰り返し。
    さあまた明日しなければならないことの段取りを始めるとするか。そんな感じ。決して悪くはない。
     
    「人生の広場」という単語は、
    「でも人生それだけじゃないよね」、って、
    簡単な言葉に置き換えたら、そういう感触の思いのことなのかもしれない。
     
    物語の彼は後半でこう語る。
     
    「どうだろう。
    いつも寂しさはついて回るし、人はみな一人で生きると誰もが知っている。
    あそこでは人は深い孤独に落ち込みかねない。
    だから恋をするし、だから食事に時間をかける。そういうことを私は学んだ。そう日記に書いたのを覚えている」
     
    おれはパリの移動祝祭日(ヘミングウェイがかつてそう名づけた)を生きたいわけではない。
    今のおれの人生だって、十二分に移動祝祭日だと思うから。セコすぎるだけのことだけど。
     
    そしておれは、そんな広場の存在をなんだかこの数年考えていることに気づいている。
    疲れているから?いやそれだけじゃない。
    そこで過ごしたらどうなるかとかでもない。
     
    なんていうんだろう、ああわかんねえや。
    わかんないひとにはわかんない、わかるひとにはちょっとわかる。そんなもんだろ。
     
    尻切れトンボだがここでおしまい。なかなかうまく語れない。
    うまく語ることができたらとっくに小説家になれてたかもね。
     
    以前読んだ時の感想がblogにあった。
    こうやってその時その時の環境とかテンションで、選択されるものが異なるのも面白いよね。
     

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