そうだ、夢見る頃を過ぎてもまだ生きている。だったら、夢をみるんじゃなくって夢になったらいいと、映画の中の人造人間が言っていた。
おまえの人生の終焉が一体いつになるのか、たとえば神様が教えてやるよと言ったらどうする。
おまえはそいつにうなづいて、頭を垂れて、その本物か偽物かわからない神様のご宣託に身を委ねるだろうか。
あんさんは2年と半年後に死にまっせぇ、と、ビリケンさん顔の男が言ったとしたら。
ある日、夕暮れの遊園地で、シルエットになった子供たちの顔が急にわからなくなった。
呼びかけて振り返った子供がみんなのっぺらぼうだったら怖いので、おれは少しずつ後退りして、公園を出た。
街の雑踏に紛れ込んだら幾分か気分が楽になった。
おれの子供もあの中にいたのかもしれないのに、おれの家族もあの中にいたのかもしれないのに。
おれは街の一部になって、息を潜めて生きている深海魚に戻れたんだ。
そんな自分に安堵して、おれはそんな矮小な人間でしかないんだと少し哀しくもなったりした。
でもね、それでいい、それでいいんだよ。
バーに入って強い酒を5-6杯でもあおればすべては消えてゆくだろう。
一体全体、こうやって酒をあおっているおれは、誰なんだろう。
でもね、それでいい、そう、それでいいんだよ。
おれはすこしずつ壊れていってるんだ。
あの日、焼けたアスファルトの上で、高校に入ったばかりで少し遠方に通学し始めたおれは、暮れなずむ道で、ゆっくりと歩を進めていた。
バッグを右手から左手に持ち替える。
すれ違いざま、かぐわしい香水の匂いに顔を上げると、彼女がいたんだ。
真っ赤なTシャツに揃いの口紅の女。
白いパラソル、キャリーのついたバッグを引きずって、身体のラインを隠すような長いスカートを履いているのが、薄闇の中でもはっきりと分かった。
久しぶり、こんなところで会えるなんてね、ここで会ったのもなにかの縁ね、
そんなに怖がらなくってもいいわ、何も今更あなたを味わい尽くしても失われた時は戻ってこないものね、あの時はそうホントにふたりとも楽しかったわよね、
ほら、今の私のえぐれたおっぱいを見たらいいわ、乳癌でね、こんなふうに私のおっぱいは切り取られてしまったのよ、
ほら、ほらほら、これが見たかったんでしょ、
ほら見せてあげるわ、ゆっくりじっくり見るといいわ。
おれは目を背けられずに、伸びたTシャツの胸元からえぐれて瘢痕になった皮膚の引きつりと、そこにかつて存在したはずの乳房の痕をみた。
彼女はいつのまにかおれの背後にまわり、おれの耳元でこうささやいたんだ。
いつかあなたもすべてを失う日が来るんだよ、必ずね。
でもね、すべてを失ったからっていっても人生はそう簡単には終わりにはなりはしないのさ。
あなたの大事なものは奪われ、火を付けられ、それでもおまえは生きなくっちゃいけない、この私のようにね。
気がつくと彼女はいない。
ただ香水の微香がおれの鼻腔を犯し続けているだけだ。
めっきり暗くなった夕闇の中で薄ら寒さの中で、おれは泣きそうな顔をして笑っている。
あの日からもう何十年もが過ぎた。
幾つもの死にあった。死んだヒトに何度か手を合わせ、心ではその何百倍も手を合わせている。
浮かんでくる思い出もあるし、忘れてしまったこともたくさんある。
薄情とは思わない。おれが死んだっておんなじことを思うからシンパイスンナ。
おれの死に様は残念ながら分からないし、たとえ神様が教えてくれるといっても答えはNOだ。
ただ、人間は後ろ向きではなく、前を向いてしか生きることができない生き物だとおれは信じている。
どうしてかって、そりゃ神様が人間をそういうふうに作ったからだろうよ。
先生、あんたのこと好きだったよ。
おれはあんたの嫌なところも、あの可愛い仕草も、残念ながら忘れることなんてできないよ。
でもね、先生、おれはもう少し生きることにしたよ。
そう選んでからももう何年かたったな。もう随分くたびれてはきてる。そしてちょっとずつ壊れている。
そんな身体と魂だけど、もう少しね、いけるとこまで行こうと思うんだ。
だから、また会ったらよろしく。その時はおっぱいとか触らせてもらえたらうれしいかもよ。