医者だから、いろいろわかってはいるつもりなんだけど、患者さんが良くなって喜んでいただいてる姿が映し出されるのを見ると、こちらにまでそのうれしさが伝わってきて、泣けてきた。
脳梗塞に倒れ、それでも一時は在宅も可能になったのに、家人の介護疲れからまた施設に逆戻りした自らの親のことを語り・・酒向さんが言葉に詰まってしまう姿まで、NHKのカメラは捉えていた。
命が助かり、リハビリが終わっても、人は生きてゆかねばならないのだ。
そう、たしかになにも終わっちゃいない。
リハビリ医・酒向正春。かっこよかったです。
そうはいっても我々も医者の端くれだ。
日々、患者さんを診て、診断し治療をして、その経過を見てまた方向性を変えて、そんなことをしながら生きている。
でもなんか目の前を疾患を抱えた患者さんがあわただしく通りすぎて、また残像が消えないうちに別の疾患を抱えた患者さんがすぐに現れる、日常ってそんなことの繰り返しだ。
日々消耗する。
それをこなしつづけなければならない。
そしてこなし続けてゆくには、確かに『信念』とか『希望』とか、そんな精神的な側面は必須だろう。
でもね、きっちりとした技術や知識がないと、それは空回りに終わってしまう。
だから日々、勉強するんだけどね。
どの仕事でも、ひたむきに仕事していると、2 -3年間で限界が見えてきます。
その時にしっかりとですね、情熱を持って、使命感を持って、その限界をクリアしようと努力して、アクションを起こせるかが、プロフェッショナルじゃないかと考えています。
そう酒向さんは語っていた。
日々自分のハードルを上げてゆくことは重要だ。
どんどん自分で下げていってる奴ら、自分の言葉で自分を慰めたまま潜ってく奴ら、多すぎだろ!
番組を見ていて3回泣いた。
死んでしまった、泌尿器科教授のT先生のことを思い出していた。
先生はバリバリの現役時代に、脳出血を起こされ半身麻痺になられた。その後も何度か再出血を起こされた。
でも、車椅子に乗りながら、もつれた舌で笑えないオヤジギャグを飛ばしながらも、チンピラみたいな弟子のおれたちにティッシュでよだれを拭ってもらいながらも、
定年まで教育者として、教授を続けられた。
大学勤務時代、先生の助手として、先生の指定したレントゲンを準備し、先生の車椅子を押して講堂にゆき、シャーカステンにレントゲンを並べ、先生にポインターを渡し、時々先生のよだれをティッシュで拭った、あの頃のことを時々思い出す。
だから先生の手術を生で見ることはかなわなかったけど、
その他のいろんな面で、いや、あらゆる面で、
自分にとってT先生は、泌尿器科の自分にとって、唯一無二の教授だったんだ。
教授の人生に教授が何点をつけたのかわからない。
でも、兎にも角にもヒトは生きてゆかねばならない、あっちの世界からのお呼びがかかるまでは。
教授は自分の動かない体にきっと見切りをつけることなく、持てる自分の残った力で最大限にできることを探し続けたんだと思う。
だったら、やっぱり、日々、やるしかないだろう。おれも。
ちっぽけな自分自身にちっぽけなハードルを課してでも、できうることならちょっとずつでも登って行きたいですよね。
酒向さん、ありがとう。前向きの気持ちを噛みしめることができました。
実は私泌尿器科に入局のお願いに行ったら
女性や小児の需要は多いのだけどね・・・一般的に
泌尿器科に来るのはP問題の男性なんだよ
君に外来捌けるとは思えないってアウトになってしまいました
T教授好きだったんですけど・・・
それより今年の同窓会で去年先生が気にされていた
I先生の自殺の原因同じ医局だから知ってる?の質問で・・・
酒向先生SNSで不穏を感じていたのですか?
体より心みる名医だったらすごく尊敬します・・・
ちょっとびっくりな封建主義です。
今日も来た患者さんが、一度死んだらもう二度と死なんのやからええじゃないかと叫ばれてましたが、逆に言うと一回しか死ねないということは一回しか生きれんということと思いなおして、やるしかないんでしょうかね。
遅くなりましたけど、コメントありがとうございます。