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自分のために他人の死があるわけでもないけど、みんなが当然それぞれのstoryをもっていて、それはこうやって陽の光にさらしてみると何らかの化学反応を起こすのかもしれない。
よくお墓に、新しい花がいけられている光景に遭遇するでしょ。
花は枯れるので、新しい花がそこにあるということは、かつて古い花もあって、それの意味することを考えると、この世も捨てたもんじゃないなとも思う。
でも、自分は墓もいらんし、墓に花を捧げることもないだろうけど。
だからこうやって書くことぐらいが、自分が捧げる花みたいなものなのかもしれないんだけど・・。
そのヒトのことを考えてる時は、そのヒトは生きてるんだっていっつも言ってるアレですよ。
そんなこんなで、中原中也の歌を思い出した。
河原から突き出た、白い漂白した「骨」という詩だ。
それは僕の骨でもあり、きみの骨でもあり、死んだ彼の骨でもある。
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐ってゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある。
と思へばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
彼は前立腺癌手術目的で入院してきた。
前立腺全摘術というのはまあ長い手術で、
手術の術層が深いところにあるため、
身体を斜めにしながら言われるがままに開創器を持っている研修医の自分などは術野はなぁんにも見えず、
しびれて手の先の力を抜くと怒られ、かと言ってその微妙な鈎持ちのニュアンスなどわかろうはずもなく、ただただ立ちすくんでいるのだった。
ここが静脈叢で出血がやばい・・とかいわれても蚊帳の外だし・・。
まあ、そうやって、長い長い手術もいつか終わる。
前立腺癌で、全摘術の日の夜中、彼はベッドの上に仁王立ちになってバルーンを引きぬこうとした。
前立腺を摘除するということは、とったあとの膀胱と尿道を端々吻合しているということで、その切れた部分をつないでいるバルーンは最後の命綱だ、決して抜けてはいけないものだ。
しかし彼は、せん妄状態となって、引っ張った。身体中に圧力がかかり、抹消に留置した点滴チューブからも血液が逆流している。
当時、研修医だった自分は主治医だったにもかかわらず、当然どうしようもないわけで、ただあたふたするだけ。
当直の先生が対処してくださり、事なきを得た(のだと思う)。
いずれにしても遠い遠い昔の話だ。
彼は華道の先生で、その立ち振舞から、ゲイじゃないのと、看護婦さんはじめ、僕らみんなは、面白おかしく語っていた。
ゲイなのに前立腺癌になっちゃうんだ、ああ、違うよ、まさに男の病気だから本望か・・などと失礼極まりないことを言ったりもした。
その彼が、ケアハウスに入所していて、認知症もあってで、何十年かぶりに遭遇した。
尿道狭窄になっており、透視下に、カテーテルを膀胱まで挿入し、それをガイドに細い腎盂バルーンをなんとか入れ、ルートを作り、それから時間をおいて、数回かけて拡張した。
最後には十分なルートが出来ただろうと判断し、バルーンを抜去した。
その後、なんとか自己排尿でいけており、「よかったですねぇ」と言った。
「もうあんたは痛いことばっかりするんじゃから、いけんてぇ、もうせられんてぇ」
彼は、尿道拡張の時はいつも語尾を荒げた、ほぼ怒鳴る感じで。
それでもそのあとはいつもの柔和な顔になり、あの頃はお互い若かったねーという話になったものだ。
そんな彼の死亡が新聞記事の片隅にぽつんとあった。90近い年齢だ。
こんなことを書くのはどうかと思う。
でもこれは記録だ。
ただの記録だけど、ある形における、彼と、僕と、そして、きみやきみたちとの、生きた、生きてきた証でもある。
それらもいつか薄れ消えてゆく。全ては滅する。そして流れてゆく。
それもよし。
それもありだ。
これも故人への弔いのかたちですね。
それでも、自分も、きっと彼のことを忘れていってしまうでしょうし、いろんな他のことも忘れていってしまうんでしょう。でも文章は覚醒へのkeyでもあります。
それにしても、ほんと読んでくださって、コメントまで頂き、ありがとうございます、まゆクーさん。