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    「ヒミズ」(2011)とヴィヨンという詩人

    • 2013.05.04 Saturday
    • 10:22
     2011年の話題作。

    これはぜひ映画館で見たかったのだがスケジュールがあわず、かなわなかった。
    あの震災からずいぶん時を経て(と言っても自分はこの土地で安穏としていだだけなのだが)、やっと観ることができた。

    茶沢(女子中学生で、家中が借金苦でどんより、母親は自宅に絞首台を作っている)が雨の中で叫ぶ『ヴィヨン詩集』はよかった。
    (調べてみるとこれは「軽口のバラード」というものらしい)

    牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、
    どんな人かは、着ているものでわかる、
    天気が良いか悪いかもわかる、
    林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、
    樹脂を見れば木がわかる、
    皆がみな同じであれば、よくわかる、
    働き者か怠け者かもわかる、
    何だってわかる、自分のこと以外なら。

    でも、映画の方は、正直、おじさんである自分の生きている世界とはちょっと温度差あったなあ。
    それが現場にいる人間とそうでない人間の違いなんだろうかなあ・と、のめり込めない自分を覚めた目で眺めたりもしていたのだった。

    それが原発の当事者とそれ以外の差なんだ、と言われればそれまでだし、
    アベノミクスの高揚感とうら寂しさと無関心とそんなものでべったり塗れる薄っぺらな今の日本の構図なんだといってしまえばおしまいのような気もするし、

    それこそ昔の例えで言うなら、TVのスイッチを切ってしまえばぷっつり断線して終わる世界の出来事・・みたいな形容なんだが、
    どっこい、今のスマホは、僕らが眠っている間もずっと生きてて、
    過ぎていったSNSのリアルを何度でも再生して、再びそこにjoinできるという、金太郎飴みたいな世界で、そんなバーチャルも含んでみんな生きているというそら恐ろしさ。
    そう考えると、自分の知らないところでも、無関係そうに見えていつの間にか世界はねじれて、そのねじれはいつしか自分に影響を与え始めており、その中で自分も奇妙に発狂しているのかもしれない。

    だったとしても、

    だからこそ、
    スイッチを消しても実際に消えたわけではない現実を、
    ネットの海の中に横たわる莫大な情報に惑わされてもいいから、
    その時持ちうる自分の精一杯の能力で、自分のスタンスで、検証すること、
    そうやってその場その場で結論出していくことだけが、先に進むとりあえず唯一の方法なんだと思う。

    映画の中で、実際の被災地の廃墟の映像が『象徴』のように(まさにあそこでは象徴ではなく現実であり、スミダの現実でもある)何度か使われる。

    壊された街、壊された人生、スミダはその街で再生への一歩をとりあえず(ホントに?)踏み出せたのだろうか?

    とりあえずフクザツな気分だけど、unhappy endじゃなくってよかったな、スミダ。
    少なくともlostして、ボートハウスの傍らにテント張って住む大人たちはみな妙に明るかったのは、ある種の救いだった。

    ちなみに、ヴィヨンは15世紀のフランスの詩人で、パリ大学を卒業しながら人を殺し窃盗をし、絞首刑を言い渡されながらも減刑され追放されたそうだ。
    そして、その後のヴィヨンの消息に関する記録は一切無い。

    ヴィヨンは自分のこと以外はなんだってわかったんだろうか?

    おれは自分以外のことも、自分のことも、わかった気になっているだけなのかもしれないな。
    それでも、いつだって「相対化」の意思だけは必要だろう。

    アルコールにまみれてる時だって、覚めた顔の自分が時々問いかけてくる。
    闇の中に、色とりどりにペインティングされた、「地獄の黙示録」のウィラード大尉の顔が浮かび上がってくる。
    いや、望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」のあの小僧どもの顔か!
    それはおれ自身なのか、おれの遠い祖先なのか、それともおれの中の他人なのか?
    それでますますテンション上げても、しょせんおれは、自分の後頭部をスナックの壁に叩きつけるくらいのことしかできないんだが。

    wilard

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    • 2014.04.04 Friday
    • 10:22
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      コメント
      中学生くらいのときって、親の力の範囲内で生きなくてはいけなくて、親が貧しいと子供も貧しい生活をさせられたりしますよね。結構貧しい人はクラスメートにもいたんですけど、貧しさを前面に押し出してくるのって大人がつくる映画での世界だけかなと思ったりします。
      子供というのは、自尊心が大人と同じように高いので
      貧しいということをあまり言わずに元気に明るく頑張ってると思います。
      そして明るく元気にしていると大人というのは
      気付いてあげることがなかなかできないバカな生き物です。
      昔、子供だったころの自尊心を忘れてしまってるのですよね。

      借金苦などつらいことではなく
      自尊心を失うことがつらいのではないでしょうか。
      そんなことを、ふと思いました。

      とりあえず健康で、なにも欲しいものがない私は
      食費くらいしかお金をつかわないのですが
      健康なので、本当に毎日ハッピーで楽しく過ごしています。
      ストレスも悩みもなにもありません。
      • はじめまして
      • 2013/05/06 5:12 AM
      自尊心ですか、そのとおりですね。
      自尊心を失ったらヒトは誰かのナニカに「隷属」して生きてゆかなければならないことを受け入れてしまう。それは人間「奴隷化」なんです。知らず知らずに何かに隷属されて生きている人を見ることがあります、でも彼らは何かに隷属しているなんてこれっぽっちも思っちゃいない。食ってくそしてセックスもして、歌も歌ったりして。そしてそれは結構ハッピーな人生なんだと思いますよ。自分のオツムを誰かに預けるんだから。でも、そうならないために、自分は日々こうやって生きてるんじゃないんでしょうかね?はじめましてさんは、「ストレスも悩みもなにもありません」と書かれててそれはホントにそうやって書けるのが素晴らしいと思います!
      • ulala
      • 2013/05/06 4:08 PM
      GW終わりました。疲れとストレスでまぶたはピクピクするし、喉は腫れ、尿切れも悪い今日この頃。関係ないか(笑)
      今日も朝一から仕事関係者に声荒げました。
      字が汚いというか、読めないんです。何遍注意しても直らない、直さない。こっちはストレスでイライラしっぱなしだけど、相手はストレスレスなんでしょうね。怒られるのが嫌なら直していくでしょうけども、なんとも思ってないのでしょう。
      注意する度反省してるような顔をしてたけど、実はただのだんまりだった。これも自尊心?(笑)
      どんくらい読めないかというと、その人の名前には「井」の文字が入るんですが、お客さんが電話してきて、伝票に書いてあるその「井」を「くち」と読んだんです。一瞬「うちにはその名前の者はおりません」と言いそうになりました。そんなことがあっても未だその人の「井」は「口」に見える。他にも「い」と「り」がおんなじに見えるなどなど(笑)
      自尊心はたっぷりあるけど羞恥心はさっぱりないんでしょうね。
      マイメモと人に読んでもらう伝票は違うよ、と何遍言っても直らない。分からないんでしょうね、その意味さえも。
      字は個性出ますけど、とりあえず解読可能な文字を書いて欲しいです。(笑)
      • koichi
      • 2013/05/06 10:22 PM
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