毎年、おんなじようにシコシコ仕事してると、おんなじようにこの日はめぐってくるわけで、2/1は「武智ひ尿器科・内科」の開院記念日です。
今日から15年目のスタートです。
はじめた時は多分38歳の若造だった自分が、今は52歳で、
だからといって老成したという気分もさらさらないし、
まあ自分だけじゃなくって、今の世の中ってそんな感じで、「老成」を拒む要素が多すぎなんでしょうけど。
それはいいことでもあり、この社会そのものが、いつまでたっても成熟できない要因のひとつかもしれないんですけど。
だからね、今の人ってアンチエイジングばっかりに走りがちになっちゃう。
元気でいつまでも現役プレイヤーでいること、いたいという想いは素晴らしいことです。
でも人間って、死ぬから生きてるんだよね。
その有限性を認識した上で、その有限の中に無限を見いだせるともっと強くなれると思うんですけどね。
まあ、具体に還元してあたりを見回してみると、
こういった節目だからって、バシッと何かできるといういわけでもないので、日頃から、やれることをやってくだけのことなんですけどね。
震災から、フクシマから、民主党の大敗から、オスプレイから、いじめから、体罰から、
世の中混迷極めて、さらに混迷で、ついでに自分も歳をとってきて、ますます他人様のことを考える余裕がなくなってきている感じですね。
だからって、余裕なく生きていって目先の利潤ばかりを追求したり、上を目指すためになにか大切なモノをスポイルしてもいいのかって、そういうことでもないんですけどね。
でもそういった奴が「勝者」としてwin!を高らかに宣言したりする世の中であることも否めない。
うまくいえないけど、自分を愛せないものは、結局他人も愛せないってことなんでしょうか。
これは自己愛ってことじゃないんですよ、自分の価値は自分で作り、その進化してゆく自分に納得する、そんなイメージですかね。
みんなの一人ひとりがかけがえのない存在であることは自明の理なのに、それを認めないようなシステムまでもが未だに横行する世の中はたしかにおかしいですよね。
そんな世の中に仕方ないよねーと思わされてる自分もいたり吸える。
でも、自分だって、世の中を作っているもののひとりの人間存在であるはずなのに・・。
無力で声も届かない、でも時としては、こつこつやってると、思わぬ力を発揮できることもあったりするわけで。
だから、あきらめることだけは、このステージからおりちゃうことだけは、もうしばらくはやめようって思ってるんです。
だから、自分の後をついてくる若い人たちに実はかまってる暇なんてないんですよ。
おれは、おれのことで精一杯なんですから。
いっつも彼らに言ってます。
自分の脳味噌を使って考えろよ、って。
そして自分の意志で前に出るってことが、結果はどうであれ一番いい結果につながるんだと思うんですよね。
ネットにちょっといい言葉がありました。
これを語っているのが若い人だってい言うのが心強いですね。
世の中のあらゆることは自身が選択しているという意識を持つべきだと思ってるんですよね。「やらされる」っていうのは二十歳まで。自我が芽生えた位から、やらされるって行為は一切ないと思うんですよ。
「やらされてる」じゃなくて、「やってる」っていう意識を皆持つべきだと思っていて、嫌だって言いつつその仕事を選択しているのであれば、自分の選択なんだから嫌だ嫌だって言わずにやろうよって思っちゃうんですよね。