らぶれたあー風邪でダウンした体と心に最後にしみたのは正やんの「22歳の別れ」の歌詞だった。

 風邪で弱ってます、と前置きして。

弱っている時には、他人の痛みとか優しさを感じやすいが、かと言って自分が弱っているため、他人の痛みに対しての反応力は鈍っている。

座薬を入れて外来を乗り切ったのだが、やはり日ごろ患者さんに接するパワーを120%とすると、正直70%くらいであることは否めない。
それっていかんことです。

調べてみると、自分のCRP(血液中の炎症反応)は2.14だった。
腎盂腎炎で診る方など10の方もいらっしゃるので、たった2で、これだけ『死にそう死にそう』という自分は一体どうなの、って感じだけど、しんどいのは仕方ない。

しかたないことはどうしようもないのだ、とバカボンのパパになってみる。

微熱、悪寒、全身倦怠感、喉の灼熱感。
過労に風邪がダメ押ししたんだと思う。

確か3月くらいにも同じようなことがあった。あの時は風邪にぎっくり腰とで死にそうだったような。
その時、基礎体力がないことを痛感して、walkingを始めたのだがいつの間にかお留守になってるよなあ・・。
まあ、よくよく考えると過労を招くような事のほうが指折り数えてみれば多いので、あながち基礎体力の欠如とも断定できないのではあるが・・。
働き過ぎだよなあ。でも今は誰もお前に働けと命令してる訳じゃなくって自分で働いてんだからなあ。
労働管理できない経営者失格?
ああまたぐるぐる回り始めるぞ。

まあ、ともかく、また、『初心に帰る』決意だけはするのでありました。

そしてちょっとだけ元気が戻ってきた夜に、この歌の歌詞を読んだら、なにかを見つけてしまったので。

伊勢正三さんも21歳でこの歌を書き上げて天才ともてはやされ、そして隠遁生活を送って、最近、還暦を迎えられた。
この『22歳の別れ』も歌わない時期があったそうだ。
でも、行ったこともない地球の裏側のブラジルでのコンサートで、一万人の観衆が合唱してくれる(正確にはこっちは「なごり雪」)のを聴いて『これが自分のオリジナルなんだ』と気付いたのだそうだ。

ひとつだけこんな私のわがまま聞いてくれるなら 
あなたはあなたのままでいて下さい そのままで・・・

ご存知、正やん(伊勢正三氏)の『22歳の別れ』の一節だ。

確かにみんなこんなわがままは聞いてほしいと思うだろう
自分は変わっても、あなただけは変わってほしくない、昔のままのあなたでいてほしい。
なんて確かに都合よすぎるだけど、そうやって昔の君は今も眩しいまま、思い出の中で輝き続けてるんだ。

昔の君が今のぼくを見たら、なんて言うだろう、なんて、世迷い事は言わないよ。
お互いに変わったところがある、お互いに嫌なところもある、それは認めよう。
だけど好きなところだって、尊敬するところだって、たくさんある。

今の君に会って、今の君の一番素敵なところを、これからみつけるのさ。
いやみつけ続けていくんだ、ずっと。

だから、よろしく。
そして、よろしく。

正やんのコトバを、

「還暦は0に戻るってことでしょ。
昔のように歌えとか言われても無理だけど、新たな自分の歌づくりに挑戦していきたいね」

参考;朝日新聞2012/05/12be「うたの旅人」



しょこたんと真鍋かおり姉さんはいいね!

  自分しか信じないヒトはどこにたどり着いたらいいんだろうか?

いくら傍証を積み上げても、いや、自分の身体はなにかおかしいのだ、現代医学では計りきれないなにかが確かにあるのだ、と、譲らない。

そういう人の前では、検査所見の説明もくそもみそも、全くスルーされたりする。

病気の人がやたら健康食品に走るのもあれはどういうわけなんだろう?

これをすることのほうが大事なのに、あれをしたら今まで不治の病と思われていたものが消滅した、という文言に惹かれ、高いカネを払う。

そのくせ処方された薬はごっそりと積み上げられたりしている。

高いカネを払うということと、ノーマルな医療でないという点のほうが、『価値度』がアップするんだろうね?

その気持ちはわからんでもないけど。

でも、そんな時だけ、他人と一緒のレールから外れんでもいいんじゃないのかな?

世の中には治らん病気もたくさんあって、その先に藁をもすがりたい気持はよく分かる。

でもまずはふつうのコトをきちんとできてるか、それは最低条件じゃないのかな?

これ飲んだら血糖下がるんだ、と、健康茶飲みながら、傍らでお菓子バクバク食ってるのってね。

医者は正確には病気を治すのではないと思う。

病気に寄り添ってアドバイスできるそれくらいが関の山なんだ。

確かにガンをばさっと切って根治!狭い冠動脈を拡げてステント入れてOK!そんな劇的なシーンもあるだろう。

でも往々にして、医者はちょっとしたアドバイスとくすりを処方するくらいが関の山なんだよ。

そしていつも書くけど、医療っていうのは『ボランティア』ではない。

我々は対価に見合うだけのものを得て、それで生活している。

こういった物言いを嫌う人たちもいるけど、それを最低限認識できてないから、いろんな誤解が生じるんじゃないんだろうかな。

今週はヘビーだった。

こんな時いつもしょこたん(中川翔子)を思い出す。

しょこたんは自分の楽しいことだけをマシンガンのように乱射して自分のまわりに積み上げていった。

そのしょこたんが最近、『anan』で下着ショットを披露した。

これがその神・表紙である。

どう、思わず、拝みたくなるでしょ?

自分はエミフルで、周りの目を気にしながら、3回は立ち読みしたよ!

しょこたんの放つハッピー・オーラは、まわりのみんなを癒していった。

そして中川翔子その人をも救ってくれた。

自分が最低のラインにある場所においても信じつづけられるかどうか、信じたりうる自分がそこにあるのか、それが最も大切なことだと思うけど、

自分以外の他者に対して、どんなラインにおいてもどれだけ解放できるかというのも、こんな世界では重要なことだと思う。

なんか疲れ果てた週末で、トーンダウンな文章になりましたが・・いい週末を。

syokotananan


眠りの国からの招待状(『水晶の舟』に乗るために)(今一度の決意の前に・・ 2 )

 白い霧の草原に、水道管が、土の中から一本だけぽつんと突き出している。
きっちり閉めたはずの蛇口から水滴がこぼれている。
一滴ずつ、一滴ずつ。ポタリポタリ。
蛇口は霧の中にあり、はっきりとは見えない。音が聞こえるだけだ。
ポタリポタリ。
だけどそのしずくは、永劫とも思える時間をかければ、岩をも穿つこともできるかもしれない。

それに比べてこのおれの一撃はどうだ。なんの効力も持ち得ないオレの一撃は。
それがわかっていても拳を上げておれは岩を穿つことができるか。
今までやってきたことが徒労だとわかってしまっても、それでも明日を信じるヒトカケラのために、また一撃を繰り出すことができるか。
そんなことなんの役にもたたんのさ、お前さんの人生においても、実社会においても、全部が徒労だったんだよ。
せいぜいお前さんにできることは尻尾巻いておふくろのおっぱいのあるところまで帰ることくらいさ。
そう言われたあとでもお前は自分のヴィジョンを信じ続けられるか

相変わらず眠りは訪れない。
神経はいつもニューロンの一本一本からはみだして、ハリネズミみたいにささくれだったままだ。
以前、不眠症の夜にはダチョウの夢をみたものだった。
皮膚疾患に侵され、表面がボロボロになったダチョウが、掻痒のあまり、金網に身体をこすりつけて、血を流し、ますますボロボロになってく夢だ。
ダチョウはクソを垂れ流し、爪から血を流しながら、まだ金網を引き裂こうとする。
ボロボロのダチョウ、そんな夢だ。

心の奥底に誰にも触れられない場所がある。
そこは外から盗み見ることはできても、自分以外は入ることはできない。
そこは、だが、純粋培養なんてものとは程遠い場所で、誰にも見せられない裸の自分自身がいるだけの場所だ。
哀れでちっぽけな自分自身が、震えながら雨に濡れてるだけ、そんな場所だ。
そんな場所でさえ、オレはその裸の自分自身と対峙することを避けて、ごまかしながらやってきたのかもしれない。
自分も信じられなっくなったら一体いまさら誰を信じるんだろうな
つけが回ったからって、サイレンも鳴りはしないよ。警報装置はとっくに壊れてるから。
上等すぎて涙が出そうな話だ。

そんな事言わずにさ、さあ君にも何かができるはずさ。
その脚を上げて一歩を踏み出すんだ。一二、一二。
Baby,one more try,baby,one more chance.
疲れたら休んで、また歩き出せばいい。この砂漠のような世界の果てにだって必ずオアシスはある。
だってあのキャラバンはそこからやってきたのだから。ほらあのサリーの美女を見てみろよ、イカす事この上ない。
そう信じて出した足はもつれ、いつの間にかなんのために歩いていたかさえ忘れてしまう。
力尽きて倒れて、今は盗賊の檻の中、足かせはめられて呻吟している。
こいつ、寝たまま笑って足出してるぜ、なんて、お目出度すぎる話だ。

とっくの昔にあんたの靴は擦り切れてる。
すり切れた靴からボロボロに成った素足がのぞいてるぜ、それでもって古い流行歌を、壊れた蓄音機みたいに紡ぎ出して、なにやってんだろうね。いまさら。
old time blues-チンケなガキだってそんな歌、歌いはしないさ。
そして砂漠にはサソリがいる。毒を持ったサソリが。

夜の海岸線を、あの子を乗せたクルマが走ってゆく。
オレの視線はオレを飛び越えて、走っているクルマを空から見下ろしている。
海岸線からすぐに切り立った山。もっと視点が上昇してゆくと、遠くの街の灯が視界を満たす。

そう突然に光のシャワーが視界を満たし、オレの網膜は一瞬バーストする。

しばらくして、バーストが収まったあと、こわごわと光を眺めてみる。
恐れるには足ることなんてなかったのだ。
あの街は静かに燃えているのだ。
あの街を、この夜の時間に形作っているのは、死んだ人たちの発する燐光みたいなものなのだ。
それらは、熱く熱することもなく、クールに燃えて、淡い光を放ち続けている。
ネオンサインが消え、人々がすっかり眠りについたあとも。
あのぼんやりした光こそが人間の本質なんだ。
そして、でも、時が残酷なことには変わりない。
時は、お前の顔も、オレの顔も壊してゆくのだから。

必ずだ。

夜が明ける時、おれたちは恐れるに足りぬ燐光にそれでも網膜を焼かれてしまった
盲(めしい)になったままで、網膜の裏に焼き付いたあの時の残像を、それでも「現在(いま)」みたいに信じながら、おれたちはトリックプレイをかわしつづけてきた。
近くにあってあまりにもそれは遠く、二人登りつめた一瞬の空気の中にだけそいつは存在したんだ。
だからおれたちは何度も何度も求め合い、疲れ果て、罵り合って、眠って、また繰り返したんだ。
エーテルみたいにすぐに蒸発しちまうそいつを、おれたちは永遠に自分たちの手元においておきたかったんだ。
一瞬が続けば永遠になる、そう信じていた。

でももうそんなゲームはおしまいだ。
そうだよ、おれたちはあの街からやってきて、最後にはあの海へゆくはずだったんだよ。
わかってたんだ、最初っから、何もかも。わかってたんだろ、あんたも。

あの淡い光の中で、ギンギラギンの輪郭もなく、ただ淡い光になって、ぼんやり発光しているのは、
それが、それがおれたちの本質なんだよ。
そこではきみもおれもすべてが融け合ってそして一つであり全部なんだ。

灰の中に、燃え残ったダイヤモンドがきらめいている。
でも誰もそんなもの、拾いはしないよ。
『それでもダイヤモンドは輝き続けるわ、そしてダイヤモンドは決して傷つかないのよ』って、昔そう言ったよね。

youtubeできみが自分自身に語りかけてる映像を見たよ。
カメラを目の前においてね、録画ボタンを押して、
カメラの前の椅子に座ったきみが、自分のこととか、今自分が思ってることとかをとつとつとしゃべりはじめるあの映像だ。
ほらまた黙った。言葉はそう簡単には出てきやしないよね。

でもヒトのことをしゃべるきみより、自分のことを自分でしゃべるきみのほうが何百倍もいかしてる。
自分のことを、自分の言葉で何万時間も話しつづけてたら、いつか本当の自分にたどり着くかもしれないよ。
そしてその時きみは傷つかないダイヤモンドになる。
どんな結果に終わろうと目を背けないで語り続けてゆくことの意味をそうやってきみは教えてくれたんだ。

カメラに写った椅子の奥の窓は開かれ、きみの姿はもうない。
カーテンが風にはためいている。
きみは椅子をひいて部屋を辞したのか、それともあの窓を開け空に翔んだのか。
でも、きみの不在を通じてきみの存在はわかる。
そしてやっぱり街は静かに燃えているんだ。

だから、やっぱり歩いて行こうと思うんだ。

ここには相変わらず音のない雨が降っている。
自分が生まれるよりずうっと前から多分この雨は降ってたんだ。
音が聞こえないから今まで気づかずにいただけのことだったんだ。
そしてこの乳白色の霧の向こうには何があるのかわからないけど、その先にあるはずの海の存在だけを感じて、オレは歩き出すだろう。

あと少し、あとほんの少しで眠りが訪れる。
ピュアな、混じり物なしの純粋なコークみたいなとびっきりの眠りがね。

そこで水晶の舟にのりこもう、
水晶の舟にのりこもう、そこで。

一人なのかきみと一緒の二人なのか、大勢の友達と手をとりあってなのか、わからないけど。
水晶の舟にのりこもう、そこで。



水晶の舟again〜『水晶の舟』に乗るために〜(今一度の決意の前に 1)

 昔、ドアーズに『水晶の舟』という、幻想的で象徴的な唄があった。

きっと60年代のことだから、ドラッグのこととかを歌った歌なんだろうけど、ジム・モリソンの才能はそんなものを飛び越えて、世紀末の今も普遍性を持って鳴り響いている。
『水晶の舟』は象徴だから、各人が勝手におのおので思い描く船を持っていても何ら問題はない
僕らは、そんな永遠性を信じていたのだ。
もしかしたらこんな世紀末の今だからこそ信じ続けているのかもしれない。
だからあの頃の音楽は、今も、ブードゥのマジックのように、僕の裡で響き、何度も形やら姿を変え、再生され続けてるんだろう。
そういえば、山川健一さんも『水晶の夜』という小説を書いていたが、こちらはどちらかというとクリスタル・ナハトの方の感じだったかな。

今回、『水晶の舟』に再び乗るためにというテーマで、また戯言を書きつづっている。
これを展開して、主人公が具体的に動いたりすると小説といえる形態になるのかもしれない。
ただ、もう自分にはそんな時間もないし、才能もないことは重々承知している。
だから、散文詩みたいな形のまま、ここに『放置プレー』にしておこう。

diamond

こいつを書きながらまたいろんなことを思い出した。
アンジェワイダの『灰の中のダイヤモンド』とか、
それと関係あるのかないのかわからないが、邦画『ダイヤモンドは傷つかない』とか。
あの映画の田中美佐子は(デビュー作だった?)は実に良かった。
あれも相手は山崎努じゃなかったけ?
くたびれた中年男と少女の物語も、また普遍性を持ち得た・・・のかな、これも過去形になってしまう所が時代か。
でも『スローなブギにしてくれ』の浅野温子は今でも輝き続けてるんだけど。

だから、クルマごと海にダイブして死にきれなかった山崎努は、毛布をかぶって震えながら、『今度は猫いなかったよ・・』と語ったのは必然だったのだ。

そして、かつて僕らがたむろした『バグダッド・カフェ』という三番町のBarのことも思い出した。

そこはいわば砂漠の中に出現したまさに砂上の楼閣だったけど、やっぱりオアシスでもあった。
ニール・ヤングや、再結成したイーグルスや、クラプトンや、ディランや、それこそ時にはドアーズとかの音楽を聴きながら、僕らはああでもないこうでもないとしゃべり続けた。
あそこでうだうだ喋り続けたあの時間は、無駄だったのかもしれないけど実に有意義だった。
でもそれも店の終焉と共にあっけなく終わった。
それすらも、もう20年以上も前のことだ。

マスターはある朝目覚めないまま静かに逝去し、あのテナントビルに自分が足を踏み入れることはもう二度とないだろう。
街は動き、ヒトは流れる。
そしてそれでも生者は明日の朝、また(生きていれば)目覚め、日常に没入してゆかねばならないのだから。

6月になれば電子カルテがいよいよ稼働する。
ORCA(日医レセプト)のサーバーも設置されて数カ月で、レセプトもこなされ、データは着々と蓄積されている。

日々は河の流れのごとく、時に渦巻きながらも、続いていく。



高知県立美術館『シャガール展』の短い旅(後編)

tokikake

 シャガール展には若い人達もいた。

一人でゆっくり鑑賞してる独りの女性たちも。

なんだかその中にステキな女の子がいた。
なんて言うのかな、若いんだけど古典的な顔で、その平たく言うと意志のある美人って感じで、
やや続けると、ちょっとお尻のポッコリした下半身しっかり型の日本人体型だったりして、
二つ目の展示会場で、山本さんの背景画見ててはたと気付いた!
ああ、この子はもしかしたらトキカケのあの目の真っ直ぐな女の子じゃあないか、と。

調べてみたら、時を飛ぶ少女は『紺野真琴』というキャラだった。

シャガールが愛妻ヴェラをスケッチしているイメージで、
(スケベなわけじゃないし、ストーカーでもないんですよ)こんな感じだとラフスケッチしてみた。


それにしてもどうやったら絵は上達するのかね?

そんなこんなで、思いのほか松山に早くたどり着いて、
これもこのGW中に食べに行こうと考えていた『茜屋』の冷やしふっかけ麺DXを食べることができた!


ここの店主の方は、最近Facebookでお友達になっていただいた方で、
ラーメン屋なのに、洋食のシェフの格好で一人で厨房に立たれている方で、メニューにはボンゴレラーメンとかもある。
店内にはジャズが流れ、思ったよりは若いシェフで、ちょっと小難しそうな村上春樹さん(彼も長いことジャズ喫茶のマスターをしていたという)という感じだったが、
ラーメンは、なんというか、これはラーメンじゃないでしょ、でもやっぱりラーメンなのかなあという、繊細かつ大胆なものだった。 

うーん、満足。

そんなわけで予定7時間(往復4.5時間・高知2.5時間の予定)が6時間になったが、無事短い非日常を終えて家に早々にたどり着いたのだった。
(そして前ブログの『ドアーズ/まぼろしの世界』を観るという贅沢な休日でした。)



高知県立美術館『シャガール展』の短い旅(前編)

shagal2012

 代わりがいない職業なのでそうそう休めない。
特に透析患者さんたちは、昨日は元気でも、明日はなにが起こるかわかったもんじゃないのだ。
シャントは詰まるし、脳梗塞は起こるし、で。
昨日(5月3日)はたまたま祝日とアルバイトの先生の着てくれる日が重なった。僥倖だ。
家人はいない。遠い空の下で、ただいまGWの真っ最中だ。
透析は午前1クールのみ。昼過ぎまでに松山に帰ってくれば対応可能だ。

というわけで、高知7時間ツアーを計画する。
これまた愛媛新聞でたまたま発見したのだが、高知県立美術館で『シャガール・愛の物語』が開催されているのだ。
展示数は109点。リトグラフ『ダフニスとクロエ』シリーズも多数展示されている。
今回は『ユダヤ劇場への誘い』の大壁画(シャガールがかなり若い時の作品だけど)がトピックみたいだ。

シャガール、なんかあの色使いとか幻想的な動物たちとか好きなんですよね、昔から。

7:00松山出発、雨と霧の中を、四国三郎を超えて太平洋側に降りてくると、完全な快晴だった。

9:00-10:30鑑賞。

weddhing

シャガールにしては珍しく、モノクロのベースの上に、二人を見守る赤い天使が描かれた絵があった。
1918年の作品だ。
タイトルは『Weddhing』(トレチャコフ美術館蔵)。
この絵の前を行ったり来たりして、『ダフニスとクロエ』を見て、また戻って、そんなことを何回か繰り返した。
シャガールの愛妻・ヴェラの頬に書かれている人形(ひとがた)はやがて生まれてくる愛娘イダの像だったりする。
この、ちょっとシャガールらしからざるシャガールを発見できたのは、大いなる収穫であった。

でもね、写真と実物は全然違うからね、だから、美術館はやっぱり自分で脚運ばんとイカンのよね。

ジブリとかの背景がやってる山本二三さんの個展(『火垂るの墓』とか『ラピュタ』『もののけ姫』『未来少年コナン』)も別会場で見る。

あの細田守氏の『時をかける少女』の踏切の彼方の入道雲も氏の作品だった!
ホントは優雅にランチでもと思ったのだが、あまりにも時間がスムースに進みすぎたので、とんぼ返りとすることにする。
すでに桂浜渋滞の標識が立っている。この美術館から桂浜までは11kmくらいとのこと。
それにしても周りには水が流れ、風情のある美術館だった。

たぶん初めての訪問だ。

シャガールはフランスで没す直前まで絵の制作に携わった。
愛するヴェラはウイルス性の疾患で死んでしまったが、彼の中では永遠の存在だった。
新しい奥さん(65歳で再婚したヴァヴァ)と抱きあうシャガールの上から、天使になったヴェラが見守っているというモチーフの絵もあった。
そして、追い払われたはずの故郷ロシア・ヴィテブスクの風景も、彼のモチーフとして何度も何度もよみがえり、そのたびに新しくなっていったのだった。

じゃあ自分が、死ぬまで続ける唯一の事はなんなんだろうか、と、考えた。

それはね、『生きること』だよ、と、したり顔の誰かさんがどこかで言った。
原田芳雄さんは、死ぬ直前まで、ガリガリの身体で車椅子で、声も出ぬままに舞台挨拶に臨んだ。
『映画』は、いっつも芳雄さんが言うように『ただの遊び』だったけど、とびっきりの人生を賭すことのできる遊びだったんだ。
じゃあ、自分は死ぬまで医者なんだろうか・・と尋ねてみたが、答えは返ってはこなかった。



Doors again and again! "WHEN YOU'RE STRANGE"(2010) モジョは何度でも立ち上る(Mojo rising)。

評価:
コメント:ドキュメントだけで作ったとは信じがたい!

 昔、この地でも上映されたが見ることがかなわなかった映画がBSでかかっていた。
ほんとに便利な世の中だ。

『ドアーズ・まぼろしの世界』(2010)、
かのジョニー・デップがナレーターを務めている。

ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、マリリン・マンソン、ケネディ大統領、キング牧師、フラワーチルドレン、LSD、LOVE&PEACE、ベトナム戦争。
こんな言葉がゴロゴロ並ぶのが60年代後半で、ジム・モリソンとドアーズもそんな時代を駆け抜けた。
ドキュメンタリーを組み合わせて作られた映画だと思うんだが、非常に良くできている。
オリヴァー・ストーンの『ドアーズ』も嫌いではないが、やっぱりあっちはわざとだろうけど寓話的に仕上げられている。
死んだインディアンの祈祷師の魂がジムに入ったという設定だからね。
本物のジムが、観客を煽ったり、ステージで一物を出したという例のシーンも収録されており、当時のコンサートの物々しさも体感できる。


ドアーズ。
バスタブの中で27歳で死んでったジム・モリソン。

映画の中にはジムとジャニスが酒を飲んでる写真も流される。
ジムは酔っ払ってジャニスの膝に突っ伏して、ジャニスの酒瓶で殴られた?
やっぱりその酒はサザン・コンフォートだったのだろうか、その時二人はなんの話してたんだろう、とか。
なんだかstrangeだけど面白い。

そのジム・モリソンが映画の中で言ってた。

いいかみんな,
俺には未来が見えないが、
世界で焼け落ちる日は酒を飲んでいた・・だろう? 

今の自分はどうしても酒を必要としているわけじゃないけど、その気持ちはわかる。
心を殺してくれるものは時には必要だ、なにをさておき最優先の場合だってある。それがemotional resqueじゃなくっても。

P.S.

『L.A.Woman』の中にMr.Mojo risingというフレーズが延々と繰り返されるのだが、これはジム・モリソンの単語を分解して並べ替えるとそうなるのだそうだ。
佐野元春の詩にもMojoは登場する。



『ハクション大魔王』最終回を観る。

 akubimusume 今朝はだらだらと。

昨日の日曜は、朝から仕事で呼ばれて帰って、しばらくしてまた別件で呼ばれてと、区切りのない一日だった。

昨日、寝る前に、あの『ハクション大魔王』の最終回を観た。

カンちゃんがくしゃみすると、壺の中から「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃあああん」のあの大魔王のお話である。
もしかしたら幼少期の自分にとってのアイドルであっただろうアクビ(かんちゃんのお父さんがアクビをするとこれまたツボの中から現れる魔王の娘)ちゃんにも久々にあった。
そういえば、神・中川翔子(しょこたん)に似てるなあなどと(彼女の『AnAn』のセクシーショットもちゃんとエミフルで立ち読みして拝んできました♡)。

その大魔王が、今宵の月食で壺の世界に召喚され、以後100年は出られない、という。
たとえ彼が再び壺から出てもその時はカンちゃんは生きてないし、もしかしたらこの世界もないかもしれないのだ。
みんなのいろんな工夫はことごとく破られて、カンちゃんはくしゃみをし、お父さんはあくびをする。
魔王を縛った紐は自然に解けて、アクビを入れたトランクの蓋は開き、二人は壺の中へ!
そして、欠けていた月がもとの満月に戻り、みんなの追いかける中、魔王とアクビを入れた壺は、フワフワと所在無げに飛びながら、やがて夜空の彼方に消えてゆく・・。

最終回はこんな感じだ。

ヒトは一人で生きているのではない。
そばにいて助けてくれる誰かは、自分で自覚してようがしてまいが、やっぱりいるもんなんだ。
その人に助けられながら、いろんな人の中で溺れたり浮かんだりを繰り返して、とにかく歳はとってゆく。
それで歳をとって存在している今の自分が、ホントに進歩したのかどうかはわからないけど、
こうしていまの自分がそんなちっぽけな歴史の上に存在するわけだ。

きっとぼくの隣にもかつて魔王はいたのだろう。

この作品は1968年くらいの制作なので、まさにその時の自分とカンちゃんは同年代で、ということはカンちゃんが生きてたら、自分とおない年くらいだ。
で、魔王はまだ壺の中だ。まだあと50年以上経たないと会えない。
その時オレが生きてるのかどうなんだか、その時世界はどうなってんのか、そんな風に考えるとまた余計に感慨深い。
これまた別のドラマだけど、空に旅立ったブースカ(「快獣ブースカ」)とかどこにいるのかなあ?

よくよく考えてみると、その数年後にはあの物騒がせな『仮面ライダー』とかが出てきてぐんと加速度ついてゆくんだけど、
そういった時代の一つ前の、ある種牧歌的な世界にまだおれたち(というよりその世代の大人の作るノスタルジックな世界観がまだ十分通用してた?)いたのかもしれないなあ・・。

・・って過去を振り返っても仕方ないのですが、ちょっとぼーっとしてみましたよ(^^・・

P.S.今日もハードな一日でした、ハイ。




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